日記:なぜ人権が保障されねばならないか?
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人権とは、「人間が人間であるという理由のみで保障されるべき権利」を言う。安全で健康に生きる権利、内心で多様な価値を育む権利、何の理由もなく身柄を拘束されない権利、差別されず個人として尊重される権利などだ。
人権は人間にとっててとも重要な権利なのだから、それを保障すべきなのは、あまりにも当然に思える。なぜわざわざ法制度によって人権を保障する必要があるのだろうか。
もしも、社会的な多数派や、強い力を持つ者の人権が侵害されたならば、彼等は政治運動をし、選挙で勝って、自分たちの権利を守るような制度に変更するだろう。しかし、少数者の人権が侵害された場合には、選挙を通じた是正は難しい。例えば、一部の人に極端な重税を課したとしても、それ以外の多くの人は税が安くて済む。あるいは、ごく少数の人しか信仰していない宗教を弾圧しても、ほとんどの人には直接関係がない。こうした少数派の人権侵害を民主主義で止めるのは、困難だ。しかし、それを放置することは正義に反する。
全ての人にはそれぞれ個性があるゆえに、あらゆる人は何等かの意味で少数派だ。人種、政治信条、宗教、学歴の要素、収入の水準、音楽や芸術の趣味など、その全てにおいて大多数と一致すると自信を持って言える人はいないだろう。つまり、一部の人権侵害を許せば、結局、ありとあらゆる人の人権が侵害されてゆく。
このため、人権を実現するには、政治プロセスだけに任せるのではなく、人権宣言や憲法・条約・法律などによる法的保障が必要となる。
−−木村草太「序論 子どもの権利 理論と体系」、木村草太編『子どもの人権をまもるために』晶文社、2018年、15−16頁。
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