良い趣味の基準など呆れるほど非合理だ







        • -

 私が知っている短い期間でも、「良い趣味」という旗印の下に男性の髪や髭がいろいろと変化するのを見てきた。男がテーラーの喜劇に出てくる、あの滑稽なダンドリアリ卿のように長い頬髯を生やすのが流行した時があった。その次には、「マトン・チョップ」と綽名された短い頬髯と口髭がはやり、さらにその次には、口髭だけというのが格好よいとされた。今はローマ人風に戻って髭を剃っている。こういう事柄で絶対的な「良い趣味」などあるのだろうか。あるいはズボンを考えてみよう。百年前だったら、もし半ズボンでなく長ズボンで歩いていたら、下品な奴だと言われたであろう。一八一四年にウエリントン公爵さえ長ズボンで現れたというので、オールマック集会場に入るのを拒まれたのである。ところが今では、半ズボンは仮装舞踏会とか、宮廷行事にしか使われない。
 しかし良い趣味の基準など呆れるほど非合理だ。キリスト教世界に喪の象徴として黒、悲しい希望のない黒を着るように定めたのは、一体誰か。キリスト復活の教義を聞いたことのないローマの婦人たちは、喪服として白服を着ていた。キリスト復活を知っているキリスト教世界が、何故か絶望の黒服を着るようになったのだ。葬式に行くとき、私は他の人と同じく黒の喪服を着る。というのは、ある著名な政治家のような勇気がないからである。その政治家は自分の兄の葬儀で青いオーバーコート、縞のズボン、グレイのベスト、緑色の傘という服装だったのを、私は目撃した。私の言葉を疑うのなら、彼の名前を出してもいい。著名人だ。彼は否定しないだろう。私は、彼の考える「良い趣味」に同意はしないが、黒は好まない。「神の客を迎えるのにどうして黒服などを着るべきか」とラスキンが尋ねた。答はありえない。もしかすると、戦争の影響で、この可笑しな趣味が否定されるようになるかもしれない。
(On Taste)
ガードナー(行方昭夫訳)「趣味について」、『たいした問題じゃないが −−イギリス・コラム傑作選−−』岩波文庫、2009年、44−46頁。

        • -


趣味の良さはホント難しい。

良い趣味と自分で思っているだけで、ほかのひとからみれば良い趣味でないことのほうが実際には多いかもしれませんね。

だから、人間は、ネクタイ一本締めるのでも、このネクタイにするのか、あのネクタイにするのか悩むわけであり、失敗を反省し、つぎはこうしよう……などと考えるのだろうと思います。

また同時に、コードに縛られておりますので、そのコードのなかで、どのようにチョイスしていくのか。

ホント難しいところです。

しかし、そのコードにしても、実際、あんまり根拠というものはないものなんですよね(苦笑

黒い喪服を着るなとはいいませんけれども、「青いオーバーコート、縞のズボン、グレイのベスト、緑色の傘という服装」というのも……ねぇ。







⇒ ココログ版 良い趣味の基準など呆れるほど非合理だ: Essais d'herméneutique