ともかくも外面をごまかして何年いたから登級するの卒業するのということは絶えてなく、正味の実力を養うというのが事実に行われて居ったから……





        • -

 市中に出て大いに酒を飲むとか暴れるとかいうのは、大抵会読をしまったその晩か翌日あたりで、次の会読までにはマダ四日も五日もあるという時に勝手次第に出て言ったので、会読の日に近くなると、いわゆる月に六回の私見だから非常に勉強していました。書物を能く読むと否とは人々の才不才にも依りますけれども、ともかくも外面をごまかして何年いたから登級するの卒業するのということは絶えてなく、正味の実力を養うというのが事実に行われて居ったから、大概の書生は能く原書を読むことに達していました。
    −−福沢諭吉(富田正文校訂)『新訂 福翁自伝岩波文庫、1978年、85頁。

        • -


10月22日−23日の土日は、大学にて通信教育部の秋期スクーリングにて「倫理学」を講じてきましたが、履修されたみなさま、二日間のぶっ通しのフルマラソンへのご参加、ありがとうございました。

たった二日間(時間数で言えばセメスター15回分程度)では、その学問の概要をすべて詳細に論じることは、それがどの学問であろうとも現実には不可能なわけですが、その核となる部分は紹介することができたのではないかと思います。

通信教育部で教鞭を執っておりますと、いろいろと驚くことがあります。
世代も何も千差万別ですから、その「驚き」から「学ぶ」のがいつものことなのですが、今回も驚きと発見の連続でした。

学ぶというのは、単に教師が居て学生が居て一方通行にそれが遂行されるわけではありません。こちらの方が、実は「学ぶ」ということが多いのかも知れません。

そうした気づきや示唆を学生諸氏からいただいたことに感謝です。


しかし、ホント、驚きましたが、ふる〜い知己に教室で出会ったことには驚きでしたよw

土曜日は快活な青年数人と知己と楽しく祝杯を交わせていただき……といってもこれは17:40に初日の授業が修了したあとの「引き続きの“講義”」というわけですが(ぇ……様々な意見や考え、これまでの経験を語り合う、そしてそれを「学問」の言語として鍛え上げていくという時間をいただくことができたのはお互いに貴重な経験になったのではないかと思います。重ね重ねありがとうございます。
※ただひさしぶりに「日本酒」をいただき、都合7合近く呑んでいたので結構きつかったわけですけれども……それは措いておきます。


学問によって新しい方向性を探求しようとする婦人。
あと一息で卒業がリアルになりつつある青年。
そしてすべてを最高の成績・最短での卒業を執念をもって目指す若人。

人生の前途に幸いあれ!


さて……。
冒頭には福澤諭吉(1835−1901)の『福翁自伝適塾修行時代の一節を紹介しましたが、適塾の塾生というのは大いに学び、大いに飲み、徹底的に学問を探究したわけですが、その探究とは単に何年在学したとかというような漫然とした積み上げにはそれはないという一節ですが、学問とは確かにそういうものかも知れません。

もちろん結果として時間がかかる(また逆もあるかもしれませんが)場合はあるかと思いますが、徹底的に取り組んでいくなかで、その積み重ねというものは、自分では気が付かないほどすごいことになっている……というものかもしれませんね。


レポート作成がまだお済みでない方は、記憶のあたたかい内に必ず提出していただきますようよろしくお願いします。

なにしろ記憶とは日が経つにつれて「冷めて」くるものです。
「冷めた」ものを電子レンジでチンして再度いただくよりも、できたてを食べた方がうまいというのが人間生活世界の常ですから、そこは執念をもって取り組んでほしいと思います。

しかし余談になりますが、塩焼きがポピュラーな「ホッケ」というものがありますが、それではなく「ホッケの刺身」というのを人生で初めて頂戴しましたが、いやはや「身が甘く」驚くこと屡々でした。

またみなさま、どうぞよろしくお願いしますw








⇒ ココログ版 ともかくも外面をごまかして何年いたから登級するの卒業するのということは絶えてなく、正味の実力を養うというのが事実に行われて居ったから……: Essais d'herméneutique



02s


03


04


05



新訂 福翁自伝 (岩波文庫)
福沢 諭吉
岩波書店
売り上げランキング: 3462


福翁自伝
福翁自伝
posted with amazlet at 11.10.25
福沢 諭吉 富田 正文
慶應義塾大学出版会
売り上げランキング: 89141