一七四九年八月二十八日の正午、十二時を知らせる鐘の音とともに、フランクルフト・アム・マインで私はこの世に生をうけた





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 一七四九年八月二十八日の正午、十二時を知らせる鐘の音とともに、フランクルフト・アム・マインで私はこの世に生をうけた。星位には恵まれていた。太陽は処女宮の座に位置し、その日の頂点に達していた。木星と金星は好意の眼差しをもって太陽をながめ、水星も反感を示してはいなかった。土星と火星は無関心の態度をとっていた。折しも満ちていた月だけは、同時にその惑星時に入っていたので、ひときわ衝位の力をふるっていた。そのため月は私の誕生にさからい、この時が過ぎるまで私の誕生は終わらなかった。
 このめでたい星位は、のちに占星家たちが私のために大きな価値を認めてくれたものであるが、私が命をとりとめたのもおそらくこの星位のおかげであった。というのは、助産婦が未熟であったため私は死児としてこの世に生れ、さまざまなに手をつくしたあげく、ようやくにして日の目を見ることができたからである。
    −−ゲーテ(山崎章甫訳)『詩と真実 第一部』岩波文庫、1997年、17頁。

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またしても時間がないので少しだけ。

今日は“太陽の文豪”……って勝手に自分がそう呼んでいるだけですが……ゲーテJohann Wolfgang von Goethe,1749−1832)の誕生日。

いちおー、学部時代はドイツ文学専攻に在籍していたわけなので、しこたまゲーテを読まさせられた訳ですけれども、同時に劣等生であったことの罪責告白をしなければならないわけですけれども、やっぱりゲーテを読むといいものですネ。

このところ国粋主義の連中の罵詈雑言を耳にすることが多く、辟易とするものですが、ほんものの言葉というものは、(実のところ仮想されたにすぎない枠組みであるはずの)国民国家帰属意識というものを、やすやすと乗り越え、数百年にわたって読み継がれていくものなんだよなア……そんなことを感じてしまいます。

さて、少し、今日は肴を豪華にして、ゲーテ生誕に乾杯!!!






⇒ ココログ版 一七四九年八月二十八日の正午、十二時を知らせる鐘の音とともに、フランクルフト・アム・マインで私はこの世に生をうけた: Essais d'herméneutique


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