覚え書:「今週の本棚:山崎正和・評 『「ぐずぐず」の理由』=鷲田清一・著」、『毎日新聞』2011年12月11日(日)付。

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今週の本棚:山崎正和・評 『「ぐずぐず」の理由』=鷲田清一・著
角川選書・1680円

 ◇オノマトペから探る言語の本質
 まず驚かされるのは、この著者の底知れない語彙の豊かさである。本の主題は日本語のオノマトペの分析だが、引用される擬音語や擬情語や擬態語の数は優に数百に届くし、それを翻訳し解説する形容詞や形容動詞、いわゆる実詞の語彙はその数倍に及んでいる。このめざましい言語力を武器に、著者はオノマトペの魅力を縦横に語り尽くし、それを通じて言語と文明の本質に深く斬りこむのである。
 通常の実詞が外の対象を指し示すのにたいして、とくに擬態語や擬情語に代表されるオノマトペは語り手の身体の近くにあって、いわば世界の感触を直接に表現する。本の表題に引かれた「ぐずぐず」をはじめ、「どろどろ」や「ぼろぼろ」など、音は表現対象と強い関連を感じさせながら、一対一の厳密な対応を示さない。必ず意味に幅と含みが生じるのだが、これは感覚そのものが固有の抽象能力によって造語しているからである。
 理性だけではなく、感覚そのものにも抽象能力があるというのが著者の創見であって、この着想が全編を通じて展開される。
 擬態語は抽象の産物だから、言語一般と同様に表現対象から一定の距離を保っている。その点、みずからの内部で響きを立てる感動詞とも異なり、みずからを陶酔へと誘う歌謡とも違っている。にもかかわらずそれは「人間的自然」から直接に芽生え、その結果、理性の言語、記号と対象の恣意的な結合と見なされる言語とは一線を画するのである。
 著者は人間の生理的な発音がそれ自体で意味を志向し、その組み合わせが一定の気分を表現する事実に注目する。ザ行の音には強い摩擦を暗示する傾向があって、「ざらざら」「じりじり」「もぞもぞ」などと、身体が外界と擦れ内部で軋み、抵抗や躊躇(ちゅうちょ)を示す状態を表すことが多い。「ぐずぐず」もその一つであり、人が決断を躊躇し、自己の行動への志向と摩擦を起こしている状態だといえるだろう。
 オノマトペは「音の絵」とも呼ばれ、対象を描写する機能が認められているのだが、これも著者によれば感覚による抽象の一つの姿にほかならない。本来、対象を描くとは身体の営みであって、輪郭を描いて形を把握するのは、理性以前の運動感覚の仕事だからである。身体は内部で統一されているから、その運動はすべての感覚に浸食し共感される。目で眺め、舐めるように手で形をなぞるとき、身体の内の反響として、おのずから生じる発声運動がそのままオノマトペになる。
 反面、オノマトペと実詞のあいだには相互移行の関係もあって、「せかせか」と急く、「さばさば」と捌く、「くよくよ」と悔ゆなどと、類縁を想像させる例も多い。現に意味と音には今も密接な関係が意識されていて、意味の脈絡がテクストと呼ばれるのにたいして、音の脈絡はテクスチュア(肌理)と名づけられて、文学者に重視されている。
 著者は言語の発生論には慎重であって、すべての実詞がオノマトペから生まれたと断定はしない。だが少なくとも実詞が対象の様態とは無関係に、ただ意味の違いを恣意的に示す記号にすぎない、という主知的な言語論には懐疑的である。かねてみずから身体の哲学的な意味を重視する評者も、この懐疑論に強い共感を覚える者だが、これ以上踏み込んで、著者の結論を忖度するのは避けるべきだろう。
 なにぶん著者は、現代人がとかく結論の断定を急ぐ弊風を戒め、思索のうえでも「ぐずぐず」することを奨めているからである。
    −−「今週の本棚:山崎正和・評 『「ぐずぐず」の理由』=鷲田清一・著」、『毎日新聞』2011年12月11日(日)付。

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http://mainichi.jp/enta/book/news/20111211ddm015070007000c.html


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