覚え書:「街頭政治 SEALDsが残したもの:6)政党か市民か、若者激論」、『朝日新聞』2016年08月24日(水)付。

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街頭政治 SEALDsが残したもの:6)政党か市民か、若者激論
2016年8月24日


今年4月の「東アジア若者会議」に参加したシールズの奥田愛基さん(前列中央)と高野千春さん(後列左から2人目)、台湾「ひまわり学生運動」の林飛帆さん(後列右端)ら=フィリピン・マニラ、高野さん提供
写真・図版
 「マニラで若い世代の会議があるから、来なよ」

 今年1月、東京・渋谷の回転すし屋。SEALDs(シールズ)の奥田愛基(あき)(24)との本の対談で来日した香港の大学生、黄之鋒(19)はシールズメンバーで上智大4年の高野千春(23)を誘った。

 黄は2014年、中国側が示した香港トップを決める行政長官選挙の制度改革案に反発し、繁華街の幹線道路を占拠した大規模デモ「雨傘運動」を引っぱった中高生団体「学民思潮」(解散)の元リーダーだ。

 奥田と高野は4月8日、マニラで開かれた「東アジア若者会議」に参加した。この地域で民主化運動を担う学生団体などのリーダーら約30人が集まり、主に英語でやり取りした。台湾からは、14年に馬英九(マーインチウ)・前政権下での過度の対中接近に警戒心を強めた学生らが立法院(国会)議場を占拠した「ひまわり学生運動」の学生リーダー、林飛帆(28)が参加していた。

 「安全保障の法律に反対するデモを国会前で行ったが、法案は可決された」

 安保関連法は多くの憲法学者から「違憲」と指摘され、世論調査でも8割前後が政権の説明は足りないと答えているのに採決が強行された。若い世代の政治に対する関心は低く、投票率も50%台にとどまる――。高野や奥田がこう説明すると、会場からは「深刻だ。日本は本当にアジアトップの民主主義国家なのか」との声が上がった。

 香港や台湾の参加者たちは「1960年代の日本の学生運動に影響を受けた」と語った。さらに、なぜシールズは解散するのか、なぜ政党を作らないのか、との質問が寄せられた。

 奥田は答えた。「どれだけ新しい政党を作っても、野党がまとまらなければ今の与党には勝てない。政党になるより、市民の側を変える運動が重要だ」。高野も「市民が政治にもっと関わるようにしたい。私たちが目立っても意味がない」と説明した。

 ただ、納得は得られなかった。1月に来日した際、香港の黄は奥田にこう迫っていた。

 「10人の議員を作れば、組織は1千人に拡大する。継続的に影響力を保ち続けるためにはどうすればいいか。シールズはもったいないことをやっている」

 黄は会議の直後、政党「香港衆志」を立ち上げた。政党は、関心のあるテーマだけを訴えればよかった学生団体とは違い、住宅や福祉、教育などあらゆる分野の政策を練らなければならない。選挙には費用もかかる。それでも、黄は言う。「政治は簡単なことじゃない。でも、雨傘運動のリーダーとして香港の民主運動の行く末に責任があると思っている」

 台湾の林も会議後、奥田と高野の宿泊先で、今後の運動について夜更けまで話し込んだ。林は、08年に発足間もない馬政権に対中政策などをめぐって学生らが抗議した「野いちご運動」を取り上げながら、「台湾の運動には長い蓄積があり、ノウハウもある。諦めずに続けた人がいたから、今がある」と語った。

 台湾でも15年1月、運動の流れをくむ政党「時代力量」が誕生している。

 奥田は、香港や台湾では運動に関わる若者や社会人の「層が厚い」と評した上で次のように話す。「日本ではまず、政治に関わる若者の数をもっと増やさないといけない」

 =敬称略

 (延与光貞=香港、鵜飼啓=台北、石松恒)
    −−「街頭政治 SEALDsが残したもの:6)政党か市民か、若者激論」、『朝日新聞』2016年08月24日(水)付。

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(街頭政治 SEALDsが残したもの:6)政党か市民か、若者激論:朝日新聞デジタル


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覚え書:「街頭政治 SEALDsが残したもの:7 市民動かすノウハウ、形に」、『朝日新聞』2016年08月25日(木)付。

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街頭政治 SEALDsが残したもの:7 市民動かすノウハウ、形に
2016年8月25日


野党統一候補の選挙事務所で「選挙マニュアル」を説明するシールズの山本雅昭さん(奥)=6月15日、徳島市、石松恒撮影
 参院選の公示を1週間後に控えた6月15日夕、SEALDs(シールズ)メンバーの山本雅昭(27)は徳島市内にある野党統一候補の選挙事務所にいた。約20人の陣営幹部が座るなか、パソコン用ソフト「パワーポイント」で作った選挙マニュアルがスクリーンに映し出された。

 「選挙を変える。市民が変える。今年の選挙の光景をどのように変えるか」

 山本はマニュアルに沿って説明を始めた。「これまでの選挙は政党やメディアが争点をつくり、市民は投票するだけで、すごく受動的。市民が能動的に関わり、政党と一体となって選挙と争点を作っていく」

 昨年の安全保障関連法に反対するデモに参加したのは全国で約100万人、2014年衆院選で野党に投票した人は約2800万人と想定。マニュアルには「この人たちが動かないと無党派も動かない」と記された。一般市民に応援してもらえるよう、各選挙事務所には「市民の窓口」を設け、担当者を置くことも提案した。

 「日本の政党は組織票を固め、無党派をどう上乗せするかと考える。市民を票としか思っていない。市民をどう選挙に巻き込んでいくかが勝負の分かれ目だ」。山本の説明する言葉は熱くなった。

 マニュアルは4月の衆院北海道5区補選の後、シールズ中心メンバーの奥田愛基(あき)(24)が「補選で試した選挙のノウハウを全部詰め込んだマニュアルを作りたい。それがシールズが最後に残せることなんじゃないか」と提案し、山本がまとめた。

 6人のメンバーが手分けして、全国に32ある1人区の野党統一候補の陣営を回った。九州のように分厚い保守地盤のある地域では、「いくら野党勢力を結集しても組織票には勝てない状況だった」とメンバーの一人、諏訪原健(たけし)(23)は力不足を認める。それでも、野党候補が勝利した選挙区では共闘を後押しした市民の存在があった。

 改選数6の東京選挙区でも変化があった。報道各社の情勢調査で、6番目の議席を争うとされた民進党候補・小川敏夫の事務所に7月、沖縄から来たというTシャツ姿の若者が現れた。

 ほかにも、選挙事務所に姿を見せたことのない若者や女性会社員らが「電話かけを手伝わせてください」と集まってきたのだ。慌てた陣営は急きょ電話回線を増やしたが、それでも数が足りなくなり、残りは携帯電話で間に合わせた。

 仕掛けたのは、小川事務所に常駐していた山本たちだった。「改憲勢力3分の2を阻止するには、東京選挙区で小川さんを負けさせてはならない」。フェイスブックやLINE、ツイッターといったSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を駆使して発信。不特定多数の市民に選挙への参加を呼びかけた。

 小川敏夫新宿事務所の事務局長、浅野克彦(41)はこう話す。「彼らは政党の関係者には分からない、普通の人に伝えるすべを知っている」

 ただ、参院選は野党の敗北だった。マニュアルには、支持獲得に向けて次のような点も列挙されていた。「(1)安保法制以外の生活のイシューにも取り組むことが必要(2)自分の問題だと思っていない人にも聞いてもらえるような取り組みが必要」。いずれも、シールズにとっては課題として残った。

 =敬称略

 (石松恒)
    −−「街頭政治 SEALDsが残したもの:7 市民動かすノウハウ、形に」、『朝日新聞』2016年08月25日(木)付。

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(街頭政治 SEALDsが残したもの:7)市民動かすノウハウ、形に:朝日新聞デジタル

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覚え書:「街頭政治 SEALDsが残したもの:8 異論許さぬ空気と戦った」、『朝日新聞』2016年08月26日(金)付。


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街頭政治 SEALDsが残したもの:8 異論許さぬ空気と戦った
2016年8月26日

最後の記者会見で、記念写真に納まるシールズのメンバーたち=16日、東京都千代田区、関田航撮影
 今月16日にあった解散会見で、SEALDs(シールズ)関西を立ち上げた寺田ともか(23)が語った。

 「私たちが伝えたかったのは誰かに期待するのではなく、個人が自分の責任において行動することの必要性だった。普通の未熟な学生で、ヒーローみたいに社会を変えたいわけでも、完璧な運動体を作りたかったわけでもない」

 メンバーは各地のデモや集会で名前を名乗り、自分の言葉で語った。中心メンバーの一人、山本雅昭(27)も「等身大の自分をさらけだすことは怖い。みんなそれと戦った」。

 活動中、メンバーには批判や中傷が吹き荒れた。「死ね」「ゴミ」「売国奴」――。ネットに書き込まれた発信元は、ほとんどが匿名だった。参院選野党統一候補の応援をした際、地方議員から「就職できなくなるぞ」と言われた女性メンバーもいる。

 昨年9月に安全保障関連法が成立した後、中心メンバーの奥田愛基(あき)(24)のもとには殺害予告が届いた。「この社会で若者が政治的にイエス、ノーと言うことがこんなに大変なのか」。奥田は、異論を許さない社会の「空気」と戦ってきた1年3カ月を振り返った。

 それでも諏訪原健(たけし)(23)は「何かを始められる『参加のプラットフォーム』ができた」と自負する。

 おかしいと思ったらデモをやり、声を上げる。市民が争点を作りだす選挙運動のマニュアル。世代や職業、地域を超えた人たちのネットワーク。そして、新たな仕掛けも試みている。

 安保関連法が成立した直後、奥田は上智大教授の中野晃一(46)に会いに行った。「中長期的にリベラルな視点から市民社会に提言し、情報発信をしていく市民のためのシンクタンクを立ち上げたい」

 こうして昨年12月、シンクタンク「ReDEMOS(リデモス)」が発足した。参院選では、自由に応援演説やビラ配りができず、今の公職選挙法が市民の政治参加を阻んでいると感じた。中野は「市民が政治や選挙に関わる不当な規制が解消されれば、市民社会から出てくる新党もあり得る。政権の暴走を止めるため、どう市民社会が関わっていくことができるのか、リデモスで議論を深めていきたい」と話す。

 参院選後の7月23日。新潟県湯沢町で開かれた野外音楽イベント「フジロック・フェスティバル」で、反核・反原発トークやライブで訴える「アトミック・カフェ」に奥田が招かれた。ネット上では「音楽に政治、持ち込むな」と批判が湧き起こっていた。

 奥田がマイクを握ると、客席にいた38歳の男性から「野党共闘? だったら、お前がやれよ。政治家として出れば」と罵声のような質問を浴びせられた。

 「自分と違う意見の人と話すのは、面倒くさいことなんですよ」。奥田は続けた。「だけど、この面倒くさいようなものを乗り越えていかないと。民主主義って、違う意見のやつとどうやって一緒に生きていくのか。2、3年前だったら、俺もそこで座って聞いていた。周りの人や友達でいいんで、社会のこと、真剣にしゃべりませんか」

 8月15日、シールズは声明を出して解散した。声明の最後は次の言葉で締めくくった。「終わったというなら、また始めましょう。始めるのは私であり、あなたです」=敬称略(藤原慎一
    −−「街頭政治 SEALDsが残したもの:8 異論許さぬ空気と戦った」、『朝日新聞』2016年08月26日(金)付。

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(街頭政治 SEALDsが残したもの:8)異論許さぬ空気と戦った:朝日新聞デジタル




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覚え書:「街頭政治 SEALDsが残したもの:9)デモ、眠る魂に火をつけた――高橋源一郎さんが見た1年3カ月」、『朝日新聞』2016年08月27日(土)付。

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街頭政治 SEALDsが残したもの:9)デモ、眠る魂に火をつけた――高橋源一郎さんが見た1年3カ月
2016年8月27日
 
高橋源一郎さん=池永牧子撮影
 安全保障関連法に反対して路上で声を上げ、野党共闘にも関わってきたSEALDs(シールズ)。学生が起こした「街頭政治」のうねりに多くの市民が共感し、戸惑い、あるいは反発した。連載の最後に、彼らの活動を当初から見てきた作家で明治学院大教授の高橋源一郎氏(65)に聞いた。

 ――結成から1年3カ月にわたったシールズの活動をどう評価しますか。

 シールズの運動の特徴は四つあると思います。まず組織はトップのいない副司令官型でした。トップダウンを排し、自由な議論ができるようにしたのだと思います。社会運動では、その組織の中に未来の社会のひな型がなければなりません。これには驚きました。

 二つ目は、もともと、この運動はふつうの人、小さな人が始めたものだということです。大きな組織が長期的な計画や綱領のもとに始めた運動ではなかった。テーマも一つでした。三つ目は期間限定であったこと。そのことで組織が陥る「組織防衛」の病にかからずにすみました。四つ目は、主語が「私」だったことです。

 もちろん、そのどれも、「新しい」わけではありません。小さな人がつながり大きくなったベ平連ベトナムに平和を!市民連合)の運動にも似ているでしょう。けれども、彼らは偶然その形に行き着いた。そういう運動があり得ることを「再発見」したのです。

 彼らがやった重要なことは、いつの間にか「特別」になっていたデモを、再び「当たり前」にしたことだと思います。民主主義や人権を抑圧し、非常に重苦しい社会へと変わっていく流れを、ちょっと押し返しました。

 それは、「奪われていたもの」を取り戻す試みでした。格差と不寛容が広がる社会の中で、いま世界中で様々な運動が起こっています。彼らの運動は、その大きな動きの一つだったのではないでしょうか。

     *

 ――シールズが残したもの、「街頭政治」のゆくえをどう見ていますか

 「街頭政治」というものがあり得るとすれば、それは、直接的ななにかを通じて、人々の「触媒」になることです。

 人々の中に眠っている、名づけられないなにか、魂のようなものに火をつけること。それが「触媒」の役割です。それは、例えば選挙を通じて、漸進的に社会を変えてゆこうとするような、通常の政治活動では困難です。そして、どんな行動が「触媒」になるのかは事前にはわからないのです。けれども、それもまた、政治にとって欠かせない要因なのですが。

 彼らを「若者の代表」に祭り上げたのはマスコミだと思います。彼らは、そんなことを少しも思ってはいなかったでしょう。なぜなら、彼らは最初から最後まで「個人」でいて、「個人」は、自分以外の誰も代表することはできないからです。彼らの運動がなにをもたらしたのか。それをいますぐ言うことはできません。あらゆる社会運動は、短期的な結果と長期的な影響の二つをこの社会に残していくからです。

 1968年の(反体制運動である)「パリ5月革命」で、ドゴール政権は倒れませんでした。短期的には運動は失敗に終わりました。しかし、それ以降の社会はずっと68年の運動の影響下にあるという人もいます。フランスだけではなく、世界の社会と文化に深い影響を与えた。それと同じだと言いたいわけでありません。ただ、わたし自身が大きな影響を受けたのは事実です。

     *

 ――安全保障関連法は成立し、与党は参院選で勝利しました。触媒としてのシールズの活動には限界があったのでしょうか。

 政治は、ある意味で単純に「勝ち負け」がわかる世界です。だから、目標が達成できなかった以上、限界があったのは事実です。しかし、同時に、政治・社会運動は「オール・オア・ナッシング」ではないことも事実です。反対していた法案が通ったから「負け」と批判するのは、実は現実を無視したロマンチックな考えではないでしょうか。

 52年の破壊活動防止法のときも、法案は通った。けれども、強烈な反対運動に出会った政府は法律を使うことをためらうようになり、実質的には使えない法律になった。と、冷徹なリアリストでもあった政治学者の丸山真男は言っています。安保関連法も通りました。けれど、逆に、簡単に(憲法)9条改正はできないのだと、政権は思い知ったかもしれません。

 シールズの運動は最初にも言ったように、「ふつうの人」、「小さな人」が始めた「小さな運動」でした。それが歴史の渦に巻き込まれ、大きな場所に連れ出されたのです。

 そんな運命にぶつかる運動や人は必ずあります。準備などなくても、即興演奏のように目の前に現れる課題をこなさなければならない。決して他人任せにすることなく。彼らと同じ年頃にわたしも同じような経験をしましたが、彼らはわたしよりずっと柔軟な応対を時代に対してしていたと思います。それはほんとうに難しいことなのですが。(聞き手=藤原慎一、石松恒)

 ◆連載「街頭政治 SEALDsが残したもの」は、これで終わります。
    −−「街頭政治 SEALDsが残したもの:9)デモ、眠る魂に火をつけた――高橋源一郎さんが見た1年3カ月」、『朝日新聞』2016年08月27日(土)付。

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(街頭政治 SEALDsが残したもの:9)デモ、眠る魂に火をつけた――高橋源一郎さんが見た1年3カ月:朝日新聞デジタル


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覚え書:「政治断簡 天高く馬肥ゆる秋 政治部次長・高橋純子」、『朝日新聞』2016年09月18日(日)付。

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政治断簡 天高く馬肥ゆる秋 政治部次長・高橋純
2016年9月18日

 「聞け」と命令されると、自然と耳が遠くなる難儀な体質ゆえ、戦没学生の手記と知りつつ触れたことがなかった「きけ、わだつみのこえ」。先日、1950年に製作された映画のDVDを見た。

 大戦末期のビルマ。ある日、飢えに耐えかねた兵隊が謀議し、大隊長の馬を殺して食べてしまう。激怒する小太りな大隊長。河西という一等兵が食ってかかる。「自分らを制裁してください。その代わり、あなた方の食っている物を全部見せてください」

 結果、射殺される河西は、東大の学生運動の指導者だった。反戦活動により投獄され、転向を誓わされた。馬肉事件の前、そんな過去を振り返り、後悔を吐露する。

 「こんなざまで捨てる命なら、なぜあの時、命を賭けなかったのかと思いますね。何もかも、あとの祭りだ」

 そうだよ!命がけで抵抗しないからダメなんだよ!と、凡たる私は思ってしまうが、哲学者の鶴見俊輔は、違う。

 (1)命を賭けて、うんとラジカルな演説をする。

 (2)命を賭けて、仲間に馬肉を食わせてやる。

 さて、どっちが重いか?

 鶴見の結論はこうだ。

 「馬肉食って死ぬのはそれは良いことです(笑)」

     *

 「昭和八年、九年、十年に、彼が命を賭けて東大の中で演説を打ってもっと動きまわったにしても、それはどれだけのことがあったろうか」「むしろ人間として追いつめられた状態の中で、百人もの仲間に馬肉を食わせてやれたら、その方がいいじゃないか」(「流れに抗して」)

 もちろん鶴見は、無駄な抵抗はやめろと言っているのではない。大きな観念の旗を掲げても戦争はぶっつぶせない。大事なのは、なにかの仕方で常に国家や戦争に対峙(たいじ)する姿勢を準備すること。観念の旗の大きさより、その底にある態度が重要だ――。転向研究を手がけた哲学者ならではの識見と感じ入る。

 鶴見の著作を読み返したのは、先月解散した学生団体「SEALDs(シールズ)」に対する、安全保障法制の成立を止められなかったとか、参院選で勝てなかったという批判を聞き、違和を覚えたからだ。

 彼らの出発点が「私」だったことが、何より貴重だと私は思う。「私は戦争で人を殺したくも殺されたくもない」。主語が明確な言葉が国会前に響き、社会の深いところに変化の種がまかれた。彼らなりの仕方。それ以上を望むならアナタが動けばいいのだ。

     *

 実は私も、私なりの準備をしている。時々の場の権力者が冗談を言った時に湧き起こるお追従笑いに対し、脳内に「追従笑い撲滅委員会」を立ち上げ、笑い声が大きい時ほど表情を硬くするよう努めている。やってみるとわかる。たかがこんなことでも、大勢の中でゴロンと異物になるのは意外と精神に負荷がかかる。でも、自分の弱さを把握し、姿勢のゆがみを整えられる。常なる準備、確かな効果。

 随時会員募集中。食欲の秋、みんなでうまい馬肉を食べましょう。
    −−「政治断簡 天高く馬肥ゆる秋 政治部次長・高橋純子」、『朝日新聞』2016年09月18日(日)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12565150.html





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