覚え書:「リアル30’s:働いてる?」、『毎日新聞』まとめ

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リアル30’s:働いてる? (1) 歯車には ならない

◇仕事はする。自分のために
 「キ・オーラス・サォン?」(何時ですか)。東京・有楽町のブラジルレストラン。都内の大手企業に勤める美晴さん(33)が声を上げる。男女の生徒10人が一斉に時刻を答えると、「イッソ!」(その通り)。週に1度のポルトガル語教室。ここでは会社員ではなく講師だ。

 ボサノバから入り、ブラジル好きが高じてポルトガル語にはまった。日系ブラジル人が多い群馬県大泉町に住んで働いたこともある。日本とブラジルの交流団体「キモビッグ」を作り、昨年6月から語学教室を始めた。講師は無償だ。

 昼間の仕事はブラジルにすべてをつぎ込むための手段。だが、手は抜かない。猛烈に働いて5時半には会社を出る。「早く帰りたいから、すんげえがんばる。トイレに行くヒマも惜しい」

 でも9時から5時、私は「死んでる」し、ブラジルにかかわる時間以外は、私は私じゃない。「私のアイデンティティーはキモビッグ。少なくとも会社の仕事じゃない」

     ◇  ◇ 

 社内政治に興味はない。でも「フェイスブック」で必要な友だちとはつながっている。

 都内の広告代理店で働く32歳のサトルさん(仮名)は、昼が近付くと資料を広げて忙しさを演出する。そろそろ先輩が誘ってくるころだ。

 「ご飯行く?」「すみません、手が離せなくて」。先輩を嫌いなわけじゃない。行けばたわいのない話で盛り上がる。でも、意味を感じない。「社内でコネ作って、何のメリットがある?」

 大卒で東証1部上場のITサービス会社に入った。「歯車として働き、歯車として終わりたくない」と4年で退職。次のコンサルタント会社も「寝る間を惜しんで働くほどの仕事か」と、4年で辞めた。

 思春期直前にバブル経済が終わった。それから日本はずっと不況。いい思いをしたことはない。仕事を始めて、ベテラン世代があっさりクビを切られる姿も見てきた。

 「『継続は力なり』って言われても、力になってないじゃんって。会社を出た時にどうやって食っていくか、いつも考えてる」

 200社受けて、今の会社に契約社員として採用された。仕事は面白くやりがいもある。望めば正社員登用試験も受けられる。だが、この会社で自分は満足か。2年目に入ったが、10年後、20年後をイメージできない。居場所としての「職場」は要らない。「夢は在宅勤務。今の仕事なら、全然できると思うんだけどね」

     ◇  ◇ 

 マークシートの(2)をひたすら塗りつぶす。会社に受けろと言われたTOEIC(国際コミュニケーション英語能力テスト)。解答づくりの単純作業が恨めしい。海外勤務に興味はない。

 メガバンク総合職、29歳のマキコさん(仮名)は都内の支店で法人営業をしている。私立大経済学部を07年に卒業、入行した。

 仕事は忙しい。午前7時半に出勤。外回りを終えて午後5時に職場に戻り、遅くまで書類を作る。家に帰ると日付が変わっていることも。営業成績は上位だ。「仕事は好き。ちゃんとやりたい。若手でも社長に会えるし、業界を広く見られるし」−−ただし、会社の評価が自分のすべての価値とは思わない。

 どう働くか自分のルールがある。仕事に本気なのに、そう見られたくないので格好はわざとちゃらく、髪は明るい茶色。仕事がやりやすくなるなら上司と酒を飲み、たばこを吸って距離を縮める。「私はガチで生きてる。かなり不器用に、したたかに」

 ここ数年、摂食障害で体調が悪く、一時休職。昨秋に復職し、病気も公表した。病気を治して同じ場所に戻ることが自分なりのけじめ。「病気は悪いことじゃないでしょ。『こういう病気を公表して、堂々と成績上げてやればいいんだ』と思ってる」

 自分なりにがんばるが、「無理しろ」と言われてもしない。そう言った人はたぶん責任を取ってくれない。「がんばる」と「無理する」は絶対、別と思う。

 今の時代は生きづらい? 「すごくそう思う。年間自殺者3万人って、未遂はもっといるってこと。ちょっとした戦争状態。私もみんなも、その時代を必死に生きてて。それを人ごとと思って漫然と生きてる人たちの想像力のなさは、超つまんない」

 会社の目標より、自分のペース。TOEICは990点満点で190点だった。

【鈴木敦子、水戸健一】

     ◇  ◇ 

 「失われた20年」に青春期を過ごした世代が今、30代を迎えている。仕事、結婚と岐路に立たされる年齢だが、社会は閉塞(へいそく)感に覆われ、どんどん生きづらくなっている。誰のために、何のために働き、生きるのか−−懸命に考え、悩み、迷う30’sを追う。=つづく

 ◇「生きづらさ」最も感じる世代
 30代(30〜39歳)の人口は約1800万人。総人口の約14%を占める(2010年国勢調査)。思春期〜青年期がバブル崩壊以降の「失われた20年」と重なり、「生きづらさ」を最も感じている世代とも言われる。

 その大きな理由が「仕事」。1993〜2005年は就職氷河期とされ、不況で企業が新規採用を抑え、労働市場からはじかれる若者が急増した。00年代前半には派遣労働規制が大幅に緩和され、正規雇用の職に就けなかった現在の30代前半の若者の多くが、低賃金で不安定な非正規の職に就かざるを得なくなった。その後も、経済のグローバル化円高などが進み、従業員を正社員から非正規に置き換えたり、非正規雇用労働者の雇い止めや解雇が起きた。
    −−「くらしナビ:リアル30’s:働いてる? (1) 歯車には ならない」、『毎日新聞』2012年1月1日(日)付。

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http://mainichi.jp/photo/news/20111231mog00m100009000c.html



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リアル30’s:働いてる?/2 会社員になりたくない 「面白いこと」求めて起業

 毎朝7時に家を出て、帰宅は深夜。土曜日は一日中眠り続け、日曜の夜に深いため息をつく−−。科学教育事業のベンチャー会社「リバネス」(東京都新宿区)社長の丸幸弘さん(33)が見てきたサラリーマンの父の姿だ。「会社員にはなりたくない」と思った。

 薬科系大学で学んだ。在学中はバンドの活動に熱中。3年の秋、仲間のリクルートスーツ姿に怒った。「お前ら、ロックに生きるって約束はどうなったんだよ」「そうは言ってもよ、働かなきゃいけないんだぜ」

 周囲は製薬会社に就職を決めていく。それでも一人動き出せなかった。人事担当者にペコペコして「御社で一生働きたい」なんてウソでも言えない。結局大学院に進み、寝る間も惜しんで顕微鏡をのぞき続けた。

 2000年代初め、学生ベンチャーブームが起きた。博士課程在籍中。「何か面白いことをしたいよね」と他大学にも声をかけ、15人が集まった。02年、「リバネス」を設立し、代表に就いた。「ソニーもホンダも、最初は気の合う仲間で始めた。なら、おれにもできるじゃん」

 バブルを知らない自分たちは景気が良かったことを知らない。1世代上の「先輩」経営者はIT景気の波に乗り、バブルを再現しようとしていた。でも、「僕たちは金もうけに興味がなかった。夢を仕事にしたいだけ」。

 看板事業は中学や高校への出前科学教室。地道に全国の学校を回った。紫キャベツを使った太陽電池、ホタルの光の再現、遺伝子組み換え実験……手作りのキットで科学の面白さを伝えた。07年には「宇宙教育プロジェクト」を開始。植物の種をスペースシャトル国際宇宙ステーション(ISS)に運び、帰還後に小中学生と育てている。種が戻る前に紛失し、ニュースになったことも。

 今も「会社サークル」のようだ。社員は平気で社長に盾突く。社長は社員をニックネームで呼ぶ。でも創業から10年、右肩上がりで成長し、15人だった社員も約40人になった。

 社内で決めていることがある。「がんばってるね」と絶対に言わない。「がんばって一生食っていけるならがんばりますよ。でも今は、がんばってもメリットはない。そもそも、僕らの世代は食うことが目標じゃない。自分が面白がって、オタク的にやったことに対して『へえ、おもしれえじゃん』と言われたいだけ」

 がんばらないが猛烈に働く。徹夜もするし、休みなしで1カ月働くこともある。「オタクですよ僕らは。好きなことだから、働かされていると思ってない」

 ◇  ◇
 入社式の前日、内定していた大手旅行代理店に辞退を告げた。決意は固かった。

 都内のウェブ制作会社社長、33歳のケンジさん(仮名)は学生時代、バックパックを背負ってアジア各地を旅した。大学4年の時はタイに留学。1年後に帰国し、遅れた就職活動でも人気企業をあっさり射止めた。

 数年働いて独立するつもりだった。会社は腰掛け。その間に海外赴任を−−。だが、入社前の研修で「簡単に海外には行けないよ」と言われ、萎えた。

 職場を見学した。社員はずっと電話に張り付き、航空券の予約に追われていた。延々と同じ作業。疲れた表情が印象に残った。下積みの時間がもったいないと感じた。

 「うまくやってはいけそうだったが、歯車になりそうで。いったい何を学べるのか見えなかった」

 小さな広告代理店に入って仕事を覚え、4年後に中学の同級生と2人で会社を起こした。場所は秋葉原。ウェブ制作を請け負いながら、萌(も)え系カフェも経営する。08年の無差別殺傷事件で業績は一時落ち込んだが、今は持ち直した。

 もしタイに行かなければ、素直に会社員になっていたと思う。活気に満ちたアジアを見た後、みんなと同じ流れに乗れなくなっていた。よく、タイ人の妻が言う。「日本はどんよりしてる。みんな楽しそうじゃないね」。自分もそう思う。「会社員、しんどそうですもん。心も体も病気になるまでがんばるって何だろうって」

 ディスコ、キャバクラで遊んで、何でも買えた世代に比べて、地味に生きていると思う。家でフェイスブックをして友だちと遊んで、それで十分。「いい車に乗りたいとかも思うけど、今の働き方を変えてまで手に入れたいものじゃない」【鈴木敦子、戸嶋誠司】=つづく

 ◇「定年まで勤めたい」 時代で差
 財団法人・日本生産性本部は1969年から、企業の新入社員を対象に「働くことの意識調査」を実施し、「同じ会社でずっと働きたいか」という質問を設けている。新人が「定年まで勤めたい」と答えた割合から、時代性をうかがうことができる。

 今の30代が新人だった90年代と00年代前半は、10〜20%台と低い水準。一方、11年春入社の新人は過去最高の34%だった。93〜05年は有効求人倍率が1を切る「就職氷河期」。雇用状況は厳しかったが、それが長く続くとは思われていなかった。新人が「会社に縛られたくない」という意識を、まだ持つことができた時代だったと見ることができる。
    −−「くらしナビ:リアル30’s:働いてる?/2 会社員になりたくない 「面白いこと」求めて起業」『毎日新聞』2012年1月3日(火)付。

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リアル30’s:働いてる?/3 使い捨ていつまで

◇派遣転々…身も心もボロボロ

 「何とか就職できたよ」−−昨年秋の高校の同窓会。近況報告でとっさにうそが出た。同級生は働き盛りの会社員や公務員。仕事の苦労も楽しそうに語り合っていた。


 横浜市で1人暮らしの31歳のダイスケさん(仮名)は今、生活保護を受けている。派遣切りに遭い、仕事が見つからないままもう2年がたった。

 埼玉県の私立高を99年に卒業。家計が苦しく進学できなかった。フリーターになり、ファミレスで週5日のアルバイト、うち2日はコンビニと掛け持ちした。多い日は1日14時間働いた。それでも月収約13万円。

 8年目、長時間労働がたたって体を壊し、アルバイト生活をやめた。だが、正社員の面接を受けても不採用が続く。履歴書の資格欄はいつも「なし」。運転免許すら持っていない。

 専門学校に行く学費を稼ごうと、派遣労働者になった。製造業派遣が解禁された頃。フリーペーパーの求人に「月収30万円!」「入社祝い金もあり」と景気のいい文字が躍っていた。

 初めての派遣先は自動車組み立て工場。1週間で後悔した。諸経費と寮費を引かれて手取りはわずか月10万円。学費などたまらない。自分が何の部品を組み立てているかも分からず、やりがいを持ちようがなかった。

 働く仲間は40〜50代の元正社員。「バブルの頃はよかった」「パチンコ行くから残業代わって」と、だらしなく映った。「俺が正社員だったらまじめに働いていたぞ」。生まれた時代を呪った。

 リーマン・ショック翌年の09年秋、派遣先を解雇された。年始に寮を追い出され、とうとう生活保護を申請した。月13万円を受け取る。

 ハローワークで職を探す毎日。履歴書の写真代や面接の交通費が響き、月に3、4日は3食を抜く。面接までたどり着ける会社は多くて月に5社。「また『ご縁がなかった』という言葉を聞かされるのかと思うと緊張して眠れない。心はとっくに折れた」。唯一の楽しみは子どもの頃から買い続ける「少年ジャンプ」。1週間、繰り返し読む。

◇  ◇ 

高速道路の中央分離帯に激突しそうになり、あわててハンドルを切る。心臓がバクバクし、冷や汗が流れた。しばらくするとまた、まぶたが重くなる。

 09年までの約3年間、関東地方の運送会社でトラック運転手として働いた31歳のコージさん(仮名)は「1日の睡眠は2、3時間。いつ大事故を起こしてもおかしくなかった」と振り返る。

 午前5時出社。7時に東京都内の配送センターで荷物を受け取り、午後9時ごろまで関東一円の工場に部品を運ぶ。月収は手取り約20万円。残業代もボーナスもなかった。友人の葬儀のため休みを申し出ると、上司から「サボりたいだけだろ。嫌なら辞めろ」と言われた。

 高校卒業後、都内の職業訓練校に通った。金属加工会社に就職したが、「違う仕事も経験したい」と再び職業訓練校に。ところが体調を崩して中退。約1年半の休養後は、建設作業や警備員、引っ越し、代行運転手、日雇い仕事で食いつないだ。

 プリンター工場や自動車部品工場の派遣も経験したが、休日出勤を断ると嫌がられ、半年で契約を切られた。26歳で飛び込んだトラック業界は、ようやく見つけた正社員の職だった。

 だが不況で業界はコスト削減に追われ、ドライバーにしわ寄せがきた。「高速道路は使うな」と指示され、荷待ちや車両点検の時間は勤務外と見なされた。得意先の配送センター社員は王様みたいに振る舞った。それでも愛想良くしないと、会社が契約を切られる。

 一般道を時速100キロで飛ばし、食事やトイレもがまんした。事故より、遅配による上司のしっ責におびえた。居眠り運転は日常茶飯事、信号無視もした。

 大学を出ていればと何度思ったか。でも「自分みたいに選択肢がない人間は、クズみたいな使われ方でも続けるしかない」。運転中に追突され、持病の腰痛が悪化して退職した。傷病手当ももらえなかった。

 運送会社の次に就いた仕事も長時間残業が当たり前。昨年夏、うつ病と診断されて辞めた。失業保険は1月半ばに切れる。

 いつまで使い捨てなんだろう。「もうすぐ自分もああなるのかな」−−視線の先には、寒風が吹く公園で背を丸めるホームレスがいる。真冬の路上生活は死と隣り合わせだ。「普通に働いて、普通に眠って、普通に食べられる生活をしたい」。途切れがちの声が冬空に吸い込まれていく。【水戸健一、鈴木敦子】

=つづく

非正規雇用25〜34歳の4人に1人
 25〜34歳の非正規雇用率は、1991年は約10人に1人(10.9%)だったが、2010年は約4人に1人(25.9%)となった。男性の非正規雇用労働者(全年齢)の6割は年収200万円未満で、生活保護の受給水準よりも低い「ワーキングプア」になっている(総務省調べ)。
 一方、生活保護の受給者は11年9月時点で過去最高の206万人。09年のデータでは、働き盛りの30代の受給者が約11万2000人と00年の約1.9倍になり、全体の伸び率(約1.6倍)を上回った(厚生労働省調べ)。

 ◇ご意見お寄せください
 郵便は〒100−8051(住所不要) 毎日新聞くらしナビ「くらし」係へ。宛先に「リアル30’s」と明記して。ファクスは03・3212・5177、メールはkurashi@mainichi.co.jpまで。ツイートでも受け付けます。毎日新聞社の媒体に転載してよい場合はハッシュタグ#rt_30を付けてください。取材記者も@real30sでつぶやきます。
    −−「くらしナビ:リアル30’s:働いてる? 4/ 使い捨ていつまで」、『毎日新聞』2012年1月4日(水)付。

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http://mainichi.jp/life/today/news/20120103mog00m100006000c.html



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リアル30’s:働いてる? /4 入社2カ月解雇通告
昨年の秋も深まったころ、突然、上司に呼ばれた。「余裕があるみたいだね。今年は大きな仕事をしてないよ」−−穏やかな口調が不気味だった。小さな出版社に入社して2年目の30歳のマコトさん(仮名)。繁忙期に定時で帰ったのが気に障ったようだ。「またクビになるかも」と不安がよぎる。

 早稲田大在学中に演劇にのめり込み、就職活動をしなかった。04年に卒業後は飲食店のアルバイトで食いつなぎ、しばらくしてコールセンターの仕事を始めた。時給制のアルバイトで手取り月16万〜17万円。その後、契約社員になったものの、不安定な仕事から逃れようと初めて就職活動に臨んだ。


 就職あっせん会社に登録した。だが、50社申し込んで面接にたどり着けるのは半分。「演劇に打ち込んだので就職活動をしませんでした」と話すと、面接官は冷ややかにほほ笑んだ。好きなことやって就職の機会を捨て、調子のいいこと言ってるねえ−−そんな声が聞こえた気がした。

 結局、正社員をあきらめ、06年に派遣会社に登録。ところが、派遣切りが始まった。09年夏に派遣先の契約が前倒しで打ち切られ、派遣会社の支店待機に。会議室に派遣30人が集められ、パソコンに向かって自習を命じられた。外出も居眠りもだめ。このまま会社に残っても給与は出ないと言われ、退職した。身勝手なのは自分か会社か、分からなくなった。

 両親はバブルのころ、関東近郊に家を買って多額のローンを抱えた。都心から遠くて住みにくく、借り手も見つからず、結局手放した。年金から今もローンを返済する。親子でマンションに暮らすが、余裕のない両親に代わってマコトさんが家賃を払う。「何で俺がバブルのツケを払うのか」

 今の出版社では正社員。最近は進んで残業もする。休日出勤も多い。「いつクビになるか不安。また惨めな就職活動はしたくない」−−向かいの席に座る上司の一挙手一投足が気になる。

◇  ◇ フリーターやネットカフェ難民に比べたら「自分はまだまし」と思っていた。

 01年3月、34歳のケンジさん(仮名)は学習院大を卒業した。就職先は従業員約500人の自動車部品メーカー。経理部で働いた。

 08年、リーマン・ショック直後に年齢を問わないリストラが始まった。数年前、元請け会社の業績悪化のあおりを受け、中高年は一掃されたあと。31歳だったケンジさんにも希望退職の声がかかった。

 会社に残りたいと言ったら、工場に異動させられた。塗装ラインでひたすらバンパーを上げ下ろしする肉体作業。強硬な説得に負けて、結局退職した。8年勤めた退職金は100万円。東京・日比谷公園派遣村ができてしばらくたった頃。若手の正社員ですら簡単に職を失う時代が来たと思った。

 再就職を目指し、失業給付を受けながら簿記2級の資格を取った。「当時はまだ大丈夫と思ってた。大学を出て、正社員を8年して、簿記を持ってて、何とかなると」−−現実は甘くなかった。

 転職サイトに「製造業・正社員・事務職」で登録したが、応募しても書類ではねられる。100社に応募し面接に進めたのは10社。転職サイト担当者は「年齢の割に薄い職務経歴、1年のブランク、職務経歴のアンマッチ」を理由に挙げた。

 ようやく内定をもらった都内の食品会社。年収は約400万円。一生懸命働こうと思った。しかし、入社1カ月後に採用担当者に呼び出された。「こんな好待遇なのにさ、あなたそれに見合う能力がないよ。会社が求める10分の1も働いてないじゃないか」

 2カ月目、別室で「解雇します」と通告された。離職票には「能力不足」の文字。何が足りなかったのか、今も分からない。現在は関東地方で団体職員として働いている。

◇  ◇ 昨年12月9日夜。勝ち組の象徴と呼ばれた六本木ヒルズそばの雑居ビル地下に、20〜30代の若者が次々集まった。若者の労働・貧困問題に取り組む「反貧困たすけあいネットワーク」がクラブを借り切って開いたイベント。代表で、首都圏青年ユニオン書記長でもある河添誠さんは「もう8回目。あえて六本木でやるのがおもしろいでしょ」と笑う。

 専門家のトークと、食事や酒を楽しむ。厳しい日常の中のささやかな息抜き。過労死寸前の働き方や貧困にあえぐ若者への共感が会場を包む。「いつ自分がそうなるか分からない」−−30代の実感だ。

【水戸健一、戸嶋誠司】=つづく

バブル崩壊若手の雇用直撃
総務省労働力調査によると、11年1月の25〜34歳の完全失業率は6.4%。全年齢の平均値(4.9%)と比べても厳しい。就職氷河期(93〜05年)が始まる直前の92年1月では、25〜34歳が2.4%、全年齢の平均値が2.1%とほとんど差はなかった。バブル崩壊以降、働き盛りの25〜34歳を取り巻く雇用状況は激変した。

 また、10年の同調査によると、勤め先や事業の都合で職を失い、求職中の人は102万人。07年の59万人から急増している。
    −−「くらしナビ:リアル30’s:働いてる? /4 入社2カ月解雇通告」、『毎日新聞』2012年1月5日(木)付。

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http://mainichi.jp/life/job/news/20120104mog00m100021000c.html



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リアル30’s:働いてる? (5) つながって生きる シェアハウスで、ネットで

 「やっぱりうどんには日本酒でしょ」−−。夜9時前、煮込みうどんの鍋を囲み、近所の友人も交えて夕食が始まった。


 京都市内の2階建て借家。30歳会社員のヨーコさん(仮名)は学生時代の仲間2人と、この「シェアハウス」で暮らす。

 3居室を分け合い、広さごとに家賃は月2万5000〜3万1000円。光熱費や食費を含め、月5万円程度で暮らせる。それ以上に「誰かといる静かな暮らし」が心地よい。

 大学を卒業した04年、大阪の広告関連会社で働き始めた。3年目になると仕事量が急激に増え、連日深夜まで残業。たまの休日は自宅にこもり、テレビやパソコンの画面に向かって一人笑う。体と心に不調が出た。息切れや不眠が続く。それでも上司は「働いてもらわないと困る」。ある日、何かがプチッと切れた。「ここに自分を委ねるのはいや」。心療内科にかかり、退職した。

 働くことは大事。でも楽しんで、自分が変われるような働き方をしたい。そう思って転職し、今は社内報の制作を請け負う会社でライターを務める。企業の若手社員にインタビューし、苦労談をまとめる仕事。地道にがんばる同年代を見るたび、素直に感動する。調子を崩した時、今の上司や同僚は「そうなることもあるよ」と時間をくれる。

 一方で、「何かあっても社会は自分を助けてくれない」とも感じる。長生きも望んでいない。「老後のために貯金してどうするって思う。貯金は人生の選択肢を増やすため、会社が立ちゆかなくなった時のため」

 シェアハウス入居は、転職後の09年。風邪をひいた時はショウガ入りの雑炊を作ってもらった。共有の連絡帳には「水が出しっぱなしでした」と注意書き。緩やかな関係が安心できる。「結婚して2人きりになるのはしんどい。都合の悪いことがあると、相手のせいに思えてしまう。今の私には3人ぐらいがいい」

 2年ごとの契約更新で入居・退去は自由。いずれメンバーは代わるかもしれないが、結びつきを求める人と、この先もつながるような気がする。

 会社でも家族でもない、第3のつながりが今の居場所。「友だち以上家族未満でつながって、しんどくもおもしろい時代に生きてるよね」−−同居仲間の言葉に、ほろ酔い気分でうなずく。

 ◇  ◇ 
 恋に破れた男女の相談メールがパソコン画面に並ぶ。「前向きに、悩み続けず、恋愛以外に自分がやりたいと思うことに目を向けて集中して」−−。回答メールを送信する。

 和歌山県内の観光ホテルで働く義信さん(35)には、本職以外にもう一つの顔がある。復縁専門の「恋愛相談マスター」。ネット上では知る人ぞ知る有名人だ。

 もともと人付き合いが苦手だった。高校を出て、地元の自動車部品販売会社に就職。しかし物足りなくなって大阪に出た。昼は工場に勤め、夜は道路工事現場の警備員をした。和歌山を出たら何とかなるだろうと思ったけれど、やりたいことも見つからなかった。28歳で和歌山に帰り、ホテルに勤め始めた。初めての接客業は意外におもしろかった。

 だが、給料は手取りで月20万円ほど。地方なのでそんなに仕事を選べない。有料の恋愛相談を始めたのは、単にもっと稼ぎたかったからだ。ネットの副業なら身一つで両立できると思った。

 相談を募ると、予想以上の反応があった。次第に復縁の相談が増えたため、専用ブログを開いた。メールだけのコースで1週間2500円、電話相談も含むと1カ月1万5000円など。今は20〜30代の女性を中心に、毎日10〜15人を相手に相談に応じる。

 自分は未婚で、交際経験も少ない。だが、親身な励ましは見ず知らずの人の心をつかみ、この3年で復縁させた人は50人近い。「みんな不安を抱え、応援されたい、勇気づけられたいと求めているんだと思う」。希望者を集め、オフ会も開くようになった。

 相談者の経験を聞くたび、自分の体験も深まるような充実感を覚える。「人と接しない生き方が無難と思ってきたが、今は違う。どんな仕事も人がいないと成り立たない。僕のアドバイスで人を幸せにできるなら、それが最高の報酬です」【青木絵美】=つづく

◇荒波を一緒に乗り越えようと
関西学院大社会学部准教授の鈴木謙介さん(35)

 今の30代は何かを期待して裏切られた世代。たくましく生きる覚悟はあったのに、2000年代に厳しい現実に直面して「やっぱ無理だった、一生懸命やったけど、何にもなんなかったじゃねえか」と怒っている。同時に「自分の努力が足りなかった」という自己責任感も強く引きずっている。逆にその下の20代はハナから「期待するな」と教えられた世代。もっと冷めていて保守的だ。

 意識ある人たちはすでに「仲間」「つながり」で荒波を乗り越えようとしている。会社外で横断的な仲間を作ったり、地元・地域でつながったり。「みんなが敗者になる前に助け合おうよ」と動いている。震災のボランティアでも見られたが、関わりとつながりの仕組みと場所を、社会にもっと多く用意しないといけないと思う。
    −−「くらしナビ:リアル30’s:働いてる? (5) つながって生きる シェアハウスで、ネットで」、『毎日新聞』2012年1月6日(金)付。

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http://mainichi.jp/select/biz/news/20120105mog00m100017000c.html



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リアル30’s:働いてる? (6)誰かの役に立ちたい 社会貢献 ビジネスで


夕暮れの被災地を見つめる及川武宏さん。「まだ何も始まっていません」=福島県南相馬市で、丹野恒一撮影
 「ほしい物があったら何でも言って。食べ物? おむつ?」。東日本大震災から4カ月たった昨夏、故郷・岩手県大船渡市に住む友人に電話すると、予想外の答えが返ってきた。「震災があったことを忘れないでほしい」 

 及川武宏さん(32)は当時、東京のコンサルティング会社から島根県アミューズメント会社に転職したばかり。「まるで逃げたみたいだ」と後ろめたさを感じていた。友人の一言で心を決めた。

 ソフトバンク孫正義社長が設立した公益財団法人「東日本大震災復興支援財団」の正規職員に応募し、面接で本心をぶつけた。「大船渡のためだけに働きたい。それ以外は興味がない」。採用され、島根の会社は2カ月で辞めた。

 少年のころは美しい海で泳ぎ、釣りに明け暮れた。県立大船渡高校時代は、サッカー部でフォワードとして活躍。小笠原満男選手(現・鹿島アントラーズ)らと全国大会で3度ベスト16入りし、町を挙げて祝ってもらった。「将来は大船渡に帰ろう」と考えていた。

 新卒で人材紹介会社に入社したが、希望の部署に行けず、半年で見切りをつけた。アルバイトをしながらニュージーランドを1年間旅行。バックパッカー向けの安宿に泊まり、ワイナリーで働いて旅行資金を稼いだ。「海外からの旅行者を、こんなふうに大船渡に集められたら」。起業を考え始めた。

 26歳で帰国し、IT系ベンチャー企業コンサルティング会社で働いた。「待遇を気にしたことも、レールに乗らなきゃと思ったこともない。それより、たった一度のチャンスが巡ってきた時、逃さない自分になっていたい」。サッカーで学んだ教訓だった。

 今は被災地と東京を往復する生活。財団で奨学金を担当する一方、起業の構想を膨らませる。大船渡の休耕地にブドウを植え、ワイナリーを造る。空き家を改修して外国人旅行者向けのゲストハウスも造りたい。水産業の回復に時間がかかる中、内陸で産業を育てたい。古里への思いが、被災地全体の復興につながると信じている。

 「若いころの夢は空回りばかり。でも今は夢だけで終わらせない自信がある。人とつながり、人を巻き込んで形にするすべを学んだから」。これまでの仕事で一番やりがいを感じている。

◇  ◇ 小倉譲さん(34)は、介護付き旅行を手掛けるNPO法人「しゃらく」(神戸市)の代表。06年に事業を始めた。

 最初は6畳一間で仲間3人と共同生活。食事はコロッケ一つを4等分。ビジネスが軌道に乗るまで、休みはゼロだった。各自3万円の月給では暮らせず、夜もアルバイトをした。「はいあがろうぜ」と、毎日声を掛け合った。2年後、1400万円がたまり、月18万円の給与を払えるようになった。

 中学・高校時代はずっとヤンキー。誰かに認められたかった気がする。高2の時、阪神大震災に遭った。勤め先で陣頭指揮を執った父は10日間、家をあけた。「従業員もその家族もお客さんも、みんな家族。だからこの家はお前が守れ」。初めて認めてもらえた。自分も誰かの役に立ちたいと思った。

 福祉を志すきっかけは、入院していた時に知り合った年下の友人。不治の病気だった。涙を流しながら彼が言った。「俺にも夢がある。入院中ずっと本読んでたから、文章に自信がある。校正の仕事に就いたら両親に楽をさせられる」。自分とはスタートラインが違う、と打ちのめされた。社会の矛盾をなくしたいと、ソーシャルビジネスを考え始めた。

 障害者向けの服づくりを目指して入社したアパレルを、「まず利益」の社風に反発して退社。そのころ、自分では歩けない岡山在住の祖父が「生まれ故郷の徳島の神社に行きたい」と言い出した。大手の旅行代理店に介護付き旅行を相談したが「うちでは難しい」。自ら連れて行った。

 参道で祖父は車いすから立ち上がり、長い階段を自分の足でゆっくり上り切った。旅の持つ見えない力に気付いた。旅を必要とするのにサービスが届かない人たちがいる。友人たちとNPOを作った。

 「お金より大切なものっていっぱいあると思うんですよ。僕らが追求するのは、心から『ありがとう』って言ってもらうことだけ。仕事と人生、多くの人はすみ分けてるけど、僕にとっては一緒。自分で道を切り開きたい」

 事業が軌道に乗り、コンサルタント会社から「今より数倍の報酬でうちに来ないか」と引き抜きの声がかかったこともある。だが、仲間を裏切る気はない。

【丹野恒一、細川貴代】

=つづく

 ◇商売でも奉仕でもなく
 ソーシャルビジネス(SB)は、子育てや障害者の支援、貧困、医療、まちづくりなどの社会的課題の解決にビジネスの手法を用いて取り組む事業。利益追求も事業を持続的に成立させるのが目的で、一般的なビジネスやボランティアと区別される。社会的課題を解決しながら、新たな産業・雇用創出にもつながると注目されている。

 経済産業省が07〜08年、SB事業者に実施したアンケートを基にまとめた「ソーシャルビジネス研究会報告書」(08年)によると、全国のSB事業者数は約8000で、雇用規模は約3.2万人、市場規模は約2400億円(いずれも推計)。組織形態はNPO法人が46.7%と約半分で、営利法人は20.5%。1団体あたりの年間収入は「1000万円以上5000万円未満」が最も多かった。
    −−「くらしナビ:リアル30’s:働いてる? (6)誰かの役に立ちたい 社会貢献 ビジネスで」、『毎日新聞』2012年1月9日(月)付。

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http://mainichi.jp/life/today/news/20120108mog00m100009000c.html



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リアル30’s:働いてる? (7)新しいこと「俺がやる」 業界の常識に挑み 理想へ


 昨年末、大阪市内で開かれたヨガイベント。浄土宗総本山知恩院京都市東山区)僧侶の池口龍法(りゅうほう)さん(31)は若者ら約20人の参加者と汗を流し、語りかけた。「仏教の枠にとらわれず、膝突き合わせて坊さんと話しませんか、ってところから活動しています。お坊さんのイメージを良くしたいんです」

 兵庫県の寺の長男。跡を継ぐつもりで京都大大学院に進み、仏教の文献学を学んだ。だが、家業の手伝いで檀家(だんか)のお年寄りを訪ねると、話題は天気や足腰の具合ばかり。「これって別に、僕がやらんでもいいやん」

 経典に足腰のケアは出てこない。社会と仏教との関わりに関心が移り、指導に逆らって論文を書こうとしたら猛反発を受けた。大学院は中退した。

 05年に知恩院に入ったが、約100人の僧侶がいても活気を感じなかった。「葬式仏教」と言われて久しく、その葬式も年々簡素化され、寺を訪ねる住民は減っていく。「俺たち必要とされてない?」。転職に備え、コンピュータープログラミングの勉強に走ったりもした。

 社会に関わりたいと、フリーペーパーを思いついた。隔月発行の「フリースタイルな僧侶たちのフリーマガジン」(通称・フリスタ)。取材編集は20〜30代。ツイッターで知り合った人もいる。

 他宗派や宗教社会学の識者を紙面にどんどん登場させる。ホームレスや自殺者遺族を支援する僧侶が取り上げられたり、若手僧侶と研究者が日本仏教の未来を激論したり。宿坊の魅力、精進料理レシピも紹介する。若い人に仏教を伝えるためには、今までのやり方ではだめだと思う。ヨガイベントを企画したのも池口さんたちだ。

 「違う宗派と付き合って何になる」と周りは冷ややかだったが、「普通の会社でもライバルのことは学ぶはず」。若者からの反響やテレビ取材が増えるにつれ、次第に理解者は広がった。

 フリスタの事務局があるマンションの一室はオーディオ機器や仏教マンガ本が並び、小さいながら仏壇もある。1万部を発行し、京都や東京のカフェなどに置く。

 「手を合わせて育ってきた人は、生き方のシンみたいなものを持っている。でも、悩んでいる人に神さま仏さまの話も何かねえ……。そこは、一生懸命生きていかないと。みんな逃げたら、この社会良くならないから」


 東京の介護サービス業社長、左敬真(ひろまさ)さん(34)は工科大学の院生時代、高齢者施設を見学した。設計士を志し、今後は高齢者が顧客になると踏んだ。電話で適当な施設にあたりをつけて訪ねた。

 衝撃だった。徘徊(はいかい)に備えてロの字形になった廊下、白い壁は職員の掃除のしやすさを優先しただけ。尿や汚物のにおいが充満する。「一生懸命働いて生きて、最後はここで死ぬの?」。こんな老後は嫌だ、こんな場所で介護されるのはまっぴらだと思った。

 設計士になる夢をいったん脇に置き、介護業界を志した。現場を知ろうと、ヘルパー2級の資格を取って高齢者施設で1年間ボランティアをした。とにかく焦っていた。「早くちゃんとした介護インフラを作らないと、自分が先に老いる、やばい」

 24歳で株式会社「いきいきらいふ」を設立し、元手のかからない訪問介護から手がけた。当初は年上のスタッフばかり。自分なりの理念を伝えても、逆に「教えてあげようか」と下に見られた。それでも、全国初となる短時間の入浴専門デイサービスを始め、フランチャイズ方式での拡大も目指す。理想は自分が50年後に受けたい介護。「誰かがやるだろう」ではなく「俺がやる」。

 経営はまだ綱渡りだが、充実している。従業員は115人にまで増えた。昨年11月には、東京の日比谷公会堂で「第1回介護甲子園」を開いた。応募した135の事業所が取り組みを発表し、魅力ある介護サービスを競った。

 介護業界の仕事はきつい。給与水準は低く、離職者が多くて慢性的な人手不足。そんなイメージを変え、優れた介護に取り組む事業所に光をあてたいと思った。そこで働く人と介護される人が、もっと希望と夢を持てるようにと。

 「どうせみんな、いつかはお世話になるんなら、介護業界をもっと楽しくしたい」

 上には上がいる。自分の会社も応募したが最終選考に残らなかった。「次は優勝を目指すよ」【細川貴代、青木絵美
    −−「くらしナビ:リアル30’s:働いてる? (7)新しいこと「俺がやる」 業界の常識に挑み 理想へ」、『毎日新聞』2012年1月10日(火)付。

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http://mainichi.jp/life/job/news/20120110ddm013100007000c.html



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リアル30’s:働いてる?/8 人生設計、目指さない 心地よさ求めフリーター

 黒いケープをまとい、手になじんだ78枚のタロットカードを机に置いて一呼吸。28歳のケイさん(仮名)=京都府=に「占師」のスイッチが入る。占い館に週2日座り始めて3カ月がたった。

 両親は国語教師。幼いころから塾に通い、受験勉強に明け暮れた。私立女子高から京都の名門女子大に進学し、そこで力尽きた。「もう私終わっていいですか、みたいな。その後はまるで余生」

 受験勉強以外の道を示されず、合格した後どうなるかも教えてもらえなかった。精神的に不安定になり、リストカットするようになった。授業には出たが、就職活動に興味を持てない。

 一足先に短大を卒業し地元の銀行に就職した友人は、簿記の試験勉強に悲鳴を上げていた。受験地獄の無限ループ。「ここにはまってはいけない」。早逝した樋口一葉や自殺した太宰治に自分を重ね、人生設計に背を向けた。

 「どの会社に行ってもつぶれる時代。シューカツをしなくても私を裁ける人はいない」−−卒業後、フリーターになっていた。

 2年後、母親に誘われて高校の非常勤講師になった。生徒たちと好きな作家の話で盛り上がれたが、翌年、月給制から時給制に変わり収入が減った。授業の下準備など時間外の努力が無視されたようで悔しかった。結局、1年余りで辞めた。

 友人にタロットの勉強会に誘われたのはこのころだ。

 もともと占いに興味があった。大学4年の時、有名占師に「あんたは個性が強いから一般企業は無理」と断言され、胸のつかえがとれた気がしたからだ。「自分のせいじゃなく、何か大きな力が働いていると思えば楽になれる」。あるがままの自分を受け入れられる占いに夢中になった。

 稼ぎは完全歩合制。発掘調査のアルバイトと合わせて月収は10万円ほど。実家は出られない。両親も何も言わない。

 安定した職を目指さない自分は、世間から見れば「逃げている」のか。だが「今は、すごく安定している」と感じている。

 総務省労働力調査によると、10年の25〜34歳のフリーターは約97万人。前年より6万人増えた。国はフリーターの正規雇用化のため「若年者等試行雇用制度」などを進めているが、そもそも「正規雇用を望んでいない、望めない」若者も少なくない。

      ◇  ◇

 耳障りな電子音が鳴り響く。30歳のショウタさん(仮名)の最近の職場は、東大阪市内のゲームセンター。「いかにもゆるそう」が選んだ理由だ。午前中から、学校をサボった中学生や高齢者が遊びに来る。「他に行き場はないのか」と思ってしまう。

 子どもの頃の夢は「普通のサラリーマン」で、普通に大学を出て、みんながなるものだと思っていた。

 高校を出てストレートで京都の有名私大に入った。1カ月後、朝起きられなくなった。特定の友だちとつるめる「学級」がなく、居場所を見付けられなかった。「おれは死んだ方がいい」と思った。

 中退後は絵に描いたようなフリーター生活。親は「専門学校でもどこでも、勉強するなら金は出す」と言う。20代半ばで東京のタレント養成学校に通った。同期生はマジで夢を追っていた。次第に足が遠のいた。

 両手の指で足りないほどの仕事を経験した。すべて短期や単発。ホストやアダルトビデオ男優も。今やりたい仕事は特にない。

 サラリーマンになるのに、そんなに強い動機がいるのかとも思う。実家暮らしで家と食べ物には困らない。CDを買う金と、サッカーで汗を流す時間だけ欲しい。

 「みんな仕事仕事って言い過ぎちゃう? 仕事って気持ちよく生きるための手段やろ」。強がりか本音か、自分でもよく分からない。【反橋希美、鈴木敦子】=つづく
    −−「くらしナビ:リアル30’s:働いてる?/8 人生設計、目指さない 心地よさ求めフリーター」、『毎日新聞』2012年1月11日(水)付。

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リアル30’s:働いてる?/9 理想の仕事、追い求め 「はまる何かがあるはず」

 夢が見つかれば一直線に進む。合うか合わないかは体験してから決めたい。

 関西地方の実家で暮らす29歳のヒロアキさん(仮名)は高校時代、大好きなプロレス雑誌の広告に目を留めた。「日本人練習生を募集」。中米プエルトリコで活躍する日本人レスラーが「後輩」を探していた。柔道の経験もある。高校卒業後、迷わず海を渡った。入学金30万円は親が出してくれた。

 だが共同生活が予想以上にこたえた。夜は雑魚寝。洗濯など身の回りのことは自分でやらなければならない。「練習には耐えられたけど……」。1カ月もたずに帰国した。

 フリーターを経てIT系の専門学校で資格を取り、卒業後はシステムエンジニア(SE)になった。ものづくりの現場にあこがれて入社し、徹夜も苦にならないほど働いた。だが、お客の顔が見えない仕事に不満が募り、2年で辞めた。

 その次は警察官。かっこよくて、人の役に立てると期待した。しかし交番に配属されてすぐ、嫌気が差した。当直の夜は仮眠すら取れない日もある。「疲れた体でいい仕事ができるはずがない」。仕事は法令にがちがちに縛られ、事務作業も半端でなく多い。「クリエーティブな仕事じゃない。世界一、自分に合わない」。約1年で辞めた。迷惑をかけた人も多く、申し訳なく思う。だが、やりたくない仕事に時間を取られるなんて無駄、夢に向かって努力するのが好きだ。

 今は、電子書籍の仕事をしたいと思っている。「趣味が読書だから。これから成長しそうだし」

    ◇  ◇

 「今の30代が就職活動をした2000年代初めは、小泉改革を背景に『社会は変わるかもしれない』という期待がふくらんだ時期」と、中央大教授の山田昌弘さん(家族社会学)は指摘する。

 IT系を中心に新興企業の若手社長がメディアをにぎわし、「ベンチャー企業がどんどん出て、チャレンジすれば大企業の社員や公務員でなくても将来が開けるように見えた」。その結果「収入はなんとかなる。やりたい仕事をしている方が幸せ」と、やりがい重視の若者が増えたといわれる。「自分探し」もブームだった。

    ◇  ◇

 32歳のメグミさん(仮名)はテレビ業界にあこがれ、番組制作会社に入った。だが、退職の日が近づいている。

 04年に国立大を卒業し、最初は中堅のIT企業に就職した。SEの仕事は「一生懸命やったけど、お金のためだけに働く感じ」。夜遊びする方が楽しかった。そのうち夜遊びに疲れ、「仕事ぐらいは楽しくやろうか」と、転職を考えた。

 自宅近くの行きつけの飲み屋で仲良くなった常連さんに、東京都内の小さな番組制作会社を紹介され、即決した。当初は年収が約170万円ダウンしたが、気にならなかった。

 給与明細がなく、社長の機嫌次第で給料が変わった。知らないうちに、契約社員から正社員になっていた。数日勤めただけで姿を消す社員もいた。むちゃくちゃな会社だったが、ディレクターに昇格してがぜん楽しくなった。自身の裁量が大きく、クリエーティブでやりがいがあった。体力的にも苦じゃなかった。

 だが、次第に疲れてきた。取材相手に無理に頼んで映像を撮らせてもらい、嫌がることもやってもらう。視聴者より制作や営業の都合を優先した。「『テレビ的』な物差しで作った番組を、視聴者が求めているのか」と悩んだ。

 ある時、編集テープにミスがあった。テレビ局側から指摘され、ミスに気づけなかったことを正直に話したら、上司からは「うそぐらいつけなきゃ社会人失格だぞ」と怒られた。適当にごまかせば済んだ話かもしれない。でも心に引っ掛かった。「社会人としてうそをつく場面があるのは理解していた。でも突き詰めて考えたら、うそをつかない生き方の方がいいんじゃないのと」。昨年11月に退職を申し出た。

 次に何をするか、全然決めていない。だが「次の仕事を一生の仕事と考えない」ことだけは決めている。貯金はわずか、家賃の支払いもおぼつかない。でも、人にはそれぞれ魅力があり、その人に向いた職業があると思う。「一つのことを続ければ、ある種の才能が生まれるのかもしれない。一方で、もしかしたら、自分にすごくはまる何かが、まだどこかに残っているかもしれないとも思ってしまう」【鈴木敦子】=16日から識者インタビューを掲載します

 ◇個性尊重の社会で成長
 厚生労働省が10年度に労働者約2万人(有効回答7991人)に実施した「能力開発基本調査」によると、語学教室に通ったり、インターネットで自習したりするなどの自己啓発をしている正社員は41.7%。自己啓発にあてた平均時間は30代は95.7時間で、20代の74.4時間、40代の80.8時間、50代の79.7時間より長かった。費用の平均も30代が6万円と突出。20代は4万6000円、40代は4万7000円、50代は5万6000円だった。

 30代が義務教育を受けた時代は主に、80年代から90年代にかけて。学習指導要領が改定され、学習の負担を軽減する「ゆとり教育」にかじが切られたころと重なる。キャリア30年の女性小学校教諭(58)は「詰め込み教育が批判され、勉強ができるできないに関係なく、子どもの個性や『自分らしさ』の尊重を社会が求めた時期だった」と振り返る。
    −−「くらしナビ:リアル30’s:働いてる?/9 理想の仕事、追い求め 『はまる何かがあるはず』」、『毎日新聞』2012年1月12日(木)付。

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リアル30’s:働いてる? 識者に聞く/上 社会学者・古市憲寿さん/作家・津村記久子さん

 生きづらい時代を懸命に生きる30代を追った連載「リアル30’s」に、多くの反響をいただきました。研究者や当事者世代の識者に、30’sが生きる今の時代を、共感や応援の気持ちとともに語ってもらいました。3回に分けて紹介します。

 ◇「がんばる」職場も仕組みもない−−社会学者・古市憲寿さん(27)
 若者に「がんばれ」と言う上の世代に、都合の良さを感じます。若者が能力を発揮できるような社会を作ってくれるなら、ありだと思うんですが。

 昔は、ずっと会社があって自分も成長できて、年功序列で上がっていけたから、若い人は安い給料でがむしゃらにがんばれた。今は大企業でもつぶれちゃう。散々働かされて突然職を失うリスクを、若者も引き受けざるを得ない。

 例えば、キャリアアップしたいと思っている人でも、高卒で特に資格がないままフリーターを繰り返して25歳になると、ちゃんと働ける職場もレベルアップする仕組みもない。いくら「がんばれ」って言われても、はしごが用意されていない。非正規の仕事がたくさんあるだけ。だから、若者に「がんばれ」と言うのなら、お金か権利かチャンスを渡さないと意味ないですよね。これは社会問題だと思います。

 派遣への置き換えや若年労働力の使い捨ては、短期的には合理的な話です。でも中長期的には日本の良質な労働力を空洞化させるだけ。日本の国力をそぐ。ただし、若者自身はその問題に気付きにくい。20代は社会に出たばかりで目の前の仕事をこなすしかないし、フリーターも正社員も収入に大差がない。顕在化するのは30代になってからです。

 しかも、キャリアや家族のことをそろそろ決めなきゃいけない。若者気分でもいられるので、ちょうど端境期。今は結婚にしても独り立ちにしても「何歳までに」という社会規範が弱くなり、大人になったという意識を持ちにくい。自由に生きられる分、路頭に迷う人も増えていると感じる。

 内閣府の生活満足度調査を見ると、20代の6割が将来に不安を抱いている。現状に不満はなくても、安定した足場がほしい、堅実に生きたいという人にとって、生きづらい社会になっているのは確か。正社員のパイはどんどん減り、9時5時で働けるような仕事や、そこそこの給料でちゃんとした働き方ができる仕事がなくなってきている。

 「今どきの若者には覇気がない」「もっと怒れ」という上の世代に対しては、勝手に言ってればいいんじゃないかなと。ポストに就いて権力もある方は、若者に期待するだけでなく、自分たちで世の中を良くしてもらいたいですね。【聞き手・鈴木敦子、写真・木葉健二】

 ◇勤勉さや忍耐力、もっと認めて−−作家・津村記久子さん(33)
 私もそうですが、今の30代って疲れてますよね。でも、それを言いにくい雰囲気がある。だったら「疲れている」ということを肯定的に描いてみようと、「ワーカーズ・ダイジェスト」という小説を昨年、発表しました。

 ワーカーズ・ダイジェストもそうですが、私は“普通のOL”の話を書きたくて、今も土木関係の会社で働き続けています。会社から帰宅後に仮眠し、深夜2時間、執筆。毎日原稿用紙3〜4枚ずつ仕上げるようにしていますが、会社員をしているからこそ、執筆に必死に追われずに済んでいるのかも。基本的に働くのはしんどいと身にしみているので、仕事も小説も淡々とやっています。

 私たちの世代は、キャリアアップは望めそうにないし、年金ももらえそうになく、働くメリットはもはやあまり感じられない。生涯賃金のめどでも分かれば、今後の働き方を考えられるのかもしれないけど、それすらよく分からず、ただ修行のように働いている。雑誌などで紹介されているロールモデル的な人を見て、私もと思ってきたけど、理想と現実のギャップを感じている人は多いのでは。

 特に私は就職氷河期世代。「内定取れなかったら人間失格」というぐらいつらい思いをした。それだけに、職場で多少の苦労をしても、自分に腹が立つぐらい心や気持ちが折れない。ワーカーズ・ダイジェストの書店用ポップで「自分の頑丈さが嫌や」と書きましたが、異常なまでに耐久力が強い世代な気がします。

 今の幸せ度は50%ぐらいかな。少しでも上げていこうというのではなく、最低限の50%が確保されていれば「悪くないな」という感じ。ほかの人やほかの世代と比べて幸せかどうかと問われても、幸福は比べるものではないので、その問い自体に意味がない。

 今日は不幸でも、今まで知らなかったいい本やいい曲に出合うかもしれない。そんな感じで、幸せな気持ちはちょっとずつでも更新できると思う。あきらめなくていいとは思います。最近仕事で悩んでいて、先日、生まれて初めて占いをしてもらいました。悪いことは言われなかったし、自分でも意外に楽しめた。まさにそんな感じ。

 私たちの世代の上昇志向のなさは、逆に目標設定の確かさだとも思います。勤勉さや忍耐力は後から獲得しづらいもので、誇っていいものだし、もっと認めてもらえたらと思いますね。【聞き手・大道寺峰子、写真・大西岳彦】

人物略歴

ふるいち・のりとし 1985年東京都生まれ。東大大学院博士課程在籍。主な著書に「希望難民ご一行様:ピースボートと『承認の共同体』幻想」「絶望の国の幸福な若者たち」。

つむら・きくこ 1978年大阪市出身。大谷大文学部卒。05年、太宰治賞を受賞した「マンイーター」で小説家デビュー。09年「ポトスライムの舟」で芥川賞を受賞。
    −−「くらしナビ:リアル30’s:働いてる? 識者に聞く/上 社会学者・古市憲寿さん/作家・津村記久子さん」、『毎日新聞』2012年1月16日(月)付。

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http://mainichi.jp/life/job/news/20120116ddm013100007000c.html



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リアル30’s:働いてる? 識者に聞く/中 首都圏青年ユニオン書記長・河添誠さん/中央大教授・山田昌弘さん

 ◇人材育成、放棄した企業−−河添誠さん(47)
 非正規雇用の増加は1990年代半ばに加速し、2000年代にさらに進みました。でも当時は不況のせいだと思われていた。「景気が回復すれば元に戻るよ」と。現実は違って、以前とは全く違う世界が眼前に現れている。

 特にここ10年の最大の変化は、企業が人を育てなくなったこと。基幹産業ではまだ新人に職業的訓練を受けさせているが、多くの産業でそんな悠長なことができなくなった。派遣労働者契約社員で、かつ技能を持つ人を、安いコストで期限付きで雇う。「人を育てる」という基本的な考えを放棄している。

 その波は正社員にも及んでいる。使えるかどうか、働けるかどうかの判断がすごく速い。だから新卒切りや退職勧奨が増える。そこに優秀な非正規労働者をはめ込み、低賃金のまま正社員と同じきつい仕事をさせる例も多い。職を失うことへの恐怖からだれも企業にあらがえず、体や心を病んだり、過労死する人が出る。正規・非正規を問わず、30代が一人で背負うにはあまりにもひどく、きつい労働環境が日本を覆っている。

 新卒で就職に失敗したり、いったん会社を辞め派遣やアルバイトを長く続けると、職業技能は身に着かない。だから転職も難しい。年齢が上がるほど門は狭まる。

 30代は、単に仕事が見つからない以上のしんどさを抱え込んでいると思う。いつまでも一人前扱いされず、社会的存在として認知されない。カネがなく、恋人もおらず、結婚を望めない。排除された感覚を内面化してしまう。

 これを「自己責任」に落とし込んではいけない。社会の構造変化が大きな要因だから。まともな仕事に就き、職業人として生きられるよう求めることは当然の権利です。私たちがそのことを理解し、彼らの職業技能を伸ばし、労働市場に入りやすい仕組みを作らないといけない。一番はやはり、公共職業訓練を充実させること、不安定な雇用を法律で規制することです。

 みんな、がんばらなきゃいけないと思い込まされている。でも、人生にはがんばれない時もある。独りで悩まないで、いろいろな人と相談できる関係を作ってほしい。大変な時代だが絶望する必要はない。「みんなでつながって生きていこう」と言いたいですね。【聞き手・戸嶋誠司】

首都圏青年ユニオン
本部は東京都豊島区南大塚。
電話03・5395・5359。
メールunion@seinen-u.org


 ◇「社会変わる」予感、期待外れ−−山田昌弘さん(54)
 今の30歳前後が就職活動を始めた2000年代初めは、社会が変わりそうな予感があった。ベンチャー企業が注目され、正規社員と非正規社員の格差もなくなるような期待が持てた。足元の景気は不安定だけれど、いろんなことにチャレンジできそうだ、と。

 法科大学院ができたり、カウンセラーやファイナンシャルプランナーなどの専門職志向が強まったのもこの頃。組織に頼らずフリーでもキャリアを積めそうだと思えた。

 私も期待を抱いた一人。「サラリーマンの夫と専業主婦の妻」という家庭に育った人が多く、親の堅実な人生が平凡でつまらなく見えた反動もあるだろう。「お金は何とかなるに違いない。プラスアルファとしてのやりがいを優先したい」という価値観が強く、「自分探し」もはやった。

 しかし、結局、期待したような社会にはならなかった。夢を持って新しい職種に挑んだ結果、成功した人は一部だけ。大部分は期待外れに終わっている。

 法科大学院が典型的だ。社会が流動化し、訴訟が増えるから法曹人が必要だとされたが、逆に弁護士さえも職探しに走る時代になった。

 能力はあるのに、不安定で低収入のまま放置されている人が結構いる。本人はこれまでの努力が報われる仕事がしたいから、専門職なら非正規や非常勤職員でも喜んで引き受ける。今さら違う道にと言われても、気持ちを切り替えられないし受け皿もない。

 残念ながら、その辺の事情が親には分からない。大学院に行ったり、専門的な勉強をしたのになぜ就職できないの?となる。「やる気があるならできるはず」と。しかも二極化しているので「よその子は定職に就き、結婚もしているのに」と考えてしまう。親は、安定雇用を享受した最後の逃げ切り世代だ。

 もちろん昔も非正規の人はいた。しかし、かつてはパート主婦など扶養してくれる人がいる中での非正規だったのに対し、今は社会に出てから非正規のまま年月を重ねている人が増えた。その最初の世代が現在の30代だ。芸術家などの夢を追って非正規を続けた人も、バブルの頃までなら、夢に見切りをつければ定職が見つかった。今は、夢をあきらめた時には仕事がない。30代男性の自殺者増加とも関係があるだろう。社会全体で考えなければならない問題だ。【聞き手・鈴木敦子、写真・手塚耕一郎】

人物略歴
かわぞえ・まこと 1964年生まれ。00年、一人でも入れる若者のための労組「首都圏青年ユニオン」結成に参加。06年から書記長を務める。
やまだ・まさひろ 1957年東京都生まれ。中央大文学部教授。「パラサイト・シングル」などの造語がある。著書に「ワーキングプア時代」、共著で「『婚活』時代」など。    −−「くらしナビ:リアル30’s:働いてる? 識者に聞く/中 首都圏青年ユニオン書記長・河添誠さん/中央大教授・山田昌弘さん」、『毎日新聞』2012年1月17日(火)付。

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http://mainichi.jp/life/job/news/20120117ddm013100014000c.html



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リアル30’s:働いてる? 識者に聞く/下 神戸女学院大名誉教授・内田樹さん/京都大准教授・内田由紀子さん

 ◇不条理感こそ生きづらさの実相−−内田樹さん(61)
 就職氷河期に直面した世代(30代)は社会の不条理を思い知らされたはず。頭が良く、性格も問題ない、教師からも評価された学生がなぜか就職できない。一方、思いがけない人が早々と内定を手に入れる。若者たちが一番苦しむのは、この採否の基準が明らかでないところ。努力の仕方が分からないのだ。

 だから、仮に正社員に採用されて働き始めても不安は続く。同じ職場の非正規労働者と比べても、能力にそれほどの差はないと実感している。「君の替えなんかいくらでもいるぞ」という上司に反論できず、どれほど労働条件が悪くなっても堂々と是正を求められない。そういう条件で働く若者に向かって「覇気がない」と言うのは気の毒だ。

 採否の基準を明らかにしない、格付けの根拠を示さないのは、労使間に権力の非対称性を作り出すための「仕掛け」。若者たちはおびえ、自信を失い、自分を「いくらでも替えのきく使い捨て可能な労働力だ」と信じ込まされた。彼らは、どれほど劣悪な雇用条件に対しても異議申し立てができない。

 日本の企業はこの30年間、子どもたちを「規格化」することを学校教育に強く求めてきた。缶詰や乾電池のように規格化することで、「英語ができて、ネットが使えて、一日15時間働けて、上司の査定におびえる若者」が量産された。企業は「能力は高いが賃金は安い労働者」を手に入れた。今の雇用環境は、官民一体で国策的に作り出されたものだと思う。

 規格化された労働者は連帯することが難しい。集団の連帯のためには「僕はこれができる、君はあれができる」というふうに能力がばらけていることが必要。それぞれが自分にない力を持っているから敬意を抱くことができる。でも、規格化され、似たような社会的能力を持つ者が集まっても集団のパフォーマンスは上がらない。

 経済のグローバル化は世界中で若い労働者の雇用を直撃している。遠い他国での国債の暴落や政変、自然災害で、突然自分の会社の売り上げが吹き飛び、クビが伝えられる。「なぜ?」と尋ねても誰も答えられない。個人の能力や努力とかかわりなく生活が崩壊する。その不条理感が現代の「生きづらさ」の実相ではないだろうか。個人的な努力で未来を切り開くことができないという無力感ほど、若者の心をむしばむものはない。【聞き手・水戸健一、写真・川平愛】

 ◇結びつき求める若者、社会の福音−−内田由紀子さん(36)
 東日本大震災の前後に、20〜30代の若年層の幸福度を、内閣府経済社会総合研究所で調べました。約6割が震災後、人生観になんらかの変化があったと回答し、特に結びつき重視の傾向が上昇していました。一方、地震前から幸福度が低く、震災の影響を受けずに幸福感が低いままだった人も4割いました。そうした人たちは正規か非正規雇用かに関係なく、若者のどの層にもまんべんなくみられました。

 これには心の余裕が関連しているのではないでしょうか。周囲からは恵まれているように見えても、自分のことで精いっぱいでストレスや孤独感を抱えている人がいる。ニート・引きこもりが顕在化した世代であり、バブル崩壊後の経済的情勢の他、親世代との価値観の相違や関係性の変化も影響したと思います。

 ブータンの幸福度が話題になっていますが、日本でも先月、内閣府の「幸福度に関する研究会」で幸福度指標試案を発表しました。ブータンは仏教的思想が幸福感と結びついていますが、こうした精神的よりどころを現代の日本の30代が見つけ出すのは困難です。今の30代前半が中学高校生の頃の95年には、阪神大震災とともに、オウム真理教地下鉄サリン事件もあり、厳しい世相の一方で、「宗教的な何か」をタブーとする風潮さえも生じてしまいました。

 30代後半の団塊ジュニアは、個人主義化する社会の中で見せかけの選択肢だけが増えていった世代。日本では個人主義と利己主義が取り違えられがちで、関係を断ち切って初めて自己実現ができると考えてしまう傾向があります。「自分探し」とよくいわれましたが、これといった規範はなく、何でも選べるようにみえて実際は選べる物は多くない。なのに、選択の責任は自分で取らなければならない。

 一方で、今の20代や30代前半には揺り戻しがあり、周りとの協調性を大事にしたいという傾向が高まっています。先の調査で、結びつきを見直そうとしている人たちは幸福度が高かった。他者や社会に何か働きかけようとしている若者がいることは、社会の福音になると期待したい。

 「自分」は一人で見つけようとしても見つからない。社会や関係性の中に身を置いて初めて見つかるのだと思います。幸福についても、「私の幸福」ではなく「社会の幸福」を追求する時代が来ているのかもしれません。【聞き手・大道寺峰子】

人物略歴
うちだ・たつる 1950年東京都生まれ。神戸女学院大名誉教授。仏現代思想専攻。映画論から武道論まで幅広く発言している。

 うちだ・ゆきこ 1975年兵庫県生まれ。京都大こころの未来研究センター准教授、内閣府「幸福度に関する研究会」委員。
    −−「くらしナビ:リアル30’s:働いてる? 識者に聞く/下 神戸女学院大名誉教授・内田樹さん/京都大准教授・内田由紀子さん」、『毎日新聞』2012年1月18日(水)付。

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http://mainichi.jp/life/job/news/20120118ddm013100142000c.html



就職・転職 - 毎日新聞


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