覚え書:「フロントランナー 若松英輔さん 「書くことは自分が何者かを知る行為」、『朝日新聞』2017年11月04日(土)付土曜版Be。

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フロントランナー 若松英輔さん 「書くことは自分が何者かを知る行為」
2017年11月4日

写真・図版
講座や講演は月20回ほど。「演者である僕と客席とのあいだで起こる、言葉の化学反応が楽しみなんです」=東京・代官山の蔦屋書店

 (1面から続く)

 ――言葉と向き合う。慌ただしさや、情報社会の中で忘れられています。

 言葉は本当にいろいろな側面があります。人を傷つける。解釈一つで、いかようにも変わる危うさをはらむ。語りえないものも数限りない。悲しみもそうですが、たとえば美しい絵を前にすると、言葉なんかいらなくなりますよね。

 そうした不完全さの一方で、言葉に宿されているものは、とても確かです。

 たとえば改憲。単に言葉が変わるだけにみえて、一人ひとりの世界観を大きく変革する出来事でしょう。賛否は別にして。

 ――言葉をめぐって、ご自身で気をつけていることはありますか。

 「感じたこと」を語るようにしています。考えは変わるし、思いは移ろいやすいけれど、感じたことは生きて得たものだから、確か。ワインのように時間とともに深まっていく。

 平易に書くことも自戒していますね。思想や文学批評の言葉は概して難しいですが、真理はだれにとっても真理でなければいけない。たとえば文字の読めない人にとっても。

 影響を受けた芥川龍之介小林秀雄プラトンの3人は、民衆の中に大切なものがあることを見据えていました。知より情を重んじる人たちでもあった。叡知(えいち)が情と離れては役立たないことを学びましたね。

 ■善悪より真実を

 ――民衆。クラシックな響きのする言葉です。

 いま大衆にのみ込まれ、区別がつかなくなっているかもしれません。

 僕の解釈では、大衆は群れた塊だけど、民衆は一人で立つ。個別の経験から普遍的なことを語る人たち。いま民衆の言葉を取り戻さなければならないと思う。

 象徴的なのが、石牟礼道子さん。お勉強ではなく、生きて、自分で探って、言葉の海に潜る。だから、彼女の言葉には、誰にもまねできない強さがある。

 ――評論家でなく批評家と名乗るのは?

 いい悪いを語るのが評論家ですよね。僕はそこには興味がない。それが「何であるか」が知りたいので、批評家と考えていて。

 時事的な問題に即応するようなことも、あまり関心が持てないんです。時代を超えて変わらないものは、追求したいのですが。

 すごく偏っていて、読んでいない本もたくさんありますよ。自分にとって切実な本だけを読み、ここまで来ちゃった、という感じ。なぜ読むかといえば、自分に問題が多かったから。

 ■無知を知る機会

 ――本が売れなくなって書店の数も減る一方です。

 たくさん読むことは、さほど重要ではありません。

 ただ、読書は自分の不完全さを認識させてくれますよね。知には、自分が完全に近づいていると思い込ませる落とし穴がある。逆です。こんなにわかっていない、と知る機会なのです。

 ――本は読まない、でも自分のことを書きたい人が多い時代といわれます。

 読むと書く、は本来、呼吸のようなものです。少し読めば、自分の考えなんて、2千年前にプラトンも言っていたことがわかる。そうすると、いい感じで「私」が消えていく。本当に言いたいときに、私は、と書くようになる。

 僕が言う「書く」は、あらかじめ頭の中にあるものを文字化することではありません。それはメモでしかない。書いてみて初めて、何を考えているか、自分が何者かを知る行為。わからないから、書く。

 ――カトリックの信仰をお持ちです。

 母に連れられ、子供のころから教会に通っていました。母からは、「知ること」より「信じること」の意味を学んだと思います。信じればいい、ではなく、信じてみなければわからない世界があることを。

 それから大学時代、井上洋治神父と出会ったのは大きかった。遠藤周作さんの親友だった方で、信仰の外にいる人々との対話こそ大切だと、教えられました。井筒俊彦さんを読むことを勧めてくれたのも、井上神父です。

 ――文筆業と経営者。両立は大変そうですね。

 僕をしかってくれた前の会社の上司が、亡くなる前に病床で、立ち上げた会社のことをほめてくれた。それがいつも頭にあります。

 そのとき、会社は大きくしてはいけない、本当にやりたいことができなくなるよ、とも助言された。大切に思っていることを貫く、量ではなく「確かに」やるという、現在の目標につながっています。

 いま思えば、仲間を集めて会社をおこす頃から、言葉の萌芽(ほうが)があった。書くことと、日々、会社で働くこととは矛盾しません。仕事を通じた試行錯誤の中から、気づきは生まれる。

 「読むと書く」の受講生の方たちにも感じるのですが、仕事や家庭や地域で果たすべき役割を持つことは、むしろ言葉との関係を深めているんじゃないかと思いますね。

 ■プロフィル

 ★1968年、新潟県糸魚川市生まれ。ザリガニ捕りや野球が好きで、神父になるのが夢だった。

 ★電気炉製造の会社の経営にかかわっていた父の教育方針で、高校から下宿生活。2年時に米国ボルティモアへ。

 ★88年、慶応大文学部仏文科入学。「三田文学」で安岡章太郎遠藤周作坂上弘らと交流=写真(中央が坂上氏)。井上洋治神父のミサも出席。

 ★92年、介護・育児用品の会社に。

 ★02年、ハーブ販売の会社(現・シナジーカンパニージャパン)を設立、代表取締役

 ★07年、中断していた文学活動を再開、論文「越知保夫とその時代」で三田文学新人賞。

 ★11年、初の単著「井筒俊彦 叡知の哲学」を発表。13年〜15年、「三田文学」編集長。

 ★最新作は「言葉の羅針盤」。須賀敦子論始め、文芸誌などに連載7本をもつ。「読むと書く」講座は東京・下北沢ほかで。

 ◆次回は、テレビ朝日のゼネラルプロデューサー、内山聖子(さとこ)さんです。「ドクターX 外科医・大門未知子」など、人気ドラマを数多く手がけてきました。
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(フロントランナー)若松英輔さん 「書くことは自分が何者かを知る行為」:朝日新聞デジタル