因果と目的のカテゴリーから人間を解き放す「文化の日」
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日常の経験において、我々は、現象を因果または目的のカテゴリーによって結びつけている。事物の、理論的な理由に関心をもつか実際的な結果に関心をもつかによって、我々はそれらを原因と考えまたは手段と考える。こうして我々はもはや、面と向かって、それらを見えないほど、その直接の姿を見る眼を普通失っているのである。他方、芸術は事物をただ概念化したり、利用したりするばかりでなく、視覚化することを教える。芸術は、現実の、より豊富で溌剌とした多彩なイメージを与え、現実の形式的構造の、さらに深い洞察を与える。人間が、現実に向かう一つの、特殊で単一の道だけに限局されることなく、その観点を選択することができ、したがって事物の一側面から、他の側面に転じうるのは、人間性の特徴である。
−−カッシーラー(宮城音弥訳)『人間 シンボルを操るもの』岩波文庫、1997年、357−358頁。
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11月3日は日本では「文化の日」という法律によって定められた祝日(……とはいえ、コチラは仕事ですけどw)。
「国民の祝日に関する法律」(⇒ e-GovSearch )によれば、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」のが「文化の日 十一月三日」の意義ということらしい。
歴史を振り返ると、1946年のこの日、日本国憲法が公布されたわけで、憲法が平和と文化を重視していることから、1948年「文化の日」と定められたみたいです。
(※因みに1947年までは明治節として、明治天皇の誕生日による休日)。
さて、ひとつ、ここは文化にでも触れたいところですが、うまく時間をさくこともできませんが、その意義を念頭にでもおきながら、画集の一つでもめくっておきたいところです。
何しろ文化の一端をになう「芸術」とは、カッシーラー(Ernst Cassirer,1874−1945)によれば「人間が、現実に向かう一つの、特殊で単一の道だけに限局されることなく、その観点を選択することができ、したがって事物の一側面から、他の側面に転じうるのは、人間性の特徴」でありますから、因果と目的のカテゴリーによってがんじがらめにされてしまった人間の思考を解き放ってくれるものですから、意識的に向き合っていかないと、振り返らないまま、時間だけ過ぎていってしまうというものですからねぇ。
……ということで、まず目前の仕事を片づけますかorz
……あ、ついでの蛇足ですが昨夜はこの季節限定の「赤霧島」をがっつりやりましたが、まろやかなそのうま味は格別のものがありました。
⇒ ココログ版 因果と目的のカテゴリーから人間を解き放す「文化の日」: Essais d'herméneutique