日記:お互いの差異を知ることが、平和、正義、人権といった、政策研究が喚起するあらゆる言葉へと導き続ける

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 まず初めに、私の立場を汎アジア主義とは区別しておきたいと思います。私の思考の中には、アジアは一つというような幻想はありません。汎アジア主義の物言いによって偽装された拡張論や政治的競争とも無縁です。むしろ私が考えているのは、複数化されたアジア、私達がお互いの諸々の差異を尊重するだけでなく、そうした差異をできるかぎり知っている、そうした場所としてのアジアなのです。私の専門は政策研究ではありません。比較文学です。言語を深く学ぶことを通じて、私は他者に接近しようとします。お互いの差異を知ることが、平和、正義、人権といった、政策研究が喚起するあらゆる言葉へと導き続けるのだと私は信じています。「導く」ではなく「導き続ける」と言ったことに注意してください。それは想像力を鍛える持続的な努力のことですが、世界中で教育がますます合理化されていくのにしたがって、私たちが失敗してしまった任務でもあります。
 過去二世紀にわたって、私達は想像力を私有化し、経験的なもの、集団的なものと対立させて考えてきました。この講演は、想像力に話を限ったものではありません。しかし、皆さんに覚えておいていただきたいのは、私が想像力をよりしっかりと理解しようと努めているということであり、またそうした想像力こそが、おそらく完全にデジタル化できない唯一のものなのです。
 倫理的な衝動は、知への意志によって、たんに他者を支配したいという欲望を中断させます。想像力によって私たちは、こうした中断をうまく利用できるようになるのです。
    −−G・C・スピヴァク中井亜佐子訳)「他のアジア」、鵜飼哲監修『スピヴァク、日本で語る』岩波書店、2009年、125−126頁。

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