日記:西洋史における良心


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西洋史における良心
 英語のconscienceはギリシア思想に由来する長い系譜を有しており、日本では一九世紀末に「良心」という定訳を与えられることになった。文献的に確認される初出はブリッジマン・カルバートソン訳『新約聖書』(一八六三年)と言われている。訳語としての「良心」が『孟子』から取られたことからもわかるように、日本語の「良心」は儒教的な性善説の系譜の中にある。現代の我々が使っている「良心」という言葉に、このような西洋と東洋の思想してき系譜があることを理解した上で、そのハイブリッドな意味合いを積極的に考えてみたい。
 西洋概念としての良心の原義は「共に知る」である。西欧語にあるconscience(コンシエンス)の元になったのは、ラテン語のconscientia(コンスキエンティア)であり、con(共に)とscire(知る)から成り立っている。さらにコンスキエンティアの元になったのはギリシア語のσυνείδησις(シュネイデーシス)であり、やはりσυν(共に)είδω(知る)から構成されている。西洋史においては、ソクラテスからハイデッガーヤスパースに至るまで、良心をめぐる多様な解釈が展開されていったが、良心の原義を「共に知る」として理解しておくことは重要である。その原義のレベルにおいては、日本語の「良心」の語感との差が際立つからである。そこには「良い」「悪い」という価値判断が入っていない。善悪の判断を早々に下すのではなく、まず「共に知る」ということは、善悪や敵・味方のレッテルを貼ることに性急な現代においては、いっそう価値があると思われる。
    −−小原克博「総説 良心学とは何か」、同志社大学良心学研究センター編『良心学入門』岩波書店、2018年、3−4頁。

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