覚え書:「引用句辞典 不朽版 お笑い番組 鹿島茂」、『毎日新聞』2012年1月25日(水)付。



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引用句辞典 不朽版 お笑い番組 鹿島茂
テレビをつまらなくする
極小タレント共同体

 われわれの笑いというものは、常に、ある人間集団の笑いなのである。(中略)笑いには、現実のものであれ、想像されたものであれ、ともに笑う人々のあいだでの了解済みの底意が、わたしに言わせれば共犯性が、潜んでいる。観客の笑いは、劇場の客席が埋まっていればいるほど大きく広がる、とは繰り返し言われてきたことではないだろうか? また、喜劇的効果の多くは、ある言語から別の言語に翻訳できない、したがって笑いはある特定の社会集団の風俗や観念に相関している、と何度指摘されてきたことか? (アンリ・ベルクソン『笑い 喜劇的なものが指し示すものについての試論』竹内信夫訳、白水社

 地上デジタル放送への移行のおかげで、視聴可能なチャンネル数が増えたが、それによってひとつ確認できたのはテレビにはお笑いと通販しかないという事実である。チャンネルを変えても、出てくるのは健康や肥満への不安を煽って製品を売ろうとする通販か、さもなければ、おかしくもない笑いを振り撒いて一人悦に入っているお笑いタレントだけだ。
 前者はさておき、後者のお笑いタレントの連発するギャグネタがなぜ、全然おもしろくないのかを考えてみよう。
 ベルクソンが指摘するように、笑いというものには、笑う側にしろ、笑わせる側にしろ、ある特定の人間集団に幻想的に属している共同体意識を前提としている。
問題は、いまの若いお笑いタレントにとって、この《幻想の共同体》が非常に狭く見積もられていることだ。極端にいえば、両手を広げてグルリと回った範囲、つまり、家族と友達とクラスメートと先生と……それ以上は存在しない。あとは、テレビないしはインターネットへと直に接続しているだけだ。
 これは《幻想の共同体》どころか、むしろ《実体的共同体》であり、想像力の中で同じ価値観を共有するなんらかの中間的社会集団とつながっているという意識は希薄なのだ。つまり、彼らが多少売れ出しても、「笑いを取ろう」とする相手の集団は、あいも変わらず「両手を広げてグルリと回った範囲」の《実体的共同体》でしかなく、それを超えたところに笑いを届かせるにはどうしたらいいかなど考えたこともない。
 であるからして、テレビの画面の中にいる(つまりスタジオに集められた)彼らの同類(似たようなお笑いタレントやバカギャル)の笑いは取れても、画面のこちら側にいる視聴者の笑いはまったく取れないということになるのだ。
 しかし、これはデビュー当時のタモリがそうだったような「密室芸人」というのとは位相を異にしている。「密室芸人」時代のタモリが前提としていた《実体的共同体》は、数人しかいなかったその共同体の成員が山下洋輔赤塚不二夫だったことからわかるように、笑いに関する高度な批評性を有する集団であった。そのハイレベルの集団を笑わすことができたのだから、タモリの芸も相当にレベルが高かったと想像される。
 密室性ということであれば、昭和初期の頃までの寄席というのもまたこうした性格を有した「聞き巧者」の共同体であったに違いなく、その共同体のレベルの高さが逆に芸人の笑いの質を支えていたのだ。
 いいかえると、笑うというものは、笑わせる側とインテリジェンスが同一レベルにあって、しかもある程度「塞じられた」フィールドにいる必要があるという、ベルクソンの「共犯性」を宿命としている。さて、翻って現代のお笑い状況を見てみよう。
 お笑いタレントたちは、《幻想の共同体》を笑いのフィールドとして出発するが、かつての芸人とは異なり、寄席に類する中間的な密室的フィールドでの試練を経ることはほとんどない。いきなりテレビという密室性を欠いた公共のフィールドへと連れ出されてしまう。
 それゆえ、「両手を広げてグルリと回った範囲」の笑いをテレビにそのまま持ち込むことになる。しかし、それでは、画面の向こう側の人間たちを笑わせることができるわけはない。おまけに、彼らには密室で「笑ってもらえなかった」というシビアーな経験がないため、自己批判性も備わっていない。
 思うに、これは、お笑いに限らず、政治についてもいえるのではないか。寄席というものを「派閥」という密室性を備えた中間的集団とのアナロジーでとらえてみれば、いまの 政治家がお笑いタレントと似たような状況にあることがわかるだろう。
 密室性をもった中間的集団の消滅が、お笑いタレントと政治家の質をともに落としているのである。
(かしま・しげる=仏文学者)
    −−「引用句辞典 不朽版 お笑い番組 鹿島茂」、『毎日新聞』2012年1月25日(水)付。

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