日記:「宗教的寛容」との出会い

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 「ブリーフ・スケッチ」には、条約改正を目指す日本に対して米欧諸国から予想される質問と、それに対する回答までが記されている。いわば想定問答案でもある。そのなかの一つに宗教問題がある。西洋諸国からは、当然、キリスト教の禁制が問われる。それに対してフルベッキは新政府も禁制の維持を明らかにした「五榜」の布告は近く廃止の見込みという回答を勧めている。
 それに加えて末尾には「宗教的寛容に関するノート(Note about religious toleration)」と題する一文が付加されている。同ノートで注目される記述は、まず、フルベッキが日本の識者との話のなかで気づいた感想として、彼等が、ヨーロッパ人たちが「宗教的寛容(religious toleration)」と称している内容に誤解があるとの指摘である。その誤解とは、政府が西洋の宗教を公認し人々に勧めることになるとの思い込みである。
 ここで“religious toleration”と記されている言葉は、人によっては「信教の自由」と訳している(たとえば高谷道男『フルベッキ書簡集』新教出版社、一九七八)。だが、フルベッキはいう。「宗教的寛容」とは、特定の宗教を勧めることではなく、その国の法律を犯したり不道徳に走らない限り、あらゆる宗教に対して、それを信じて礼拝を行うことの許容であると。
 すなわち、キリスト教プロテスタントカトリックをはじめ、仏教、儒教、または他の何教であれ、その信仰のために迫害されないことである。これは、いわば、長い宗教をめぐる争いの歴史の結果、西欧人の学んだ生活の叡智とみているといえる。
 さらに、使節団が、西洋諸国で行われているキリスト教の実態の観察を通じて、キリスト教が、決して日本で案じられているような危険なものではないことを学ぶ必要を、フルベッキは勧めている。
    −−鈴木範久『信教自由の事件史  日本のキリスト教をめぐって』オリエンス宗教研究所、2010年、19−20頁。

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