幻滅して徹底的な極端に走ってみるとか(怖







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 ワイマール共和国がヒトラーによって崩壊したのは、ナチスの突撃隊の蛮行もさることながら、まだ磐石ではないワイマール体制を進んで守ろうとする者がほとんどいなかったからである。共産党社会民主党は非難の応酬に忙しく、ナチスの驚異がどれほど深刻なものか、十分に理解することができなかった。
 大正デモクラシーも、擁護者は少なかった。すでに一九一六年の時点で吉野作造は、著作の中で、日本の知識人には普通選挙の意義を理解できていない者が多いと指摘している。それどころか、現実には多くの知識人が普通選挙に猛反対していた。ドイツでも知識人が何人もワイマール体制に幻滅したように、日本人も民主主義に低俗・堕落・利己主義・腐敗を見たのである。その結果、ある者は急進的な反自由主義へ走り、ある者は病的なほど徹底した内省へと向かった。また反自由主義から内省へ向かう者や、その逆の道をたどる者もいた。
 二十世紀前半の日本で最も影響力のあった哲学者は、西田幾多郎である。仏教思想とドイツ観念論を深く研究していた西田は、新たに日本人独特の思考様式を明らかにしようと試みた。日本らしさの神髄を求める西田の取り組みは、ドイツ観念論の日本版といえよう。その成果は、近代日本の所産の例に漏れず和洋折衷で、禅思想にヘーゲルニーチェを混ぜ合わせ、さらに弟子の手を借りてハイデッガーを加えたものとなった。西田哲学の基本は、主観と客観の融合にある。そこでカギとなるのが、理性に妨害される前の直接経験だ。これは、仏教の悟りとヘーゲルの「絶対精神」を合わせたようなものである。直接経験において個人は集団と合一しているという。
 こうした思想は、京都帝国大学の教室の中で学問的に論ずるだけであれば何の問題もなかっただろう。しかし現実は違った。一九三七年、文部省は有名な冊子『国体の本義』を刊行し、国民に「小我を捨てて」、自分たちの生命の源を「天皇に仰ぎ奉る」よう説いた。さらに同所には、日本人は精神の純粋さにおいて他のどの国よりも優れており、「西洋諸国に於ける所謂人民と全くその本性を異にしてゐる」と書かれている。政治的害毒に満ちた文書だが、これなどはまさに西田哲学の主観を日本国民、客観を天皇に置き換えて両者の合一を説くのに利用した一例と言える。
    −−イアン・ブルマ(小林朋則訳)『近代日本の誕生』講談社、2006年、93−95頁。

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ちょいと、忙しく言及できないのですが、メモだけ少し。

結局の所、別にはナチスは今存在しないけれども、批判ではなく非難の応酬に忙しいと碌なことはないね、ということがひとつ。

それから吉野作造(1878−1933)への言及があったので、抜き書きしたわけですが、イアン・ブルマ(Ian Buruma,1951−)が描写する通り、体制への幻滅=どのような無茶をやってもいいわけじゃなし、その結果はこれまた碌なことがないね、ということがふたつめ。

最後は、西田哲学の暴力性というかあやうい綱渡り的な性格についての簡潔な指摘。

よく突いていると思います。



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