覚え書:「【考える広場】安室奈美恵と私たち」、『東京新聞』2017年12月16日(土)付。


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【考える広場】
安室奈美恵と私たち

2017年12月16日


 四半世紀にわたりトップを走った歌手安室奈美恵さん(40)= 参照=が来年九月、引退する。歌もダンスも切れ味抜群。かっこよさと自分なりの生き方が、ファンの羨望(せんぼう)を集めもした。「安室と私」を三人に聞いた。

◆人生を揺さぶられた 文筆業・鈴木涼美さん
鈴木涼美さん

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 最初の衝撃的な記憶は一九九五年、年末の歌番組でトップバッターを飾った姿。私は小学六年生でした。画面を凝視して、動けなくなった。ビデオテープの爪を折って、繰り返し録画を見て。中学ではダンス部に入り、振り付けをまねて踊ってました。

 彼女は六歳上。ちょうど見上げた先にある理想でした。ああならなきゃ、そのためにどう生きるべきか。安室ちゃんの履いていた、十五センチはある厚底ヒールの上に死ぬほど行きたくて、そこからの景色を見たかった。朝起きたら安室ちゃんになってる夢を何回も見ました。

 受け取ったのは「今を楽しむ」というメッセージ。今、輝くこと以上に優先するものなどなくなった。「学校帰りに渋谷に寄れない青春なんかダメだ」と思って、鎌倉のミッションスクールの女子校から、東京都内の高校へ。女子高生の聖地になった109(イチマルキュー)(渋谷のファッションビル)で十坪しかないギャルファッションの店が、月一億五千万円を売り上げた時代でした。

 厚底って男の人より背が高くなっちゃうでしょ。安室ちゃんの格好は、男に媚(こ)びないファッションなんです。そこがかっこよかった。私も好きな男の子は常にいたけれど、それとは別の自分があると思ってた。

 当時は、制服着て渋谷のセンター街を歩くだけでテレビカメラが寄ってきました。万能感があったけど、期間限定。「今を楽しまなきゃ」って焦燥感がありました。「制服脱いだらうちら終わりだよね」って。十九歳で、ある種の絶望をしたけれど、当然人生は終わらなかった。

 あのくらい高揚感と刺激があって夢中にさせてくれるものを探してキャバクラで働き、AV女優もやりました。同時進行で慶応に行って、東大の大学院を出て、日経新聞に入って。自分は何に重きを置いて生きるのか、どの時点で決めればよかったんだろうと思います。男女平等を当たり前に享受してきた私たちは、何を選べばいいのか分からない。同級生も子どもがいる専業主婦もいれば、大手商社の海外支店で働く独身もいる。

 引退の一報に、九五年のステージを思い出しました。私はピカピカに若かったから、人生が揺さぶられるほどの衝撃を受けた。もう一度選べるとしても、安室ちゃんに出会えないまともな人生より、出会って右往左往している、今のアホな人生を選びたい。

 (聞き手・出田阿生)

 <すずき・すずみ> 1983年、東京都生まれ。慶応大卒。東京大大学院修士課程修了。元AV女優、元日本経済新聞記者。著書に『「AV女優」の社会学』『おじさんメモリアル』『オンナの値段』など。

◆男に媚びない自立心 東洋英和女学院大教授・与那覇恵子さん
那覇恵子さん

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 安室さんにはあまり沖縄のイメージがありません。沖縄という地域と関係なく、一人の自立した女性、アーティストとして認識されている。それは素晴らしいことだと思います。

 沖縄は一九七二年の本土復帰以来、持ち上げられたり、けなされたりしてきました。こうした本土の動きに対し、沖縄の人たちは相反する二つの気持ちを抱いています。本土の人たちが沖縄に抱くいいイメージに喜びを感じ、それに合わせる一方、地元愛から本土を忌避する。

 沖縄を舞台にしたNHKの朝ドラ「ちゅらさん」がブームになった時も、地元では歓迎する声がある半面、批判の声もありました。基地の話が全く出てこなかったからです。実は、私は沖縄風俗の考証でドラマに関わりました。沖縄というと基地ばかりが注目されてきた中で、庶民の生活を取り上げるのもいいと思ったのです。安室さんも、いい意味でかつての沖縄のイメージにこだわらない。本当はこだわっているのだろうけれど表に出さない。

 安室さんの容姿はフィギュアを思わせます。リカちゃん人形みたいな。だけど、ちゃんと意思を持っている。女性的な格好はしているけれど、男に媚びたところが全然ない。ある意味、女性性のイメージを変えましたね。そういう彼女の自立心は沖縄だからこそ養われたとも思います。沖縄の人は平均して結婚が早く、離婚も多い。安室さんも彼女のお母さんも二十歳で結婚し、離婚を経験している。失敗しても若いから取り返しがつくというわけです。だから、沖縄の女は男に頼らない。本土で暮らす沖縄の女性が今は専業主婦をやっているなんていうと「病気ねぇ?」と言われてしまう(笑い)。

 安室さんが沖縄のイメージを良くして、沖縄出身であることを隠さなくても良くなったという話があります。確かに、沖縄出身者は長年、本土に対し劣等感を持っていました。大阪府警の機動隊員の「土人発言」のように本土からの差別も根強い。本当の私はカッとするたちで、地元にいたら力に訴えかねない人間ですが、差別に対して正面から闘いを挑んでもだめだと思うんです。安室さんはそういう私たちの複雑な思いを超えて、一人の人間として存在している。別の闘い方があることを示してくれたと思います。

 (聞き手・大森雅弥)

 <よなは・けいこ> 1952年、沖縄県生まれ。女性文学会・大庭みな子研究会代表。著書に『現代女流作家論』『後期20世紀女性文学論』など。近著に『文芸的書評集』(めるくまーる)。

◆夢くれるアスリート 音楽ジャーナリスト・宇野維正さん
宇野維正さん

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 安室奈美恵は、一九九五年に初の単独名義のシングルを出して以来、ずっとトップアーティストでした。九〇年代後半と比べたら売り上げの数字は落ちていましたが、CDマーケット全体の落ち幅と比べると、驚異的に人気を維持してきました。加えて、彼女の場合、ツアーの動員とそのツアーの映像ソフトの売り上げも、群を抜いていました。

 日本の女性アーティストで、安室のように二十年以上にわたってトップクラスの人気をキープしてきた存在は後にも先にも例がありません。引退発表の前もその人気にまったく陰りはなく、今後も作品を出せば売れ続けたはずです。彼女の歌やダンスへのストイックな姿勢は女性たちの圧倒的なあこがれの対象で、むしろ熱はどんどん上がってきていた。そんな状況で引退を発表したのです。

 なぜ引退するのか。理由はいくつかあるでしょうが、僕は彼女が自分で作詞や作曲をするソングライターではなく、シンガーでありパフォーマーであったことが大きいと思います。つまり彼女は意識としてはアスリートなんです。アスリートはゴールラインがないと走りきれない。運動選手は記録や順位という結果が明確で、いや応なく引退を意識することになりますが、出せば売れる安室の場合、自らゴールを設定せざるを得なかったのでしょうね。

 日本のポピュラー音楽の歴史でいうと、安室の音楽は昔から一定数いた洋楽志向のアーティストといえます。彼女はユーロビート、ヒップホップ、ハウスミュージックといった海外のダンスミュージックの流行をその都度、Jポップに取り入れていきました。実は、全盛期といわれがちな小室哲哉プロデュース時代の約六年間は安室のキャリアの中では浮いていて、それ以外の時期は常に海外の音楽シーンの動向に敏感で、そこが大きな魅力の一つでした。

 十代のころの安室は、ジャネット・ジャクソンに憧れていましたが、やはり彼女は日本のマイケル・ジャクソンだったんじゃないかと思います。メッセージ性ではなくファンタジーを優先する姿勢。社会問題に発言するようなこともなく、夢の世界を人々に見せ続けてきた。今回の引退によって、「平成はSMAP安室奈美恵の時代だった」という日本のポップス史観が、より強固なものになりましたね。

 (聞き手・大森雅弥)

 <うの・これまさ> 1970年、東京都生まれ。上智大卒。音楽誌の編集者などを経て、2008年に独立。近著は『小沢健二の帰還』(岩波書店)。ほかに『1998年の宇多田ヒカル』『くるりのこと』。
    −−「【考える広場】安室奈美恵と私たち」、『東京新聞』2017年12月16日(土)付。

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