日記:人間性は、自己自身の到達し(言語や理性のような)人間的才能にふさわしい有意義な生活を送ろうという、つねに冒険的な人類の企てなのである。


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 人間性とは、一般には文字通り、他のあらゆる生物から人間を区別するもの、つまり人間の本性または本質を意味している。ところが、人間は、本性的には特定の行動様式や生活形態に固定されてはいない。動物とは異なって、器官に欠陥があり、本能にも縛られていない代わりに、われわれは、限られた自然法則や、特殊化した器官や本能とか、多かれ少なかれ閉ざされた生活空間や経験の空間などによって、限定されているのではない。器官や本能に欠陥があり、また知性をもっているため、人間は、異常なほど広い活動の場を有する、世界に開かれた存在なのである。その活動の場において、個人としても集団としても、きわめて多様な発展を遂げ、生活してゆくことができる。ところが世界開放性はまた、自分自身の長期の幸福という観点だけからでも、さらには社会的、政治的なパースペクティヴにおいて見た場合でも、良い生活に達し得ないことが人間にはあり得るということをも意味している。成功か失敗かという原理的な二者択一から言えば、人間性は、失敗ではなく成功した、しかも優れた成功した人間的生活の理想を意味している。
 このような生活への能力を、人間は、生物学的過程によって獲得するのではなく、教育や修養、自由な性格を創出することによって初めて獲得する。したがって、成功した真実の人間存在の理想としての人間性は、経験的な現状を表しているのでもなければ、既存の模範を表しているのでもない。むしろ人間性とは、形成や自己発見、自己投企の果てしない過程をつうじて、人間本質を厳密に確定し、個人的衝動から人間を解放すべきであるという、人間的素質の教育に課されている課題を表している。
 人間性は、自己自身の到達し(言語や理性のような)人間的才能にふさわしい有意義な生活を送ろうという、つねに冒険的な人類の企てなのである。人間性は、人間の弱さや、無力、卑しさや悪意を意味するのではなく、このような誘惑にもかかわらず、自己実現と協同によって自己を規定するという、規範的な指導理念を意味している。このような指導理念の本質には、人々の個人的、社会的、文化的な多様な諸条件や関心、考え方に対して開かれているということが含まれている。したがって必然的に、人間性は、内容的には限定されていない概念である。
    −−オトフリート・ヘッフェ(青木隆嘉訳)『倫理・政治的ディスクール法政大学出版局、1991年、85−86頁。

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