私たちの「認識作用」は、量を確立することに制限されている。

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   五六三(861)
 私たちの「認識作用」は、量を確立することに制限されている。しかし、私たちがこうした量の差を質とみなすことを妨げるものは、何もない。質は私たちにとっての遠近法的真理であって、いかなる「それ自体でのもの」でもない。
 私たちの感官は、その範囲内でこの感官の機能がはたらく中間として特定の量をもっている。言いかえれば、私たちは、私たちの生存の諸条件との関係いかんによって、大きくも小さくも感覚する。私たちの感官が十倍も鋭くなったり鈍くなったりすることがあれば、私たちは破滅するにちがいない。−−言いかえれば、私たちは、大きさの関係をも、私たちの生存を可能ならしめるという観点から、質として感覚するのである。
    −−ニーチェ(原佑訳)『権力への意志 下 ニーチェ全集 13』筑摩書房、1993年、98頁。

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最初はどうなることか思いましたが、先ほどにて一週間断酒計画が無事遂行しました。

最初の一日目は正直なところキツかったのですが、はじめてみると、

「別に呑まなくても……」

……という感覚にて、確かに寝つきはよくないのですが、

「別に呑まなくても……」

……とどこおりなく日常は進むといいますか、否、むしろ生産的な一週間を過ごすことができたことに我ながら驚きます。

まったりと呑みながらやるわけではありませんので、仕事が捗るだけでなく、何よりもおどろいたのはその減量効果!

たしかに呑みませんので肴もやりませんので体にはいいですよね!

おそらく今後は呑む日は呑むでしょうが、、、使命感を帯びて「マイニチ・ノンデル」ことはないことだけは確かだと思います。

また外で呑んでもふらふらになるまではやらないとも思います。


酒を常用するにようになってから一週間断酒したのは人生のなかではじめてのことでしょう。

そしてその意志をを貫き通すことのできた自分に拍手ですwww

きっかけをあたえてくれた諸氏に感謝です。

さて、先ほど一週間ぶりに、ビールを口にしてみました。

ホントはどこかによって呑んで帰ろうかと思っていたのですが、日曜ですので近所はほとんど閉店。

しかたなく近所の24時間営業のマクドナルドにてベーコンレタスバーガーセットをゲットして、エビスではじめた次第です。

いつものように、

「ゴキュゴキュ」

……って速攻に蒸発させるかと思いきや、ゆっくりと味わうように頂きました。

旨いというわけでもマズイというわけでない……「こういうものなのよねん」というのが正直なところのインプレッション。

この後少しだけ日本酒を熱燗と冷やで一合づつ頂こうかと思いますが、おそらく今後は鯨飲することはもはやない……そのことだけは確かだと思います。

いやはや、良い機会になりました。

呑む日は呑むでしょうが、もう毎日はやらないでしょうねぇ。

でわ☆






⇒ 画像付版 私たちの「認識作用」は、量を確立することに制限されている。: Essais d'herméneutique