覚え書:「特集ワイド 「ノーベル賞疲れ」小説に−− 春樹さんを解放せよ 「ファン」加藤典洋さん訴え」、『毎日新聞』2017年10月30日(月)付夕刊。

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特集ワイド

ノーベル賞疲れ」小説に−− 春樹さんを解放せよ 「ファン」加藤典洋さん訴え

毎日新聞2017年10月30日 東京夕刊

村上春樹さんのノーベル文学賞受賞を期待して集まったファンら。カズオ・イシグロさんの受賞決定の知らせを聞き、クラッカーを鳴らして祝福した=東京都渋谷区で2017年10月5日、小川昌宏撮影


加藤典洋さん=太田康男撮影
 「世界中探しても、ノーベル賞にこれほど痛めつけられている人はいませんよ」。小説家、村上春樹さんのことだ。「長い拷問からもう解放してあげるべきだ」と文芸評論家、加藤典洋さんは訴える。【藤原章生

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ユーモア消え「消化不良感」
 今年は英国人作家、カズオ・イシグロさんに決まったノーベル文学賞。毎年秋になると、英国のブックメーカー(賭け屋)が受賞予想を発表し、村上さんの名前が必ず上位に出てくる。これを受け、期待に満ちた報道が恒例になっている。

 「騒ぎがひどくなったのは『海辺のカフカ』の英訳版が出て『ニューヨーク・タイムズ』の今年の10冊に選ばれた2005年ごろからです。それから数えれば12年。2〜3年なら『残念だったねえ』で済むんですが、『今年もダメでした』をこんなに続けられたらハラスメントです。10年を過ぎたらもう拷問でしょう。他の国で、これまでこの賞でこんな目に遭った作家っていないんじゃないですか。どんな人間でも参るはずです」

 日本人は一般的に世界の晴れ舞台での同胞の活躍を殊の外、好む。クロサワ、オザワ、イチローの活躍は彼ら個人の業績だが、それを「日本人の誇り」と我が事のように喜ぶ傾向が強い。イシグロさんの人物評でも、彼の中にあるかもしれない「日本人性」に着目する血統主義的な報道が目立つ。

 村上さんはそんな日本人気質の被害に遭っている形だが、加藤さんは、これには致し方ない面もあるという。

 「ある意味では人気がありすぎ、売れすぎるんです。これは本人の責任ではないともいえるが、彼の小説の主人公のせりふを借りれば、『いや、お前のせいさ』というところもある(笑い)。なにしろ読者を大事にする小説家ですからね。どうしても多くのファンが受賞を期待するし、メディアも出版社も騒ぎ立てる」

 本人は気にしているのか。

 「気にならないはずはありません。安部公房(故人)はノーベル賞の障害になると編集者に言われ、離婚ができなかったと伝えられていますが、村上さんはそういうタイプだとは思えない。とはいえ、このところの作品は気になります」。ノーベル賞との関連はわからないが、最近の作品には停滞、疲れを感じるという。

 「本当にこの人は今、しんどい立場にあると思う。『安倍1強』じゃないけど、皆が遠巻きにしている。心ある雑誌でも充実した、踏み込んだ(批判的な)村上特集をやって、現状に風穴を開けるくらいのことをすべきです」

 これまでは一貫して評価してきた人たちも、そうなれば、全力で批判を試みるだろうと言う。「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(13年)と「騎士団長殺し」(17年)。最新の長編2作品はともに力作で、引き込まれたものの、不満がないわけではないからだ。「全般にかつてあったユーモアがなくなったし、終わり方が中途半端です。消化不良感がある」と評する。

 「色彩……」は、若かったある日、共同体のようだった男女4人の親友から突然、絶交を言い渡された主人公の物語だ。その16年後、彼の水先案内人のような年上の恋人から、絶交の経験が傷になっていると指摘され、自分が排除された理由と、自分自身を探っていく。

 「最後にフィンランドに暮らす友人から、恋人に正直に好きだと言いなさいと言われ、その助言に従いますが、自分のことで頭がいっぱいなので、告白される相手への配慮がない。そこから生まれるマッチョ(男性中心主義的)な感じを相殺するためか、最後、今度は希望をにおわせるきれい事で終わっています」

 「騎士団長殺し」は肖像画を描くことをなりわいとする画家が主人公。妻を寝取られ孤独と向き合うところから物語は始まる。傷心を認めないクールな姿勢は「ねじまき鳥クロニクル」など他作品にも見られる、おなじみの内面世界だ。そんな彼が借家の屋根裏で、ナチス支配下オーストリアで暮らした画家の作品を見つけ、周囲が一気に動き出す。主人公が少し成長する形で終わるのは前作に近いが、やはりこの終わり方も、加藤さんには物足りない。

 「最後になってなぜか妻を許してよりを戻し、父親が判然としない妻の子を大事に育て、平凡な人間に戻るところがこれまでになく、新鮮です。でも、そこで終わっている。続編があると書評に書いたのですが、ありませんでした(笑い)。なぜ妻と和解できたのか。なぜ芸術を捨て俗の世界に戻るのか。その辺り、文学になる一番大事なところが書かれない。だから、新しい展開の感じに乏しい」

 小説とは「書かれるもの」ではないだろうかと加藤さんは言う。人間が書くものではなく、小説がその力をもって、人間に書かせるものだと。「1Q84」(09〜10年)でも続編を期待したが、「今度の小説でもその先はなかった。私の中では打率が下がっています」。

 「騎士団長殺し」にはアウシュビッツ南京大虐殺の話が出てくる。

 「たとえば第1部の終わりに収容所の話が出てきますが、小説家がこういう問題に触れる場合、ちょこっとエピソード的に中途半端な使い方をするのは、よくないと思うんです。第2部を期待させるのに据わりがいいから使ったと思われても仕方がない。どこかに当事者がいて、もし読んだら、イヤだと思うでしょう」

 これも近年の作品の「疲れ」と、加藤さんは感じている。

 ただし、村上作品の魅力は物語の一貫性やつじつまにあるのではなく、1ページ目からすっと主人公の内面世界に読者を引き込む平易ながら独特な語り口と、数ページ読んだだけで、読み手の夢までをも占領するような喚起力だ。ダビンチが未完成作品をいつまでも持ち歩いたように、作品の完成度はさほど意味がない。そんな私見をぶつけると、加藤さんは「それは彼に対し、とても上等で親切な見方ですね」と笑い、こう続けた。

 「僕は初期の作品から彼を評価し、何冊も作品論を書いてきたファンです。この後、もう一つ大きな仕事ができる大きな作家であることは間違いない。だからこそ、真剣につきあいたい。ノーベル賞騒ぎは確かにきつい試練です。何しろ受賞するまで終わらない。不愉快きわまりない。同情しますが、これも一つのチャンスだと受けとってもらいたいと無責任ながら思います。もう来年から騒がない、と宣言する新聞や雑誌、書店が出てくると、日本の文化のためには面白いんですけどね。僕も少なくともこれを機に、ファンとして、ノーベル賞騒ぎには以後『ストライキ』の沈黙で臨むことにします」

 もう一度、あっと驚かせてほしいと、加藤さんは願っている。

 ■人物略歴

かとう・のりひろ
 1948年生まれ。村上春樹作品は「羊をめぐる冒険」(82年)で衝撃を受けて以来、批評にあたる。村上論に「村上春樹イエローページ」「村上春樹は、むずかしい」など。近著に「もうすぐやってくる尊皇攘(じょう)夷(い)思想のために」。
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