私が世間に無頓着ということは……
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それから、私が世間に無頓着ということは、少年から持って生まれた性質、周囲の事情に一寸とも感じない、藩の小士族などは、酒、油、醤油などを買うときは、自分自ら街に使いに行かなければならぬ。ところがそのころの士族一般の風として、頬冠をして宵出掛けて行く。私は頬冠は大嫌いだ。生まれてからしたことはない。物を買うに何だ、銭をやって買うに少しも構うことはないという気で、顔も頭も丸出しで、士族から大小は挟すが、徳利を提げて、夜はさておき白昼公然、町の店に行く。
−−福沢諭吉(富田正文校訂)『新訂 福翁自伝』岩波文庫、1978年、18頁。
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さて……。
日曜は講義・試験のすべてを終えてから、一服しておりますと、昨年の秋、「倫理学」を受講された学生さんと遭遇。
タバココミュニケーション?を軽くとってから、
「軽くいきますか?」
……ってことで「軽く」いった次第ですが、そういうことには無頓着であるということは大事ですねw
ぶっちゃけたやりとりができて楽しいひとときとなりました。
……っていずれにしても、2日間、結局の所、ほとんど寝ることができず、きつかった次第。若くないですね(汗
⇒ ココログ版 私が世間に無頓着ということは……: Essais d'herméneutique