覚え書:「耕論 NHK受信料は義務? 平野裕之さん、今野勉さん、吉田潮さん」、『朝日新聞』2017年12月05日(火)付。


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耕論 NHK受信料は義務? 平野裕之さん、今野勉さん、吉田潮さん
2017年12月5日


イラスト・田中和

 NHKを見なくても、テレビがあれば受信料を払わなければいけないの? 長年続くこの論争に、最高裁が6日、初めて結論を出す。受信料制度、公共放送はどうあるべきか。

特集:NHKの受信料
 ■契約者のみ視聴の体制を 平野裕之さん(慶応大学法科大学院教授)

 最高裁大法廷では、テレビなどNHKの放送を受信できる設備を設置したら、NHKと受信契約を結ばなければならない、と定めた放送法64条1項が憲法違反かどうかが判断されます。

 一、二審判決を含め、これまでの同種訴訟は、ほぼすべて「公平負担」の観点から義務だとする結論を出してきました。最高裁がこれらの判決を覆し、受信料の支払いは「義務ではない」と判断するとは考えにくい。NHKの番組を見ているのに支払わない人が続出し、NHKの財政破綻(はたん)が必至だからです。

 NHKは今回の訴訟でも、受信料制度が必要な理由として、日本全国にあまねく放送する意義や災害報道の公共性などを挙げてきました。確かに、1950年に放送法が制定された頃には民放がなく、テレビの設置と、NHKの視聴は同じ意味でした。

 ただ、時代は当時とは違います。いまは多数の民放が多彩な番組を流しています。テレビを持つ理由として、「民放やケーブルテレビだけを見たいため」という人や、「ゲームだけをしたいから」という人もいるでしょう。テレビの設置とNHKの受信契約がセットになる現状は、こうした人たちの「テレビを自由に使う権利」の侵害です。憲法違反とさえ言えます。

 これまで出た学説の多くも、放送法の規定は、強制力を持つ法的な義務ではなく、契約を促す努力規定に過ぎないとみなしてきました。憲法が保障する「契約の自由」に基づき、契約は強制できないという考えで、受信料は国民の善意で自発的に払われている、という位置づけです。

 放送技術の進歩で、現在では、WOWOWなどのように、料金を払った契約者だけが受信できるよう、特殊な信号をのせて流す「スクランブル放送」も登場しました。非常時はスクランブル放送を解除し、非契約者に届けることも可能です。受信料を払った人だけがNHKの番組を見られる仕組みは可能なのです。

 私は、受信料制度の改革案として、NHKと契約を結んだ人には受信料の支払いを義務づけ、NHKはスクランブル放送にして未契約者が解除するなどして視聴した場合に罰則を科すよう放送法を改める方法があると考えます。NHKが公共放送としての位置づけを維持するために、新たに法律を制定し、全国民で広く負担する税方式とする方法もあります。

 ワンセグ放送を受信できる携帯電話が普及し、近い将来にはネット同時配信も始まります。テレビを置かず、携帯電話やパソコンで番組を見られる時代なのです。最高裁が出す結論がどうであれ、判決をきっかけに、公共放送の行方を国民の総意で決めるべきだと思います。

 (聞き手・岡本玄)

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 ひらのひろゆき 1960年生まれ。専門は民法。消費者と事業者の紛争を仲裁する国民生活センターの紛争解決委員会特別委員。

 ■公共放送支援、市民の権利 今野勉さん(テレビマンユニオン最高顧問)

 受信料は、義務ではなく、権利だ、と考えるべき、というのが私の立場です。

 電波は、発信されると四方八方、遠くまで届きます。各自が自由に放送局を作って発信すれば、互いの電波は混線し収拾がつかなくなります。ラジオ放送が始まるとき、公の立場から電波を管理する必要に迫られたのは当然です。公共の資源としての電波という認識が生まれたわけです。新聞や雑誌は誰でもどこでも自由に発行できますが、放送はそうはいかないのです。

 NHKは公共放送と呼ばれています。公共とはパブリック、皆のものということです。公共資源である電波を使っているという認識が、パブリックという言葉に込められています。同時に、市民の一人一人が契約という形で受信料を払っており、それによって放送が運用されている意味でもパブリック、皆の放送なのだ、と考えています。市民あってのNHKということです。

 一方、民放は同じ公共資源を使っていながら受信料を取っていません。民放を支えているのは広告主(スポンサー)だけです。商品を買う視聴者は、実際は広告費として負担していますが、直接お金を払っていないので、関与する余地はありません。スポンサーにとって放送は、第一義的には、商品を売るための広告媒体でしかありません。今、民放は、広告費の減少のために苦境に陥っています。支援したいと思う視聴者がいるのではないかと思いますが、その道は閉ざされています。

 受信料の支払いを義務という受動的な立場ではなく、放送を自主的に支えるための市民としての権利と考えるべきです。罰則なしで、市民の自主性に支えられるところに受信料の価値があるのです。

 受信料を払うのは権利だとすれば、その延長に、NHKの番組や経営の在り方に発言したり抗議したりする権利があると考えるのは自然のことでしょう。その手段として受信料不払いもあるでしょう。

 私たちが考えなくてはならないのは、個々人の番組への不満や抗議の手段として不払いを認めてしまうと、自主的な受信料制度が崩壊しかねないということです。なぜなら、視聴者全員が良しとする番組はそうあるものではないからです。

 それでも不払いという抗議の形はあり得るでしょう。そういう場合、ただ支払わないというのではなく、供託金制度のようなものを作ってはどうでしょうか。NHKに払いたくない場合、受信料を一時的に供託できる第三者機関があればよいと思います。その上で公の場で議論するのです。

 受信料を考えるときに大事なのは、払う側と出す側の信頼関係と緊張関係です。

 (聞き手・滝沢文那)

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 こんのつとむ 1936年生まれ。演出家、脚本家、プロデューサー。番組制作会社テレビマンユニオン創立メンバー

 ■「課金制番組」作っては? 吉田潮さん(テレビ評論家、ライター)

 テレビ番組を見てコラムを書く仕事をしているので、NHKはよく見ています。衛星契約にNHKオンデマンドの見放題パックで払っているので、月額3千円を超える計算ですね。でも、決して高いとは思いません。仕事だし、支払っているからこそ、いちゃもんもつけられますし。

 でも若い頃は払っていませんでした。給料は手取りで月12万円、家賃を引いた5万7千円で生活しており、家には寝に帰るだけで、テレビを見る時間もありませんでした。

 支払いは義務か、ですか? どの世代を基準にするかによりますね。よくNHKを見るお年寄りは払って当たり前と骨身にしみているかもしれませんが、若者には負担が大きいです。テレビを持っていない人も増えていますし、テレビを見ない人は本当に見ないと聞きます。すべての受信設備保有者から徴収するのはずうずうしいと思います。

 ただ、NHKが主張する「公共性」の役割は、果たしていると思うし、重要だと思います。NHKは全国で同じ時間に同じものを見られる。地震で揺れるとNHKをつける行動も身についています。災害報道だけでなく国会中継も大相撲もやっているNHKの意義はスゴイことです。

 スポンサーの顔色をうかがわなくていいNHKならではの番組も多いです。いま面白いのは「ノーナレ」。ナレーションをつけないドキュメンタリーって他局でできますか。LGBTや障害者、東日本大震災の被害者に配慮した、一過性ではなく継続した番組づくりもNHKならではです。6年続く「バリバラ」も、いい意味で「いい子ちゃん」としての良さです。

 一方、民放は横並びで個性が乏しい。どのチャンネルをつけても同じようなバラエティー番組ばかり。スタジオに芸人やタレントを大人数出してがやがやさせる。あおり文字を入れ、画面がとにかくうるさい。だから、NHKがやっていることが際立ちます。

 受信料支払率が約80%もあるのは驚きでした。払っているんだ、みんなって。さらに契約してもらわないといけないなら、一部に「課金制番組」をつくるアイデアはどうでしょう。この番組だけは100円余計にかかります、というようにして、呼び込み効果を狙う。「これは見たい!」という番組があれば、普段払っていない人でも契約しておこうとなる。今はいいものにお金を払うという世代が増えている気がしますし、挑戦している番組をつくり、一歩出ようとしているNHKにとってチャンスでしょう。

 受信料はひとりひとりがスポンサーなので、文句も言える。私たちは、期待もするし、行き過ぎがないよう足かせもはめる。すごくいいシステムだと思いますね。

 (聞き手・小峰健二)

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 よしだうしお 1972年生まれ。週刊新潮でテレビ批評を連載。近著に『産まないことは「逃げ」ですか?』。
    −−「耕論 NHK受信料は義務? 平野裕之さん、今野勉さん、吉田潮さん」、『朝日新聞』2017年12月05日(火)付。

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(耕論)NHK受信料は義務? 平野裕之さん、今野勉さん、吉田潮さん:朝日新聞デジタル