覚え書:「科学の扉 アレルギー、進む解明 50年前、日本人が抗体発見」、『朝日新聞』2016年09月11日(日)付。

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科学の扉 アレルギー、進む解明 50年前、日本人が抗体発見
2016年9月11日


アレルギー、進む解明<グラフィック・白岩淳>
 花粉やハウスダスト、食べ物などを体内に取り入れ、くしゃみや喘息(ぜんそく)、ショック症状など様々な病気を引き起こすアレルギー。その反応の中心的な役割を果たす抗体「IgE」は、今から50年前の1966年に日本人研究者が発見した。

 人間の体はウイルスや細菌など異物が入ってくると、体内に「抗体」と呼ばれるたんぱく質ができ、その異物を攻撃して体を守る「免疫」の機能を持つ。それが、本来無害なものに過剰反応し逆に体を傷つけるのがアレルギーだ。

 アレルギーはもともと特異体質によって引き起こされると考えられていた。花粉やハウスダストなどに反応してできる物質は「レアギン」と呼ばれ、60年代に入ると、その正体は抗体の一つ免疫グロブリンA(IgA)だとする報告が相次いでいた。66年2月、米アレルギー学会でこの定説を覆す発表をしたのが、米コロラド州の小児喘息研究所にいた石坂公成(きみしげ)さん(90)だった。

 石坂さんはブタクサ花粉症の患者の血液からIgAを取り除いてもアレルギー反応が起きることを確認し、未知のたんぱく質の存在に気付いていた。しかし、このたんぱく質は血清1cc中に1マイクログラム程度(マイクロは100万分の1)しかなく、当時の技術では直接検出するのが難しかった。

 そこで、免疫反応を利用して、患者の血液成分を注射したウサギの血液成分を、今度は人の背中に注射してアレルギー反応が起きるか調べる実験をすることにした。なかなか結果は出ず、自分自身の背中を使い切ったため、共同研究者の妻、照子さんらに背中を借り、実験を続けた。照子さんは「これを『刺しつ、刺されつ』と言うのね」と笑ったという。

 数カ月の試行錯誤の末に、レアギンの存在を証明した。赤い発疹「紅斑」(Erythema)の頭文字をとり「IgE」と名付けられた。

 抗体はIgG、IgM、IgA、IgD、IgEの大きく五つに分類されることが今では知られている。全体の8割近くを占めるIgGに対し、IgEはわずか10万分の1で、最後の発見だった。

 ■研究の突破口に

 70年に米ジョンズ・ホプキンス大に留学し、石坂さんのもとで研究していた岸本忠三・元大阪大総長は「海の中に落ちたものをやみくもに探すのではなく、免疫と抗体の関係を利用するという当時としては新しい着眼点で、熱に弱く不安定で、非常に量が少ないものを血液という海の中から見つけた」と振り返る。

 IgEの発見でアレルギーの仕組みが次々と解明されていった。

 花粉やカビ、食物などのアレルゲン(抗原)が口や皮膚などから体内に侵入すると、皮膚や粘膜の直下にいる「抗原提示細胞」と呼ばれる免疫細胞がそれらを見つけて、「異物」と認識する。その情報は、免疫機能の司令塔であるT細胞からB細胞に伝わり、IgEがつくられる。

 だが、これだけではまだアレルギー反応は起きない。IgEは血液中を流れ、皮膚や粘膜などに分布している肥満細胞(マスト細胞)と結合し、そこにアレルゲンが再侵入し、肥満細胞の表面上にあるIgEと反応すると、細胞内からヒスタミンやロイコトリエンなどの化学物質が放出され、炎症などを引き起こす。

 石坂さんがIgEを発見した翌67年に、スウェーデンの研究者が血液検査でIgEの量を調べる方法を確立した。74年には人が何のアレルギーかどうか調べる簡易検査キットの発売が始まった。今では、花粉、食物(そば、小麦、乳製品など)、カビ、ペットのふけなど200種類を超えるアレルゲンの特定が可能だ。

 ■治療、大幅に進歩

 「IgEシステムが発見から50年にわたって多くのアレルギー研究に利用されてきたことは私どもの最も喜びとするところです」

 今年6月、東京都内で開かれたIgE発見50周年を記念するシンポジウムで石坂さんが講演した。

 日本アレルギー学会理事長の斎藤博久・国立成育医療研究センター副研究所長(小児アレルギー)はIgEの発見が臨床現場、なかでも、喘息で亡くなる人が大幅に減ることに貢献したと指摘する。喘息はIgEが原因で放出された化学物質が、アレルギー反応による炎症で気道を狭くして、正常に空気が通り抜けられず、せきや発作が起きる。近年は、炎症を抑える吸入ステロイドなど有効な治療薬が出ている。

 厚生労働省の人口動態統計によると、66年の喘息の死者は9113人だったが、2014年は1550人と約6分の1に。IgE発見前は神経反射などで気管支が縮むことが原因と考えられていたという。斎藤さんは「アレルギーの理解が進み、適切な薬が出て、治療指針も発達し、重症化や入院する患者が激減した」という。

 また、石坂さんはIgEが含まれる研究試料を独占せず、希望する世界の研究者に無償で提供したといい、「独創的な研究手法のみならず、こうした取り組みが現代生物学の進展に貢献した」と斎藤さんは話す。

 (石塚広志、南宏美)

 <今や「国民病」> 日本人の2〜3人に1人は何らかのアレルギー疾患を持っているとされ、今や「国民病」と言われる。

 しかも、乳幼児から高齢者までのすべての年代で患者はおり、全身で様々な症状を起こすことから、すべてのアレルギー疾患を1人の医師がカバーすることは難しい。

 日本アレルギー学会のウェブサイト(http://www.jsaweb.jp/別ウインドウで開きます)では、各疾患の説明やQ&Aのほか、3千人を超える専門医を一般向けに公開している。所属する医療機関がわかり、都道府県や診療科別に検索できる。

 ◇「科学の扉」は毎週日曜日に掲載します。次回は「ネット犯罪 新対策」の予定です。ご意見、ご要望はkagaku@asahi.comメールするへ。
    −−「科学の扉 アレルギー、進む解明 50年前、日本人が抗体発見」、『朝日新聞』2016年09月11日(日)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12553986.html


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覚え書:「セカンドハンドの時代―「赤い国」を生きた人びと [著]スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ [評者]柄谷行人(哲学者)」、『朝日新聞』2016年12月18日(日)付。

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セカンドハンドの時代―「赤い国」を生きた人びと [著]スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ
[評者]柄谷行人(哲学者)  [掲載]2016年12月18日   [ジャンル]社会 国際 
 
■苦悩の言葉が文学になる瞬間

 東日本大震災が起きてまもなく、私は米ロサンゼルスに講演に行ったが、その帰途に乗ったタクシーの運転手から、「日本は大変だったね」と話しかけられた。ここでもあんな災害が起こりそうだし、もし起こったら、郷里に帰るつもりだ、という。どこから来たのか、と問うと、「ソ連」だという。随分前にアメリカに来たのかと思ったが、1990年代だという。なぜ今も「ソ連」というのか、と不審に思いつつ、黙っていた。彼は話し始めると止まらないタイプで、ソ連というよりも、ドストエフスキーの小説に出てくる人物のようだった。
 本書を開くと、そのようなロシア人がうようよ出てくるような感じがした。たとえば、自分はソ連人であるという人たちが多い。のみならず、実際にアメリカに行って戻ってきた人物も登場する。ただ、ソ連時代がよかったという人も皆、ひどい目にあってきた。だから、ペレストロイカ(改革)に期待し、エリツィンにもプーチンにも期待した。しかし、望ましい社会は何一つ実現されなかった。できあがったのは、「カネがあるやつは人間、カネがないやつはカス」という社会だ。そして、「やくざ者が国会にすわっている」だけだ。それなら、ソ連のほうがましだった、自分は、実は共産主義者だ、というわけである。
 この作品は、ソ連崩壊後に生きる、多くの人々の話を録音して、編集したものである。その意味で、文字通り「多声的」である。しかし、それはたんに、多数の人の声が聞こえるという意味ではない。そもそも、一人ひとりの発話が多声的なのだ。ソ連時代を恨むと同時にそれをいとおしみ、誇りにもする。だが、何も新しいものはない。何もかもがセカンドハンド(中古)だ。それが彼らの苦悩である。
 これはルポルタージュのように見えるが、そうではない。ルポルタージュは、多くの場合、整備された虚構である。著者はそんなことをしない。本書では各所に「沈黙」や「間」というサインがあり、それが録音を忠実に筆記したことを示している。そのことにいつわりはあるまい。しかし、まったく作意がないのではない。著者は話を録音するとき、人の言葉が「文学」になる瞬間を意識している。「ただの日常生活が文学に移行するその瞬間を見逃さない」ように。「文学のかけら」は「いたるところ」「思いもよらない場所」に見いだされる。たとえば、ある人物がいう。「わたしたちは、いつもいつも苦悩のことを話している……。これはわたしたちがものごとを理解する手段なんです」。その意味で、この本は「文学」なのだ。
    ◇
 Светлана Алексиевич 48年ウクライナ生まれ。ベラルーシの作家、ジャーナリスト。2015年ノーベル文学賞受賞。著書に『戦争は女の顔をしていない』『チェルノブイリ祈り』など。
    −−「セカンドハンドの時代―「赤い国」を生きた人びと [著]スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ [評者]柄谷行人(哲学者)」、『朝日新聞』2016年12月18日(日)付。

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セカンドハンドの時代――「赤い国」を生きた人びと
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ
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覚え書:「ごはんの時間―井上ひさしがいた風景 [著]井上都 [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)」、『朝日新聞』2016年12月18日(日)付。

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ごはんの時間―井上ひさしがいた風景 [著]井上都
[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)  [掲載]2016年12月18日   [ジャンル]文芸 
 
 食事を通して、自らとふれあった人たちの思い出を綴(つづ)る。父井上ひさし、母、そして夫や肉親、知己の表情や生の瞬間が巧みな筆調で描きだされる。
 怒る井上ひさしがいる。たとえば「クラブハウスサンドイッチ」では、「父と暮(くら)せば」執筆の折、被爆者の声を懸念する著者に、父は「原爆は人類共通の体験なんだ」と顔色を変える。
 「茄子(なす)の味噌(みそ)炒め」では幼年期の記憶が語られ、「こんなもの食えるか」と母に詰めよる父の姿が語られる。茄子の炒め物はまずいと著者は思っていたという。長じて母として茄子の味噌炒めを「うまい」と食べる息子を見て、記憶の中の両親をいじらしく思う、といった具合である。
 徹夜で執筆活動の父の書斎の入り口でクリスティーに没頭した高校時代。夜中の3時、父と食べる夜食のカップ麺。自らが老いた時の本と食についての夢も記される。食卓が親子関係の土台、こまやかな神経が本書全編を駆け抜けている。
    −−「ごはんの時間―井上ひさしがいた風景 [著]井上都 [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)」、『朝日新聞』2016年12月18日(日)付。

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覚え書:「最も危険なアメリカ映画 [著]町山智浩 [評者]末國善己(文芸評論家)」、『朝日新聞』2016年12月18日(日)付。

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最も危険なアメリカ映画 [著]町山智浩
[評者]末國善己(文芸評論家)  [掲載]2016年12月18日   [ジャンル]アート・ファッション・芸能 
 
 人種差別を煽(あお)り、白人労働者階級の心をくすぐる過激な言動で物議を醸したトランプが、アメリカ次期大統領に選ばれた。だが著者は、トランプに熱狂した不寛容で、反知性主義的なアメリカは、既に多くの映画で描かれてきたという。
 著者は、白人至上主義の秘密結社KKKを賛美した「國民の創生」や大衆迎合の危険を指摘する「群衆」など、アメリカ映画の表看板である自由、平等、博愛とは真逆の作品を紹介。この系譜は今も続いているとする。特に1985年公開の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の主人公がタイムマシンで50年代に行くのは、そこが米国の栄光の時代で、公開時のレーガン政権が進めた保守的な価値観の復活と軌を一にしていたとの分析は驚かされた。
 映画の政治性を読み解く本書に違和感を持つ映画好きもいるだろうが、アメリカを深く知り、日本映画に隠された政治性に気づかせてくれる意味でも示唆に富んでいるのは確かである。
    −−「最も危険なアメリカ映画 [著]町山智浩 [評者]末國善己(文芸評論家)」、『朝日新聞』2016年12月18日(日)付。

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覚え書:「首相への影響力、問われる山口氏 公明代表に無投票で5選」、『朝日新聞』2016年09月10日(土)付。

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首相への影響力、問われる山口氏 公明代表に無投票で5選
2016年9月10日

無投票で5選が決まり、会見する公明党山口那津男代表=9日午後、東京都新宿区、岩下毅撮影
 
 公明党代表選で山口那津男代表(64)の無投票5選が9日、決まった。17日の党大会で正式に選出される。「党の顔」を期待されての続投だが、自民党が衆参両院で単独過半数を占めるなか、憲法改正に意欲を示す安倍晋三首相に対して発言力を確保できるかが問われる。

 公明党は1964年の結党以来、トップを決める選挙は無投票。事前の調整で人事を決めるためだ。山口氏は2009年の代表就任からすでに7年。任期2年を全うすれば、神崎武法氏の在任期間を超え、最長の竹入義勝氏に次ぐ「長期政権」になる。

 5選の決め手は7月の参院選だった。過去最多と並ぶ14議席を獲得。こうした実績に加え、歯切れの良い演説に、一般の創価学会員の人気も高い。「党の顔」になれる人材が育っていないこともあり、続投は既定路線だった。山口氏は9日の記者会見で「政権の安定と、その下での政策実現に全力を尽くす」と語った。

 ただ、党内では政権に対する影響力不足が指摘される。

 昨年の安全保障関連法の審議をめぐっては、慎重姿勢を示していたにもかかわらず、首相に押し切られ、成立に協力した経緯があるからだ。参院選で選挙区候補が首相の応援も受けるなど、選挙での相互依存が強まったことも、山口氏の手足を縛る。

 早急な改憲議論を警戒する公明党にあって、参院選で「国民がダメというものはやらせてはいけない」と主張した山口氏だが、9日の会見では「(自公の)どこがどう同じか違うのかは、まだ議論が深まっていない」と指摘するにとどまった。

 党内には「連立与党の党首として、官邸の空気を読み取れていない」(幹部)との声もある。5月の消費増税の先送りの判断を首相がまず伝えたのは別の公明幹部で、山口氏ではなかった。このため、山口氏は状況を把握しきれないまま、増税実施を唱え続ける結果となった。

 山口氏は「長年の政治的な経験がものを言う場面も多い」として7年コンビを組み、自民党創価学会に太いパイプを持つ井上義久幹事長(69)を続投させる意向を強くにじませた。ある党幹部は「『陰の党首』の井上さんとの体制でやるしかない」と漏らした。

 (南彰、久木良太)
    −−「首相への影響力、問われる山口氏 公明代表に無投票で5選」、『朝日新聞』2016年09月10日(土)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12552406.html





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