覚え書:「日曜に想う 憲政の神様から、71年後の国会へ 編集委員・曽我豪」、『朝日新聞』2017年11月26日(日)付。


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日曜に想う 憲政の神様から、71年後の国会へ 編集委員・曽我豪
2017年11月26日
 
写真・図版
「目が覚めて」 絵・皆川明

 最近こんなに驚きかつ戦後政治の無為につき考えさせられたことは他にない。

 終戦からほぼ1年後の昭和21(1946)年8月24日、帝国議会衆院本会議で憲法改正案を討議、通過させた。明治憲法と戦後憲法が交差する歴史の節目に登壇したのは、「憲政の神様」こと、尾崎行雄(1858〜1954)である。

 そのさわりは、「言論と日本人」(芳賀綏〈やすし〉著 講談社学術文庫)で知ってはいた。だが今回会議録で全文を読み通したのは、昨今の政党政治にいささかがっくりきて、何か光明のヒントをと探してのことだ。北朝鮮危機が迫るなか、政権選択の衆院選を終えても、与党は野党の質問時間を減らそうと躍起になり、野党は離合集散に汲々(きゅうきゅう)としている。これで真っ当な憲法改正論議が出来るのか。

 仰天したのは、71年前に日本政治の行く末を案じて叱咤激励(しったげきれい)する演説の論点のいずれもが、そっくりそのまま今日なお課題として残されている現実だった。

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 のっけから翁は挑発する。「良い憲法さえ作れば国が良くなるなどという軽率な考えをもってこれにご賛成になりますると、非常な間違いである。憲法で国が救われるならば、世界に滅亡する国はありませぬ」と断じ、何よりこの国の「官尊民卑の弊習」を問題視し、議会民主主義の本質へと論を進める。

 「元来民主主義となる以上は、国家の政治の主体が議会になければならぬ、立法府が国家の政治の主体となって、行政府はその補助機関とも言うべき位置に立つのであります」。新憲法により首相の選出まで立法府に移る時代の変化を踏まえて翁の論じ立ては痛快だ。

 大臣及び政府委員の席が高い「不都合な」議場から改造せよと迫った会議録には賛意を示す議員らの声が残る。あえて翁は教育に「恐らく二代、三代以上」掛けねばこの弊習は改まらないとしたが、改造ひとつとっても実現はしていない。

 返す刀で政党にも容赦ない。「国家を背負って起(た)つだけの抱負がないから、詰まらぬことで喧嘩(けんか)をして、内閣でも倒せば非常な手柄であるかの如(ごと)く心得て居る」。西郷・大久保から大隈重信伊藤博文原敬らまでポンポンと名前を挙げて「私は一生涯ほとんど政党のために尽力した」と言う神様が「ただ自分たちの一身の利害栄辱を考えて離合集散する所の徒党は何時でもできる」「党員というものは、党議に縛られれば正邪曲直を問わず、良心を捨てて党議に服従します」と喝破する。議場はその都度「拍手」で応じるばかりだ。

 ただ、自省に続く提言は今日こそ痛切に響く。「殊に国家が今日の如く難境に陥って居る時には、議論等に違った所があっても、延ばすことが出来るものは出来るだけ延ばして、目下の急務だけを互いに助け合って国を救うということをとらなければならぬ」

 疑惑や問題の追及よりも倒閣が先に立ち、いざ解散となると政策より当選が大事の選挙互助会と化す野党。解散で行政府の「一強」を固めればそれで良し、立法府のチェック機能など顧みもしない与党。併せて結果、この国の政党政治は翁の嘆きのまま今もなお、「国難」に際し合意形成の力と意思を欠いたままだ。

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 当時の朝日新聞は表裏2ページの一枚紙でしかない。だから余程感じ入るものがあったのだ。朝刊でわが先達は、表面の議会記者席というコラムで「傾聴させた苦言 大臣席をも槍玉(やりだま)」と見出しを立て、裏面でも演説写真を付け翁の言動と心境を詳述した。「やあ芦田君、憲法を有難(ありがと)う」と芦田均憲法改正案委員長に声をかけ、古いボストンの革カバンを引っさげ壇上へ。「声が多少かすれているだけで青年のように若い」30分間の演説の様子がまざまざと浮かぶ。白眉(はくび)は、末尾にある側近者の証言だろう。政治家と記者双方の歴史への想いが重なりにじむ。

 「先生は実はきょうはこんな苦言や悪口をいえばやじり倒されるに違いない、やじり倒されても速記録にとどめてさえ置けば後世の国民がいつか分ってくれる時があるという悲壮な気持で登院されたのです」
    −−「日曜に想う 憲政の神様から、71年後の国会へ 編集委員・曽我豪」、『朝日新聞』2017年11月26日(日)付。

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(日曜に想う)憲政の神様から、71年後の国会へ 編集委員・曽我豪:朝日新聞デジタル