覚え書:「特集ワイド 9条2項+「自衛隊」=交戦OKか」、『毎日新聞』2017年10月27日(金)付夕刊。

        • -

特集ワイド

9条2項+「自衛隊」=交戦OKか

毎日新聞2017年10月27日 東京夕刊

 衆院選での与党勝利を受け、安倍晋三首相は改憲に改めて意欲を見せている。今回の選挙公約で自民党は「憲法への自衛隊明記」の方針を掲げた。戦争の放棄、軍備と交戦権の否認を定めた9条に、自衛隊の存在を加えると何が変わるのか。日本国憲法の原則の一つである「平和主義」や自衛隊の役割の変化について専門家に聞いた。【井田純】

権力縛る憲法、変質

海上自衛隊練習艦「やまゆき」=山口県下関市のあるかぽーと岸壁で、佐藤緑平撮影
[PR]

 まず、自民党の選挙公約を確認しよう。経済政策などと共に示された柱の6番目が「憲法改正」だ。いわく、「現行憲法の『国民主権』、『基本的人権の尊重』、『平和主義』の3つの基本原理は堅持しつつ、憲法改正を目指」すとし、その改正の最重要項目を「自衛隊の明記」としている。安倍首相自身は5月、9条の1、2項を変えずに「自衛隊」について明記する考えを表明している。ただ、どのような条文を盛り込む考えなのかは示されていない。

 「9条に第3項のような形で自衛隊の規定を付け加える場合、現在のところおおむね3通りのケースが想定されています」。こう説明するのは、元山健・龍谷大名誉教授(憲法学)。自民党の掲げる改憲案に反対している千葉県市民連合の呼び掛け人の一人でもある。安倍首相のこれまでの発言のほか、自民党内や首相周辺の議論を基に、元山さんら憲法学者が予想する条文の文言は別表の通りだ。

 元山さんによると、A案は文字通り「自衛隊の存在」を規定する文言を加える形。B案は「自民党が検討する条文のたたき台」として今年6月に毎日新聞が報じた内容とほぼ同一になっている。C案は安倍政権と関係が深いとされる保守団体「日本会議」系列のシンクタンクで議論されていた中身にも通じる案だという。

 「安倍首相の狙いは、集団的自衛権の行使に完全に道を開くC案に沿った条文を加えることではないか、と考えています。安倍政権は2014年に解釈改憲によって集団的自衛権の行使を容認する閣議決定をし、翌15年にはその方針に沿った安全保障関連法を強行的に成立させた。今度は、さらに憲法自体を安保関連法に合わせようという考えなのでしょう」

 もしこのまま実現したら−−。憲法が「権力を縛る」という本来の役目を果たすのではなく、権力が変えた現状を追認してしまう、と元山さんは指摘する。

 安保関連法が施行されている現状で、9条に自衛隊条項を加えると何が可能になるのだろうか。

 「あれだけの反対を押し切って成立させた安保関連法制の使い勝手が悪いという指摘が、保守派の中から出ています。一つは、連立与党である公明党の意向などで盛り込まれた自衛隊の海外派遣の要件。国際法上の正当性や自衛隊員の安全確保などを条件としたものです。もう一つは、憲法9条2項が規定する交戦権の否認です」


F15戦闘機の機体をチェックする整備士=那覇市航空自衛隊那覇基地で、前谷宏撮影
 元山さんが例に挙げたのは、自衛隊を海外に派遣した時の「駆け付け警護」を巡る問題だ。安保関連法に基づく新たな任務で、その内容は、自衛隊が活動エリアから離れた場所にいる国連職員や非政府組織(NGO)関係者らの生命を守るために駆け付け、武器を使用することだ。

 従来の法制度では、正当防衛と緊急避難以外は憲法が禁じた「武力行使」に当たるとされていたが、安保関連法によって、国連平和維持活動(PKO)参加5原則を満たした上での「駆け付け警護」であれば可能と定められた。

 元山さんが解説する。「そもそも『駆け付け警護』という概念自体、英語には該当する表現すら存在しない、日本だけの考えです。この任務で武器を使用すれば、結局、9条2項が禁じている交戦権行使に発展する可能性が高い」

 だが、憲法上の制約は、9条改憲で変わると元山さんは語る。

 「法律には『後法優先』という、後に成立した法が優先する原則があります。ですから『交戦』を禁じた2項が残っても、C案のような条文を加えれば、政府は『国民の安全確保』を理由に実質的な戦闘行為ができると考えるかもしれません。専守防衛の原則が崩れてしまう」。さらに、自衛隊の評価を高めてきた「災害派遣」もなくなるのでは、と指摘する。「自衛隊法3条は、『国の安全を保つため、我が国を防衛すること』を自衛隊の主たる任務とし、続く『必要に応じ、公共の秩序の維持に当たる』という部分を根拠に災害時の活動が行われています。上位法である憲法9条の改正でこうした規定がなくなれば、ただの『軍隊』ができあがることになる」

隊員、危険にさらす懸念

自衛隊の観閲式=埼玉県の陸上自衛隊朝霞訓練場で、宮武祐希撮影
 改憲論者として知られる小林節・慶応大名誉教授(憲法学)は憤っていた。「今の自衛隊加憲論は、本質的な矛盾の解決にはつながらない。国家百年の計としては無責任な議論だと思っています」。長く自民党国防族の政策ブレーンを務めてきたが、今の改憲案は、安全保障上も自衛隊にとってもプラスにならないと断じる。

 改憲で焦点になりそうな交戦権否認については、こう説明する。「主権国家として認められた交戦権の行使をしない意味は重い。国際法上の戦争では軍が他国の兵士を撃っても殺人に当たらない。だが、日本は安保関連法制で、憲法上軍隊ではない自衛隊を、法律レベルで海外に出られるようにしてしまった。他国の軍隊のような行動の自由もないまま派遣される自衛隊には迷惑な話です」

 自衛隊条項を加えてもこの矛盾は残る、というのが小林さんの考えだ。「2項を残したままでは自衛隊をかえって危険にさらすことになる、というのが伝統的な自民党国防族の考えです。安倍首相は、災害派遣などで信頼を培ってきた自衛隊への国民感情を利用して、『こんな頼りになる自衛隊を、憲法学者や左派政党は違憲と言っている。ひどいですね、自衛隊員がかわいそうですね』と訴えているに過ぎない」と批判するのだ。

 さらに、「安倍首相は、今の憲法が嫌いだから一矢報いたいという感情レベルの話なのでしょうか。自衛隊に関する条文を付け加えれば、確かに形の上で『合憲』にすることはできるかもしれないが、問題は解決しません」と言い切る。必要なのは「9条を改正し、個別的自衛権を軸に『国防軍』の役割を明記すること」と小林さんは主張する。

 自衛隊員は、憲法に明記される存在になるかもしれないことをどう受け止めているのだろうか。「防衛大卒で幕僚クラスのエリートの中には喜ぶ人もいるでしょう。ですが、(現場で指揮を執る)陸曹クラスなどは、歓迎していない人も多いと思います。戦争がないに越したことはない、というのが本音ですから」。元陸自隊員で、ベテランズ・フォー・ピース・ジャパン(平和を求める元自衛官と市民の会)代表を務める井筒高雄さんはそう話す。

 1988年に入隊し、91年に最精鋭部隊である陸自レンジャー隊員となったが、PKO法の成立を機に、93年に依願退職した。安倍政権の姿勢に疑問を感じている。「安保関連法制を審議した時は、憲法学者や国民の多くが反対する中を強引に成立させたのに、今度は、憲法学者違憲と言うから憲法を変える、というのはダブルスタンダードに映ります」

 安保関連法制によって、自衛隊の海外派遣の仕組みが作られ、多くの国民が支持する被災地での任務とは180度違う任務が恒久法の中に位置づけられている。「北朝鮮のミサイル開発などで、国民が自衛隊の新たな役割を期待していて、そのために憲法を変えようというなら分かります。しかし、今の議論はそうではなくて、憲法で縛りをかけられているはずの政治家の側が憲法を変え、海外で戦える自衛隊にしようとしている。隊員に戦場で死ぬ覚悟を求めるのであれば、隊員にも家族にも、国民にもそのことを示すべきです」

 組織論の観点から、高良(たから)鉄美・琉球大大学院教授は警鐘を鳴らす。「現憲法に書かれている行政組織は、内閣と会計検査院だけです。そこに『自衛隊』と明記されれば、それは憲法上の機関になる。それがどれだけ大きな意味を持つかを考えなければいけません」

 その意味を、近年、与那国島への陸自基地建設など先島諸島への配備計画が加速している沖縄で説明する。「人口の多い沖縄本島で配備増強となると、反対運動は大きいでしょう。だが、人口の少ない島に自衛隊が配備されると、人口比で隊員が圧倒してしまう。そうした状況で自衛隊憲法上の存在になれば、自衛隊の配備自体に反対することが問題視される危険性がある」

 辺野古の米軍新基地建設に対する反対運動が続く沖縄では今、自衛隊の加憲論議は目立たない、と高良さん。だがこの先、自衛隊の存在が憲法上認められたら、基地問題に苦悩する沖縄はさらに混乱する可能性があると懸念する。「自衛隊には予算面でも装備面でも大きな質的変化が生まれるでしょう。けっして良好とはいえない日中関係を考えると、沖縄への自衛隊配備増強は、むしろ緊張を高めかねません」

 戦後日本の平和主義の根幹を形作ってきた9条。改憲論議が拙速なものにならないよう注視したい。

 <日本国憲法9条>

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又(また)は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 (元山さんら憲法学者が想定する「9条第3項」の例)

3 A案 前項の規定は、自衛隊の存在を妨げるものとして解釈してはならない。

  B案 前項の規定は、我が国を防衛するための必要最低限度の実力組織としての自衛隊を設けることを妨げるものと解釈してはならない。

  C案 前項の規定は、国際法に基づき、我が国の独立と平和並びに国及び国民の安全を確保するために、内閣総理大臣を最高指揮官とする自衛隊の設置を妨げるものではない。
    −−「特集ワイド 9条2項+「自衛隊」=交戦OKか」、『毎日新聞』2017年10月27日(金)付夕刊。

        • -


特集ワイド:9条2項+「自衛隊」=交戦OKか - 毎日新聞