【覚え書】森本あんり「今を読み解く アメリカ史左右する宗教」、『日本経済新聞』2010年12月12日(日)付。

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SUNDAY NIKKEI
今を読み解く:アメリカ史左右する宗教
象徴・信念の国柄示す

 日本の最重要相手国アメリカを理解するのは、簡単なようで案外むずかしい。理由の一端はその宗教性にある。たとえば昨年1月のオバマ大統領就任式の報道では、テレビ中継の通訳者は「主の祈り」を知らず、新聞社はアメリカ愛国歌の誤訳を掲げ、パールマンヨーヨー・マの演奏する曲に二つの賛美歌がアレンジされていることを指摘した人はいなかった。これでは人々があの就任式にどのような意味を込め、どのような思いでそれを見つめていたのかを理解するのは今案だろう。
 民主主義は、大衆の心に語りかける言葉を必要とする。アメリカの政治かたちの言葉は時に強いアピール力をもつが、それは彼らが歴史的伝統に培われた宗教や象徴の喚起力を駆使するからである。「今を読み解く」ための鍵は、その「今」という断面図を構成する歴史に隠されている。
 
 ●差別と対立の歴史
 アメリカの歴史を大きく左右してきた二大要素は、宗教と人種である。マーク・A・ノール『神と人種』(赤木昭夫訳、岩波書店・2010年)は、建国期の奴隷制からオバマ大統領誕生まで、アメリカ史がいかにこの二本の縦糸で織りなされてきたかを解明してくれる。著者によれば、それは宗教に規定された差別と対立の歴史である。アメリカを分断しかけた南北戦争は、聖書理解をめぐる宗教戦争であったし、原理主義ネオコンの台頭も、結局は黒人勢力の伸張に対する白人福音派の反動によるものであった。
 とりわけ公民権運動以降のアメリカ政治は、白人福音派と黒人プロテスタントという二大グループにより動かされてきた。共和党的な「小さな政府」論も、この二勢力の力学が働いている。南部の抵抗を排して公民権運動を押し進めたのは連邦政府だったし、中絶や同性愛といった私的領域で白人保守層の信仰を踏みにじる憲法判断をしたのも連邦最高裁だったからである。先進諸国の中でアメリカだけに見られるあの特異な進化論拒否も、科学への反対というより、家庭教育に介入する連邦権力への政治的な反対である。
 こうして見てゆくと、今次中間選挙の「ティーパーティー運動」にも、宗教と人種の微妙な線引きがあることがわかってくる。
 だが、そもそもなぜアメリカはかくも宗教的なのか。この問いには「いやそれはピューリタン入植以来の歴史だから」と答えるのは、実は不正解である。そのような前史にもかかわらず、アメリカは政教分離による史上初の「世俗国家」として成立した。そして、まさにその政教分離こそが、今日も公私両面にわたって見られるアメリカの豊かな宗教性表出を可能にしているからである。このからくりを理解している人は、専門家にも多くない。

 ●歴代大統領の信仰
 藤本龍児『アメリカの公共宗教』(NTT出版・09年)は、トクヴィルやテイラーを引用しつつ、この点をていねいに解説してくれる。宗教を前世紀の遺物と考える近代啓蒙主義は、世界的な宗教復興を前に潰え去ったが、現代宗教の行方は私的領域に限定されているわけではない。著者はベラーの「市民宗教」という用語を「公共宗教」と読み替えて、このもっとも世俗化しているはずの国に満ちあふれている宗教の社会的な実相を解説する。本書は、ネオコン宗教右派といった政治減少ばかりでなく、それらを下支えしてきたリバイバル(信仰復興)の歴史やbにゅー英二運動といった大衆の宗教性、さらにはコミュニタリアニズムの政治哲学や文化多元主義の軋轢にも触れており、一冊で何度もおいしい便利な解説書となっている。
 なお、宗教右派の退潮と近年注目される「宗教左派」のことを知るには、堀内一史アメリカと宗教』(中公新書・10年)の終章あたりを覗くとよい。また、二本では大統領の飼う犬の名前ほどにも興味を持たれていないことだが、栗林輝夫『アメリカ大統領の信仰と政治』(キリスト新聞社・09年)は、ワシントンからオバマまでの大統領の信仰と政治の関係を紹介してくれる。まことに、アメリカ合衆国は壮大な象徴と信念の体系である。
    −−森本あんり「今を読み解く アメリカ史左右する宗教」、『日本経済新聞』2010年12月12日(日)付。

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⇒ 画像付版 【覚え書】森本あんり「今を読み解く アメリカ史左右する宗教」、『日本経済新聞』2010年12月12日(日)付。: Essais d'herméneutique



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