江戸兵学の終始一貫した根本的な弱点は、もともと『孫子』がそうであったからでもあるが、海戦という概念を持っていなかったことにあった

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 いったい江戸兵学の終始一貫した根本的な弱点は、もともと『孫子』がそうであったからでもあるが、海戦という概念を持っていなかったことにあった。二百三十年間にわたる鎖国がそれに輪をかけた。なるほど、『孫子』の一部は「水戦」を論じてはいる。しかし、それらはせいぜいが大河での船軍(ふないくさ)であり、今日の軍事用語でいうなら渡河作戦、水辺陣地、橋頭堡の確保等々であり、海彼から渡航してくる軍船を迎撃する、ましてや当方から攻撃を仕掛けるという発想はなかった。だいいち、そんな必要もなかったのである。
 また、荻生徂徠の『詹録』はその最終章でようやく「水法」に言及し、前々章で紹介したように、「威南塘水軍法」を紹介している。しかし、それはとても主としてこの明代の軍将の著書『紀效新書』から得た知識であって、要点はもっぱら、倭寇の劫掠に備えた沿岸や河口の警固だったのである。軍船といってもとても外洋に押し出して戦闘できるような性質のものではなかった。しかし日本の舟軍とはかなりスケールが違っていたことは、さすがに徂徠も認めていて、「異国ハ大船ヲ用フル二海上二城ヲ構ヘタルガ如クニテ、小舟二乗リテ其舟ニ近付クトキハ、平地ヨリ城ヲ見上グル如クニテ、弓・鉄砲・鎗・長刀ノワザ用ヒルトコロナシ。彼ノ大船ヨリハ、遠ケレバ石火箭ヲ放シ、仏狼機(フランキ)ヲ打ツ。(中略)大河又ハ大洋ニ押出シテハ、大船に非レバ慥(タシカ)ナル働キハナキコトナリ」(『詹録』第二十)と記しているほどである。
 だが、軍船はただ大きいばかりが能ではない。明代の威南塘が倭寇船と渡り合っていたちょうどその頃、ヨーロッパではまだ帆船時代だったが、各国はすでに有力な艦隊を編成して制海権を競い合っていた。中国も日本もまだそのことを知らない。そのために海戦の概念がなかった、といより想像だにしなかったのである。軍船、いや、軍艦の性能は火力と機動力(航行能率)に比例する。それを艦隊として編成し、開戦論がうちたてられた過程を、いまや古典的な名著となったアルフレッド・マハンの『海軍戦略』(一九一一年、昭和七年海軍軍令部訳、昭和五十三年再刊、原書房)からうかがってみることにしよう。
    −−野口武彦『江戸の兵学思想』中公文庫、1999年、288−290頁。

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今後、どのように推移するのかまったく予断を許さないし、ひとつの臨界点を越えた後は、安定するまで長い混沌の時間が続くことは承知なのです。

チュニジアジャスミン革命をひとつの翠点とする北アフリカでの変革を求めるムーブメントがどのように展開していくのかという点では、できるだけ血が流れないようにと、祈るばかりです。

はっきりしているのは、長期独裁政権の支配というのがナンセンスであると同時に、宗教を利用した一元的価値観の強要独裁というものおなじくらいナンセンスということ。

両者に共通しているのは、生きている人間を人間として扱わないということでしょう。前者は西洋流の世俗主義によって人間を平等に扱う立場、そして後者は宗教的平等によって人間を平等に扱う立場を「建前」として掲げますが、人間そのものが目的とされていない点では同根ですし、ふたを開ければ一族支配(苦笑

結局ソンをするのは民衆という仕組みになっております。
もちろん、くどいですけれども一方に悪なる権威権力を措定し、一方に無辜に民衆を措定するような図式を描こうなどとは思いませんし、それこそがナンセンスであるだけに、そういった極端をさけつつ、多様なひとびとが、どのようにコモンセンスが形成されていくのかは推移を見守るほかありません。

そういう見方をさけつつも、今回の事件は(まだ途中ですが)、ひとつの風穴をあけるようにはなったのではないか……そうは思ってしまいます。

さて……
チュニジアでの出来事、そして継続中のエジプトでの出来事では、ネットメディアの戦略が大きくクローズアップされておりますが、まだこの功罪は今のところ判断がつきません。風聞の粋を出ないところもありますし、小針棒大の感もありますので、おおきくそれに軸足を措きすぎると、過大・過小評価を招いてしまいますのでアレですけれども、ひとついえるのは、政権運営者が思っている以上に、情報というもの果たした役割というのは大きいということは言い切れるのではないかと思います。

facebooktwitterに限らず、衛星放送から古典的なところでいくとラジオや口コミを含め、完全に情報を遮断することは不可能です。

統制国家は、それを「うまくやっている」“つもり”なのでしょうが、おそらくそれは“つもり”にしかすぎないでしょう。

なぜなら統制国家は基本的に、暴力で締めれば済むという人類の歴史と同じくらい古い法則に支配されたパターンを十年一律を旨とするからです。

本朝の状況はさておきますが……、人間という生き物は、そして「支配されている」人間というものは、思っている以上に賢いものなんです。

そのヘンを見落としているのかも知れませんネ。
武装しているところの安心でしょうか。

支配の論理というものは、江戸兵学の陥穽と同じような瑕疵をかかえているのかもしれません。

……などとネ、ふと思った次第。

さて仕事に戻ります。







⇒ 画像付版 江戸兵学の終始一貫した根本的な弱点は、もともと『孫子』がそうであったからでもあるが、海戦という概念を持っていなかったことにあった: Essais d'herméneutique




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