理想性、世界性、独創性が不足し、文学者にも職業倫理の欠如があったこと





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 「何故に大文学は出ざる乎」において、内村は、とくに近代の日本にその生じない理由として四つのことをあげている。その第一は、「文学とは高尚なる理想の産」であるのに日本に「大文学」の「プリンシプル」となるような理想のないことである。第二は、せまい愛国心の養成にのみ汲々としていて、「世界的精神」を育てず、「世界文学の攻究」を怠ったことである。第三は、「独創を危険」視し、「兵隊的服従」を強いたことである。第四は、「文学とは真面目なる職業」であるべきなのに「文人」というと「花柳に遊ぶ」を要する人としてみなされてきたことである。まとめ言うならば、理想性、世界性、独創性が不足し、文学者にも職業倫理の欠如があったことである。
    −−鈴木範久『内村鑑三をめぐる作家たち』玉川大学出版部、1980年、16−17頁。

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日本文芸史が専門ではないけれども、内村鑑三(1861−1930)の指摘する、理想性、世界性、独創性の欠如という問題は、近代日本の文化形成において大きな影を落としていることはおそらく否定できない。

もちろん、それを本気で乗り越えた達人は無数に存在する。

しかし、大勢としては、「平時」においては、その側面にどこかで接近することができたとしても、「非常時」においては、何の衒いも逡巡もなく「兵隊的服従」に迎合していった事例が多いことを考えると、創作における「プリンシプル」の欠如のみならず、人間が生きるということに関しては、「これだけは譲ることができない」というような「プリンシプル」が欠如したことも大きく影響しているのではないだろうか……などと思うわけだけど……ねぇ。







⇒ ココログ版 理想性、世界性、独創性が不足し、文学者にも職業倫理の欠如があったこと: Essais d'herméneutique


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内村鑑三をめぐる作家たち (1980年) (玉川選書〈135〉)
鈴木 範久
玉川大学出版部
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