「陛下の赤子に対して個人が勝手に制裁を加えることが是認せられるならば、これこそかえって乱臣賊子ではないか。国体を破壊するものは、浪人会一派の諸君ではないか」という件。








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 “南明倶楽部の凱歌” −−吉野、浪人会を論破
 吉野作造はもっぱら文筆の人として時代の啓発につとめ、名声をかちえたが、その吉野が、大衆の前に姿を現して気迫烈々たる論戦を展開する機会が訪れた。右翼団体浪人会との間に行われた立会演説会がそれである。
 浪人会は、大正六年、『大阪朝日新聞』に圧力を加え、鳥居素川(そせん)、長谷川如是閑、佐々木惣一、大山郁夫らの論客を追放することに成功していた。次いで吉野博士にねらいを定め、執筆を停止せよと迫ること数次に及んだ。吉野は屈せず、公衆を前に論争して是非を決しようと強い態度を示した。
 こうして、大正七年十一月二十三日夕刻、神田の南明倶楽部を会場として、浪人会対吉野教授の立会演説会が開かれることになった。−−東大の学生数百人、他の大学からも多数の学生がつめかけ、鈴木文治のひきいる労働団体友愛会(戦後の労働団体「同盟」の源)の大衆も加わるなど、場外にまであふれた人々の熱気につつまれて論争が始まった。
 浪人会からは寺尾亨、小川運平、佐々木安五郎、田中弘之の四人が弁士として立ち、約束によって、四人の演説時間の合計と同じ時間を使って、吉野ひとりが反論した。論理展開の修練と表現の素養にかけて、吉野の実力には何の不安もなかった。明快な論旨の展開、言々句々にあふれる思想家としての信念、千万人といえどもただひとりで立ち向かう言論人の勇気−−場内外にあふれるひとびとは説き来り説き去る吉野に魅了された。

 「いかなる思想にせよ、暴力をもって圧迫することは絶対に排斥されねばならない。思想にあたるに暴力をもってすることは、それ自体においてすでに暴行者が思想的敗北者たることを裏書きするものである。……
 陛下の赤子に対して個人が勝手に制裁を加えることが是認せられるならば、これこそかえって乱臣賊子ではないか。国体を破壊するものは、浪人会一派の諸君ではないか。……」

 演説終わるや湧きおこる拍手と歓声が吉野の勝利を明らかに告げた。吉野を擁する人々は感激して「デモクラシーの歌」を高唱しつつ、博士はやっと渦中から出て市電に乗ることができた。世にこの出来事を“南明倶楽部の凱歌”と称し、それからというもの、「青春の意気天を焼く」と、土井晩翠作る讃歌を愛唱するインテリ青年が多かった。
 これが契機となって、東大「新人会」という団体が結成され、みんぽんしゅぎから社会改革運動へとつらなる思想運動の主柱の一つとなった。そのほか、この日の感銘から社会改革の指導者を志した若いインテリがどんなに多かったか、想像がつく。翌年二月には、早大「民人同盟会」が生まれ、やはりデモクラシーの普及徹底を通じて時代の開拓者たることを目ざした。早稲田にはやがて「建設者同盟」が生まれ、新人会のメンバーが労働運動との連携を強めたのに対して、建設者同盟の主力メンバーは農民運動の指導に飛び込んでいった。
 吉野自身も、大正七年十二月、同じく理想主義的民本主義者、福田徳三と協力し、穂積重遠、新渡戸稲造、大山郁夫らの知識人・思想家の参加を得て、思想啓発団体「黎明会」を作った。黎明会は、大正八年一月十八日、神田美土代(みとしろ)町青年会館を皮切りに、相次ぎ講演会を催し、五月四日、大阪での講演会などでは五千人の聴衆をあつめる盛況であった。

 武威も屈するも能ず−−自主独立の討論者
 さて、いま“対話”や“討論”の時代に生きているはずのわれわれに対して、なお多くの教訓をこの民本主義者を中心とする当時の人々は与えてくれるのではないか。
 第一にどんな威圧にも負けない、つまり武威も屈する能わずという強い信念と風格を持った討論者の存在である。
 第二に、他人によりかからずおのれ一個の責任で一貫した論旨を展開する姿勢と能力である。
 思考の断片だけを散発的にぶつけ合って、あとはテキトウにだれかがまとめてくれるだろうといった甘えの対話や討論はきびしく反省されなければならない。そして、ヤジや暴力をともなった集団行動のうちに結論をウヤムヤにするのでなく、個々人に語らしめて是非を決するという態度を、“民主主義”のちに生きるはずの現代人が、大正の人々から逆に学ばねばならぬとは、皮肉といって片づけるには深刻すぎる事実である。
    −−芳賀綏『言論と日本人 歴史を作った話し手たち』講談社学術文庫、1995年、82−85頁。

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吉野作造先生(1878ー1933)の議論の持ち込み方には学ぶところ多しです。

あたまごなしに、「おまえの考え方は間違っている」などと吠えることは簡単です。

しかし、それで相手が納得することは殆どありません。

相手の土俵という論理に乗っかかったうえで解体していく。

ここが翠点です。

ただしかしながら、大切なことは相手を論破することではありません。

ここがひとつの盲点。

それを踏まえながらスマートに「対話」や「討論」していくマナーを身につけることが必要でしょう。

それが末尾で指摘されているふたつのポイント。

すなわち……、
①「どんな威圧にも負けない、つまり武威も屈する能わずという強い信念と風格を持った討論」。
②「他人によりかからずおのれ一個の責任で一貫した論旨を展開する姿勢と能力」。

これがないから「思考の断片だけを散発的にぶつけ合って、あとはテキトウにだれかがまとめてくれるだろうといった甘えの対話や討論」になったり、「ヤジや暴力をともなった集団行動のうちに結論をウヤムヤにする」ようになっちゃったりするんでしょうね。

くわばらくわばら







⇒ ココログ版 「陛下の赤子に対して個人が勝手に制裁を加えることが是認せられるならば、これこそかえって乱臣賊子ではないか。国体を破壊するものは、浪人会一派の諸君ではないか」という件。: Essais d'herméneutique