覚え書:「ニッポンの宿題 原発事故と私たち 野村修也さん、吉原毅さん」、『朝日新聞』2017年11月03日(金)付。


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ニッポンの宿題 原発事故と私たち 野村修也さん、吉原毅さん
2017年11月3日

写真・図版
野村修也さん

 東京電力福島第一原発の事故から6年半。避難者は依然5万人を超え、廃炉時期も見通せない一方、東電の柏崎刈羽原発の再稼働を認める手続きが進んでいます。未曽有の原発事故の教訓と、事故の背景にある日本社会を変える手がかりはどこにあるのか考えます。

 ■《なぜ》なれ合う無責任体質、あらわ 野村修也さん(中央大法科大学院教授)

 東京電力福島第一原発の事故原因を解明する「国会事故調査委員会」の委員として2011年12月から半年、調査に関わりました。

 原発事故の本質的な原因はどこにあったのか。それは、高度経済成長期を支えた日本の社会構造や、それを当たり前としてきた日本人のマインドセット(思い込み)にあったのではないか、というのが私たちの結論でした。

 東京電力は、事故前から、敷地の高さを超える津波が来たら、全電源喪失の危険があることを認識していましたが、津波は来ないという証拠集めに時間を割き、防潮堤の改良や電源の移設を先送りした。事故が起きるリスクよりも、市民運動や訴訟で原発が稼働できなくなることを「経営上のリスク」としてとらえ、本来のリスク管理を掛け違えていたのです。

 東電内にもこの掛け違いに気づいていた人はいたはずですが、声は上がりませんでした。長いものに巻かれろ。自分の仕事以外には口出しせず、波風を立てない。言えば、責任を取らされるので極力黙っている。その無責任が苛烈(かれつ)な事故につながりました。

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 東電の誤ったリスク管理に対し、行政は、「事故が起こるリスクこそ重要だ」と言うべきでした。しかし、行政の担い手である官僚は数年ごとに代わり、付け焼き刃の知識しかありませんでした。パンドラの箱を開けて東電と緊張関係を生むよりは自らの任期を大過なく乗り切ろうと、事業者に支えてもらう道を選んでしまった。波風を立てないという心理は行政も同様でした。原発という、ひとたび事故が起きれば人の命に関わるものなのに、それを扱う態勢になっていなかったのです。

 東電と行政はなれ合い、むしろ専門知識の差を背景に、両者の立場が逆転して規制が骨抜きになりました。行政は東電の要望に屈し、事故の予防策を先送りにしていました。

 事業者と行政とのゆがんだ関係を目の当たりにし、私は、日本社会の病巣が原発事故という形で一気に明るみに出たと思いました。

 護送船団方式と言われた、かつての金融行政も同じ図式です。大蔵省の役人への過剰接待がニュースとなりました。金融機関と運命共同体化した大蔵省は、不良債権の処理を先送りし、最後は多額の税金を投入して国民にツケを回す、という失態を招きました。

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 原発事故を経て、行政のあり方が変わったのかといえば、あまり変化はない。原子力規制委員会ができて行政の専門性は高まったといえるでしょう。しかし逆に今度は専門領域の狭さから、住民避難など専門以外のことには沈黙を貫くという問題も生じています。

 国民の方も自覚が乏しく、「行政が何とかしてくれる」と行政に任せきりにしながら、事が起こると行政のせいにする。この体質は原発事故後も変わっていません。

 これを国民性といってしまえば、変えようがないのかもしれませんが、社会の仕組みが変われば崩せないものではない。これまでは一つの会社に勤め続け、年功序列で出世するという仕組みだったからこそ、長いものに巻かれていた方が得だったのです。しかし、社会が多様性をもち、人材が流動化していけば、自らの意見に責任を持つことが尊重され、意見を言わないことが無責任とされる社会に変わるはずです。

 他方、斜に構えて何事にも批判的態度をとることが「知的だ」というのも日本人の思い込みだと思います。人口減少が進む日本で取り得る政策的な幅は大きくない。限られた時間軸の中でできることを提言しあい、建設的な議論を積み上げること。これこそが、日本人のマインドセットを打ち破る道なのではないでしょうか。

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 のむらしゅうや 1962年生まれ。弁護士。専門は企業統治金融庁顧問や年金記録問題の検証委員も務めた。

 ■《解く》流されない個人、自ら行動を 吉原毅さん(城南信用金庫元理事長)

 2011年4月1日、信用金庫として、脱原発宣言をしました。

 被災地を支援するなかで、福島第一原発の事故の影響で、営業区域の半分が立ち入り禁止区域になり、店舗の半数を閉めざるを得なくなった信金があることを知りました。地域の人々の生活や企業の活動をそこまで変えてしまう原発のおそろしさに気づいたのです。

 あれから6年半。福島の原発事故を機に、各国で自然エネルギーの技術革新と普及が進み、世界は大きく発展しています。一方、当事国の日本は乗り遅れている。電力会社、大株主、大手金融の3者の反対で原発をやめられない。衆院選でも大きな争点にならず、人々もそれを許していると思います。

 原発事故とその後の社会状況には、日本が抱える問題が集約されています。前例にとらわれ方向転換できない「官僚主義」、地位とカネにしがみつく「サラリーマン化」。そして、生きる目的や正しさを見失い、誰もが損得だけで動いてしまうようになる「大衆社会化」です。日本人は人がよいが論理を軽視する。周囲に流されやすく、大衆社会化が進みやすい。その中で原発も忘れられていく。

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 日本の大衆社会化は明治維新以降、昭和にかけて進みました。戦争中の軍部もしかり。陸海軍は戦争に負けることを知りながら止めようとせずに開戦に突入した。官僚主義が戦争を招いたのです。

 40年前、私はオイルショック後の就職難で他社に受からず祖父の勤めていた信金に入りました。後ろめたさがあり、頭を下げてばかり。しかし、自分にも得意な領域があると思いつき、哲学、宗教学を経営に、数学を、外国為替や投資に応用しました。

 折しも、金融自由化・国際化の時代でした。当時、信金業界のドンだった3代目理事長の小原鉄五郎の金融制度調査会での原稿を書くようになり、金融業界で何が起こっているのかを、徹底的に考えるようになりました。そして、今起きているのはお金の暴走だ、という私自身の結論に至りました。

 原発事故で浮き彫りになった日本社会が抱える官僚主義、サラリーマン化、大衆社会化――という問題を解決するために、魔法のような解決策はないと思います。

 一人ひとりが社会全体を引き受け、自分の頭で考え抜き、行動する。意見が違う人を排除せずに話し合い、共有できる理想を見つける。それこそが、周囲に流されないための防波堤になるのです。

 金融自由化が進むなかで、私は1994年、懸賞金付き定期預金を業界で初めて開発しました。今までにない夢のある金融商品を、という発想から考えたもので、大ブームとなりました。

 当初、大蔵省と護送船団行政に守られた業界は「前例がない」「秩序が乱れる」と猛反発。私は法的に正しいことを示し、業界こそ独占禁止法違反だと反論し、国民の強い人気に支えられて乗り切りました。行政のほうばかり向いていた大手銀行はその後、一斉に不良債権問題に苦しみました。

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 やっかいなのは大企業の経営者、官僚、政治家のサラリーマン化です。人は地位とカネに恵まれると、それにしがみつき理想を失う。私が理事長になったとき、役員を60歳定年とし、自分の年収を支店長以下に引き下げました。地位とカネにとらわれないと、自由な発想で仕事ができる。脱原発宣言をする勇気も生まれました。役員間の議論も活発になりました。

 意見が違う相手とも議論をし、共通の理想を探り、現代社会の病理である大衆社会化を止める。電力会社や行政、政治だけでなく、私たちにも努力が必要です。そうした姿勢が、原発の事故に学ぶということだと思います。

 (聞き手はいずれも三輪さち子)

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 よしわらつよし 1955年生まれ。2010年11月理事長就任。現在は顧問。自然エネルギーの推進に向けた活動に関わっている。
    −−「ニッポンの宿題 原発事故と私たち 野村修也さん、吉原毅さん」、『朝日新聞』2017年11月03日(金)付。

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