《単純化》した論理で、あれかこれかの《二者択一》を迫ってみたりする、内外の政治家たちの言動など……





政治の世界では、言葉というものが大きな働きをなす。言葉を用いればこそ、民衆の支持をとりつけことも、その逆も可能になる。世論を誘導するのも言葉の力によるところが大きいのはいうまでもない。

デモクラシーの国であれ、独裁者の国であれ、政治過程において「言葉」を扱うことには変わりない。それは平時でも戦時においても同じ事だろう。

本書は、政治的言語を中心にして、ナチ・ドイツ社会の政治レトリックと人々が巻き込まれ過程を分析した一冊だ。

ナチズムの言語は、時代から半世紀以上立った今なお有効に機能している。その特徴は次の通りだ。



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たとえば、簡潔で《断定的》な語法によって細かい議論を拒絶したり、「悪の枢軸」との対決といった《単純化》した論理で、あれかこれかの《二者択一》を迫ってみたりする、内外の政治家たちの言動など。とくに、それが、しばしば疑似宗教的な粉飾を帯びるとき、その感が深い。実際、ヒトラー演説には、一般に考えられているより以上に《摂理》や《絶対者》といった言葉がちりばめられ、その歴史観と政治観の特色を示している。
    −−宮田光雄『ナチ・ドイツと言語 ヒトラー演説から民衆の悪夢まで』岩波新書、2002年、まえがきii頁。

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この一節を読み想起するのは、「既得権益」という仮想敵を自ら演出し、パフォーマンスに手際の良い某市長の姿だろう。


本書は政治イデオロギーの分析だけでなく、映像メディアや教育の言語も取り上げているが、興味深いのは、それらに対する抵抗の言語も紹介していることだ。

人々が選択した武器は笑いとジョークだ。そして、圧倒的ともいえる全体主義の統制のなかでも、鋭い風刺的なジョークを用いた受動的な抵抗者が少なからず存在することには驚くばかり。



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 ナチ・ドイツの政治的ジョークは、けっしてひとりでに生まれたものではない。それは最終的には、何百万という犠牲者をともなうことになった政治体制によって、いわば呼び出されて成立した。これらの犠牲者には、国籍や人種、宗教や思想などを異にする多くの人びとが入っている。彼らを結び合わせていたものは、共通の苦難の運命だった。ヒトラーとナチズムに向けられた政治的ジョークもまた、同じである。それは、共通の敵にたいして、ヒューマニズムにたつ人間をすべて一つに結び合わせるものだったから。
    −−宮田、前掲書、163−164頁。

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風刺は連帯を必然する。
笑いは本朝にも存在する。しかしそれは、2chに代表されるように、相手の生命を害することで自益するdisりのネタ文化と本書で指摘される笑いとは程遠いものがある。
それは、閉じた笑いにほかならず、人間同士を結びつけるヒューマニズムとは程遠いものだろう。

この陥穽を乗り越えるヒントが本書には沢山詰まっている。


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