なんら責任を負う気のない奴隷たちは上司たちに服従するわけだが……





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 なんら責任を負う気のない奴隷たちは上司たちに服従するわけだが、当の上司たち自身も監督すべき事物の量に圧倒されているだけでなく、奴隷たち以上にいっそう広範囲において無責任を決めこんでいるので、労働の遂行じたいにおいても無数の不手際や落度がひきおこされる。
    −−ヴェイユ(冨原眞弓訳)『自由と社会的抑圧』岩波文庫、2005年、126−127頁。

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結局の所、この「奴隷根性」が「だましだまし」の自転車操業としての現代を支えているわけだけれども、それは絶えず劣化を招来させる無責任の連鎖に他ならない……ウルトラセブン的に言えば「血を吐きながら続ける悲しいマラソン」……わけですけども、その「無数の不手際や落度」が前世紀以上にリアリティをもったのが現在。

なにがしかの力あるものは、パンとサーカスで空目にさせようとしますけれども、どこまであらがうことができるのか。

ひとつ試されているような気がします。






⇒ ココログ版 なんら責任を負う気のない奴隷たちは上司たちに服従するわけだが……: Essais d'herméneutique


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