覚え書:「書評:いのちなりけり 吉野晩祷 前登志夫 著」、『東京新聞』2018年03月04日(日)付。

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いのちなりけり 吉野晩祷 前登志夫 著

2018年3月4日

◆存在の根源へと誘う
[評者]宇江敏勝=作家・林業
 「自然の中に人間を樹(た)てる」ことが生涯のテーマだと自覚している、と書いている。雅号は「樹下山人(じゅかさんじん)」、奈良県吉野山の里に住んだ歌人の遺稿散文集である。亡くなられてから十年が過ぎた。

 著者は、生えぬきの山人(やまびと)であり、代々林業家で、自分も木樵(きこり)と称している。だが、肉体労働はしない。柳田国男折口信夫に傾倒して民俗学への造詣は深いが、具体的な記述はほとんどない。ほかの散文や短歌作品は抽象的な表現が多く、それが魅力なのである。

 しかし、第一章「菴(いおり)のけぶり」の二十の掌篇は、山里の四季を写し出して、美しくしみじみと読ませる。出没する熊や狐(きつね)、鳥たち、草の花や蛍、あるいは歌人西行が愛(め)でてやまなかった桜については、くり返し語られる。この章の最後の文章「たそがれて 花ぞ恋しき」でも桜が回想されている。初出は、著者が亡くなった平成二十年四月五日よりも二か月前だから、絶筆といえようか。

 第二章「林中歌話」、三章「老(おい)のほむら」はともに現代歌論である。「一本の木が、樹木本来の存在のみなもとに還り、岩が岩そのものの原初の輝きに戻るような、時空を超越したいのちの根源にこそ、わが歌は歌われなければならない」

 熊野に住む私が吉野の歌人を訪れてから、はや二十年。山家のたたずまいとともに、茫洋(ぼうよう)たる面影がよみがえる。

河出書房新社・2160円)

<まえ・としお> 1926〜2008年。歌人。著書『縄文紀』『森の時間』など。

◆もう1冊
 『前登志夫歌集』(短歌研究文庫)。第一歌集『子午線の繭』をはじめ『流轉』など八歌集から千六百五十余首を収録。
    −−「書評:いのちなりけり 吉野晩祷 前登志夫 著」、『東京新聞』2018年03月04日(日)付。

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前 登志夫
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