覚え書:「論点 シリーズ憲法70年 9条と自衛隊」、『毎日新聞』2017年09月15日(金)付。

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論点

シリーズ憲法70年 9条と自衛隊

毎日新聞2017年9月15日 東京朝刊

 自民党憲法改正推進本部が改憲案の取りまとめに向けて議論を再開した。改正候補4項目中、最大の焦点は9条。安倍晋三首相は「戦争放棄」の1項と、「戦力不保持」「交戦権否認」の2項を維持した上で、自衛隊の存在を明記したい考えだ。戦後平和主義の基軸となってきた9条。いま、どう考えるべきなのか。

我々が「平和を誠実に希求」 古関彰一・独協大名誉教授

 憲法9条連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー元帥による「押しつけ」だという論争が行われてきた。日本国憲法の最初の案を作ったのがGHQだったことは、はっきりしている。しかし、その後、政府が憲法改正案を作って、当時の帝国議会憲法9条が議論され、条文に修正が加えられたことは広く知られていない。

 原因は、帝国議会の中で最も大事な議論が行われた衆議院帝国憲法改正案委員会(特別委員会)の議事録が1995年まで公開されなかったことにある。議事録が公開され、気付いたのは、GHQが作った案には9条1項の「戦争の放棄」はきちんと書かれていたが、「国際平和を誠実に希求し」という部分は全くなかったことだ。憲法前文は「平和」に触れていたが、GHQ案の9条には「平和」という言葉はなかったのだ。

 マッカーサーをはじめGHQが「戦争の放棄」を入れることで意図したのは日本を「二度と戦争のできない国にしたい」ということだった。当時、GHQは米陸軍と一体だった。米陸軍は戦争が終わってから沖縄に基地を造り、当時のGHQの言葉を借りると「要塞(ようさい)化」を目指した。つまり、沖縄に米軍基地を造って日本の安全保障を確保することを前提にして、本土では戦争放棄を考えた。

 帝国憲法改正案委員会で共同修正案を作成するために設置された小委員会で「国際平和を誠実に希求し」という文章を9条に入れようと提唱した一人は戦前に東北帝大や法政大で憲法行政法の教授を務めた社会党の鈴木義男衆院議員だった。鈴木は小委員会で「ただ戦争をしない、軍備をみな捨てるということはちょっと泣き言のような消極的な印象を与えるから、まず平和を愛好するのだということを宣言しておいて、その次にこの条文を入れよう」と主張した。

 憲法制定当時の政権政党日本自由党だった。委員会や小委員会の委員長を務めた自由党芦田均衆院議員らも議論の末、9条1項に「国際平和を誠実に希求し」という部分を入れた。芦田は小委員会で「私は多数決で決めたくない。(共同修正案で)全員合意を作りたい」と何度も言った。この部分を議事録で読んだ時に感激した。その後の冷戦時代と異なり、芦田が与野党を問わずに(超党派の)合意形成を目指し、「平和」という概念が挿入されたということは非常に大きな意味があったと思う。

 安倍晋三首相の提案した「憲法9条自衛隊を位置づける」というのは論理的に成り立たないと思っている。なぜならば、政府がこれまで「自衛隊は必要最小限度の実力(組織)であって、戦力ではない。だから違憲ではない」と説明してきたからだ。「自衛隊違憲」という長沼ナイキ訴訟の札幌地方裁判所の判決があるが、内閣法制局は一貫して「自衛隊は合憲」と言い続けているので、今更、「9条に自衛隊を位置づける」必要はないと思う。憲法学者は安全保障環境を全く考えていないと言われるが、「現実の政治は憲法を無視していいのか」と伺いたい。憲法9条が制定された帝国議会の議論を思い返してほしい。【聞き手・南恵太】

「解釈」より「存在」明記を 志方俊之帝京大名誉教授

 日本の国益は国土の上にだけあるのではない。資源保有国からの資源の提供と、多くの国々による日本製品の輸入が国の存立基盤だ。つまり、我が国ほど世界平和を必要としている国はない。そのために、政治・外交・経済・軍事の四つの手段を組み合わせて国益を追求し、安全と繁栄を図ることになる。だが、日本では「軍事」という言葉を使わず、無視してきた。ここが根本的に間違っている。

 憲法9条の今の大方の解釈は(1)1項により、自衛隊は自衛のために国土上で戦える。条文になくても、自衛のための組織を持てるのは当たり前だからだ(2)しかし2項により、集団的自衛権の行使や国外での活動はできない(安保法制で一部可能になったが)−−というものだ。ところが、憲法学者だけに聞けば大半が自衛隊違憲と言う。これでは国民は混乱する。

 現場の自衛隊員も困っている。国連平和維持活動(PKO)で最前線にいるのは主に陸上自衛隊の若い隊員であり、最初に敵と接触する。その隊員に対して「憲法9条やPKO5原則があるため、撃たれてもこういう場合にしか撃ち返せないぞ」と言っているのが現状だ。自衛官にすれば、国会論義をそんたくしながら、引き金を引くか引かないか決めろと言われているのと同じだ。

 それを一隊員に判断させるのはおかしい。政治をそんたくして軍隊(自衛隊)が決めるというのは、むしろ軍国主義国家だ。何か起こってから、後で(政治が)理由をつけるというのだから。まったくシビリアンコントロール文民統制)になっていない。そもそも、自衛隊は日本から出たら、すぐさま軍隊として扱われる。そういう世界で何番目かの実力集団が憲法に規定されていないのは法治国家として異常だし、危ないことだ。

 70年前の憲法施行時には戦争への拒否反応があった。「日本はもう軍隊を持たない」と考えたのはおかしな話ではない。しかし、憲法に平和と書いておけば平和が守れると、何十年たっても同じ話をしていてはいけない。北朝鮮は核と弾道ミサイルを手にし、2040年ごろには中国の経済力と軍事力が米国を抜くといわれている。対外環境も人の考え方も技術も戦い方も大きく変わっている。こうした状況に憲法を変えずに対応できるのか。それは至難の業だ。

 憲法自衛隊の存在を明記し、きちんと位置付けることが重要だ。その場合、義務教育を終えた人が読めば100人中90人が「自衛隊が合憲である」と分かる文章にしてほしい。さまざまな解釈が可能で、「そうとも読み取れる」とあいまいになるのが一番困る。

 その上で「安全保障基本法」を制定し「自衛」の中身を定め他国との共同行動のあり方なども決めておく。そうすれば現場の隊員が疑問を持った時に「できるか、できないか」の判断がつくようになる。今は憲法に「自衛隊」の文言がないから基本法さえ作れない。

 日本の立ち位置を明確にし、中長期的な脅威に備えた防衛力の整備を始めることが肝要だ。政局にとらわれず、各党が知恵を出し合い、いい条文を作ってほしい。【聞き手・伊藤和史】

被災地でこそ頼もしい 戸羽太・陸前高田市

 2011年3月の東日本大震災岩手県陸前高田市は死者・行方不明者計1750人以上という甚大な被害を出し、陸上自衛隊第9師団第5普通科連隊(青森県)の支援を受けた。自衛隊の支援や助言がなければ、犠牲者はもっと多かったかもしれないし、住民の気持ちは落ち込んだと思う。

 現行制度では被災時には地元の首長がすべての指揮を執ることになっている。しかし、私は当時、市長初当選後1カ月で、被害を前に途方に暮れた。その時、自衛隊は「何でも要望を言ってほしい。自分たちもできることを整理して、相談する」と言ってくれた。震災前から防災訓練には地元の自衛隊も参加していたが、自衛隊に実際に何ができるのかは分かっていなかった。

 本番での自衛隊の活動は想像をはるかに上回るものだった。行方不明者の捜索では、津波再来の危険があるために近づけなかった海岸沿いのホテルを一部屋ずつドアを壊して調べてくれた。民家に残された人の様子や健康状態をチェックしてくれた。がれきで埋まった博物館から収蔵品を掘り出す作業も手伝ってくれた。あんなに頼りになる人たちはいなかった。

 震災前の自衛隊は、市民にとって縁遠く、四輪駆動車などで通れば「戦争」の影を感じる怖い存在だったと思う。しかし、震災支援の約4カ月間で「正義の味方」のような存在になり、「自衛隊がいてくれるから大丈夫」と思えるようになった。引き揚げの日は市民も見送り、車列が動き始めると涙を流しながら手を振った。震災を境に自衛隊への印象は変わった。最近、自然災害が増え、各地で自衛隊が活躍している。被災地での活動は全国の人が評価している。

 陸前高田を支援してくれた第9師団はその後、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣された。市民たちは「危険なところへ行って大丈夫か」と家族のように心配した。自衛官は「命令があれば従う」と話していた。だが、国会の議論では自衛隊の派遣先の安全性について、あいまいな答弁が続いた。海外で活動する自衛官の本心はどうなのか、家族はどう感じているだろうか−−。お世話になった自衛官一人一人の顔を思い浮かべ、私はそう案じた。

 もしリスクがあるのならば、政府はその情報を隠さず、自衛官も国民も納得できる丁寧な議論が必要だろう。憲法改正についても同様だ。9条の存在によって戦後の日本の平和が維持されてきたと思う。北朝鮮情勢は緊迫しているが、ここは焦らないでほしい。

 全国の被災地で活躍し、頼られている自衛隊が、国際貢献の観点から海外でも活動を求められている。被災地の私たちにとって、災害支援と海外派兵のギャップは大きい。私の息子2人は小学生の時に被災し、母親を失った。2人は多くの困難を乗り越えて大学生と高校生になり、将来の夢を描き始めている。被災地の子どもたちは皆そうだろう。彼らのためにも、次の時代に日本が戦争をする可能性が高まるような動きは避けてほしい。改憲の議論は丁寧に進めることが必要だ。【聞き手・永山悦子】

「戦力は保持しない」
日本国憲法

第9条

(1項)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又(また)は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

(2項)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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 ■人物略歴

こせき・しょういち
 1943年生まれ。早稲田大大学院修士課程修了。和光大教授、独協大教授などを経て2015年から和光学園理事長。著書に「日本国憲法の誕生 増補改訂版」(岩波書店)など。

 ■人物略歴

しかた・としゆき
 1936年生まれ。防衛大卒。陸上自衛隊入隊後、第2師団長、北部方面総監を経て退官。元陸将。安全保障、危機管理、防災・治安問題で評論活動を続ける。東京都参与(災害担当)も務めた。

 ■人物略歴

とば・ふとし
 1965年生まれ。東京都町田市で育つ。実父が元岩手県議。28歳で陸前高田市の食品会社に入社。95年に同市議選に初当選し、3期務める。同市助役、副市長を経て2011年2月から現職。
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