覚え書:「特集ワイド 衆院解散前、押さえておきたい「政治的用語」 「民間」そんなに正しいか」、『毎日新聞』2017年09月22日(金)付夕刊。


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特集ワイド

衆院解散前、押さえておきたい「政治的用語」 「民間」そんなに正しいか

毎日新聞2017年9月22日 東京夕刊

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紙面掲載記事

=コラージュ・大井美咲
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 解散風が突然吹き始めた。新党結成など、派手な動きに目を奪われがちだが、こんな点も押さえておきたい。政治や行政、教育分野などで言及される「民間の発想」「民間の活力」といった言葉についてだ。なるほど、官公庁には「お役所仕事」といったイメージがつきまとうが、では「民間」ならば信頼できるのか?【吉井理記】

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 「僕は昔、それこそ『民間の感覚』で大失敗をしたことがあるのですが……」と苦い表情を浮かべるのは、神戸女学院大名誉教授で思想家の内田樹さんである。

 失敗談に耳を傾ける前に、まずデータを確認しておこう。

 国会論戦で「民間」という言葉が盛んに使われ出したのは近年だ。例えば冒頭の「民間の発想」という言葉、国会図書館の会議録データベースで調べると、昭和期では1986(昭和61)年までに8件の会議で使われただけだが、平成では92年以降、61件にものぼるのだ。

 安倍晋三首相も「民間」に寄せる期待は並々ならぬものがあるようで、加計(かけ)学園問題で注目された「国家戦略特区」について、「世界で一番ビジネスがしやすい環境を創り、民間の活力を引き出す」(2013年11月20日、衆院内閣委員会)と述べていた。獣医学部新設の経緯が批判された時は「岩盤規制を改革するには、省庁では大胆な改革はできない。民間人が入ったワーキンググループと内閣府が改革を進めるのが特区」(今年7月24日、衆院予算委)と反論している。

 国政だけではない。小池百合子東京都知事が事実上率いる地域政党都民ファーストの会」に至っては、「どんな取材を受けるのか、本部が把握するのは民間企業なら当然」(前代表の野田数・都知事特別秘書)と、所属議員への取材窓口を党本部に一本化したのである。教育現場でも、大阪府・市が公募した公立学校の民間人校長が次々にセクハラなどの不祥事を起こしたことは記憶に新しい。

 その是非は後で考えるとして、確かに設計案が迷走した新国立競技場問題や、20年の東京五輪開催費のずさんな算定などを見ると、「民間ならあり得ない」とため息の一つもつきたくなる。ならば、民間の発想・活力をあらゆる場面に注入すれば、世の中はバラ色になるのか?

学問も食も「市場原理」の愚
 大学教員時代の内田さんの「失敗談」から考えていきたい。

 「大学に『ニーズ』『費用対効果』といったビジネス用語が入ってきたのは、18歳人口が92年をピークに減少に転じ、各大学で生き残りが模索された時期から。僕も当時『大学にも学生を消費者と見るビジネスマインドがないと、市場に淘汰(とうた)される。これからは教員の大学への貢献度を測る成果主義が必要だ』と訴えて……」

 自ら旗を振り、教員評価の仕組みをスタートさせた。06年のことだ。毎年度、指導する学生数や執筆した著作や論文の数などを点数化し、その高低で研究費などを配分する。

 ところが、だ。「すぐに失敗だと気づきました。同僚に『年に何冊もの本を書き飛ばす人間の1冊と、何十年間の研究成果を凝縮させた1冊とを、同じ点数で評価するのはおかしい』と指摘された。いや、全くその通りだ、と」

 だから教員の活動を無理に数値化しても、「質」の評価はできないので、大学への貢献度を測る上ではほぼ無意味。評価のための資料作りなど、膨大な作業が増えて各教員の研究時間を奪い、大学の学術的発信力を低下させただけだった、と嘆息するのだ。

 「民間企業の発想は、大学教育にはなじまないんです。企業は毎年の成果を売り上げや利益で判定できますが、大学が生み出す学術的功績はそんなスパンでは測れないし、まして教育の成果−−卒業生が幸福な人生を送ったかなどは何十年先まで分からない。結局、大学の学術的発信力が最も高まるのは、教員に好き勝手やらせている時だと痛感した。働かない教員がいる一方で、自由に研究教育に打ち込む教員が、その何倍もの価値を生み出すんですから」

 学生を「消費者」と見る考えにも今は疑問符をつける。学習努力を貨幣、単位や学位を商品と見れば、消費者は「同じ商品なら、より少ないお金で手に入れたい」と考える。わざわざ苦労するのはばかげている、というわけだ。「これでは学力低下は当然です」

 そういえば、英国の教育専門誌が各大学の論文引用数などから算出する「世界大学ランキング」を見ると、日本トップの東大は、国立大が独立法人化された04年は12位だったが、現在は46位である。同大の鈴木宣弘教授(農業経済学)は悲しげである。

 「独立法人化は『民間の経営感覚の注入』がうたい文句でした。その結果、大学は短期的に結果が出ることが確実だったり、企業からの寄付が期待できたりするような研究にしか予算をつけなくなりました。そのため、結果の予測がつかない、長期的な研究には誰も手を出さなくなった。これで真理が追究できるはずがありません」

 教育だけではない。例えば「民間活力の利用」を掲げる規制緩和はどうか。今年4月、森友学園問題の陰で、鈴木さんはある法律の廃止が決まったことを説明する。

 「『種子法』です。都道府県に米・麦・大豆の優良な種の開発・生産を義務づけ、『奨励品種』として農家に安く渡すという趣旨の法律ですが、来年4月になくなります。『種子法を廃止して民間の種子ビジネスの参入を広げれば、種はもっと安くなる』のが理由ですが……」と話す表情はいよいよ暗い。

 「国民が主食とする植物の種を『市場原理』『民間活力の利用』を理由に、企業に委ねて本当にいいのでしょうか。食糧安全保障上も疑問だし、一部の企業が種子生産を独占すれば、必ず価格はつり上げられてしまいます。それこそ市場の論理です」

 漁協が持つ日本沿岸の漁業権を、民間企業に開放することの是非も政府の「規制改革推進会議」で議論されている。「安倍首相は『岩盤規制』と批判しますが、あまねく、多くの人がそれなりの利益を得て、支え合うための規制だってある。民間や企業の感覚が絶対ではありません」

 民間出身の識者には、また別の見方があった。経営コンサルタント会社「小宮コンサルタンツ」代表、小宮一慶(かずよし)さんは元銀行員。「官公庁に民間のコスト意識は不可欠ですが……」と前置きして、以下のようにくぎを刺すのだ。

 「企業の目的は二つある。良いサービスや商品を提供し、顧客や社会に貢献することと、働く人を生かし、幸せにすることです。売り上げや利益は結果に過ぎません。これが逆の企業は続かない。不正会計に手を染めた東芝が典型例です。ゆえに、『民間の発想』が常に正しい、というわけではありません」

 規制緩和には賛成だが、無条件に規制を撤廃すべきではない、とも付け加えた。「弱者や零細企業、町の商店街などを守る規制には大賛成ですが、首相肝煎りの規制改革をしたら、首相のお友達の学校法人が利益を得る結果になった、というのはどうでしょう。疑惑の真偽はさておき、『李下(りか)に冠を正さず』という先人の知恵はどこに行ったのでしょうか。規制うんぬん以前に、『リーダーの劣化』としか言いようがないですけど」

失敗のツケ、払うのは国民
 これほどまで「民間」という言葉があちこちで使われるようになったのはなぜなのか? 再び内田さんが解説する。

 「産業構造の変化の帰結でしょう。農家や自営業者が減り、日本人の過半は株式会社のような民間企業の従業員になった。生まれてからずっと企業やそれに準じた組織しか知らないから、あらゆる社会制度は、企業的なものだと考える。所属議員が勝手に取材に応じることを禁じた『都民ファーストの会』は象徴的です。議員は選挙民の負託を受けた政治家だと考えず、政党の一従業員だという感覚なのでしょう。従業員は自社の経営方針について、勝手に私見を述べることは許されませんから」

 だから政治の世界でも、民間企業のような「決められる政治」「スピード感」といった言葉が当たり前のように使われるようになった、と指摘するのだ。

 「治安や防災、教育、医療といったサービスは、専門家が専門的知見に基づき、市民に安定供給することが不可欠で、市場の論理に委ねてはならないんです。政治にも同じことが言える。企業の失敗は株主が損をするだけですが、政治の失敗は無限責任です。現に、先の戦争の敗戦責任を、我々は今も今後も負い続ける。だからこそ政治は、民間企業のような『スピード感』とは対極の、『熟議』『熟慮』をこそ重んじなければならないんです」

 失敗のツケを払うのは国民である。「決められる政治」などという美辞麗句に惑わされず、政治家の言を熟慮したい。
    −−「特集ワイド 衆院解散前、押さえておきたい「政治的用語」 「民間」そんなに正しいか」、『毎日新聞』2017年09月22日(金)付夕刊。

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