議会でも、どこでも、昂憤ばかりする人であるようだ
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昭和十八年
十月五日(火)
問題がなくなると「統制強化」をやるのが日本人の特徴だ。今朝の新聞は「防衛行政一元化、急速要望さる」「交易指導一元化」(『読売』)、「宣伝機関の一元化の必要性」「発注の徹底的一元化」(『毎日』)といった具合に一元化を説いている。「一元化、一元化で戦争を終わりけり」。
交通省といえばいいところを「運輸通信省」と長くというところに事務官的特徴を見る。
キリスト教徒に対する迫害甚しとのことである。たとえば青山学院とか、立教大学とかに対し。ちょうど幕末と同じだ。
先頃、重臣達(前、首相)が東条首相を招待した。その時、岡田啓介が
戦争はどこもあまりパッとしていないようだがーーというと東条は昂憤して
「あなたは必勝の信念を持たないんですか」と、プッと立ったという。また若槻礼二郎が
「作柄がどうも心配だが」
というと東条は
「我等閣員は何にも食わなくても一死奉公やるつもりだ」
とこれまた昂憤したという。
議会でも、どこでも、昂憤ばかりする人であるようだ。イエス・マンだけを周囲に集めるのは、そうした性格だからだ。
−−清沢洌(橋川文三編)『暗黒日記I』ちくま学芸文庫、2002年、265−266頁。
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戦時下日本でリベラルの橋頭堡を守った稀有な言論人の一人が清沢洌(1890−1945)。
清沢は、のちに昭和史を著そうとしたときの記録として、新聞記事の切り抜きを含めた日記を記しはじめたが、そこにちりばめられた肉声には、迎合的ジャーナリズムの弊害、社会的なモラルの低下や無知に起因する排外主義、そして機能不全に陥った官僚主義の弊害を激しく痛罵するものがある。
清沢は、敗戦を3ヵ月後に控えた1945年5月、急性肺炎で鬼籍へ入ることになるが、残されたその鋭利な記録は、今だ色あせることはない。
冒頭に紹介したのは、敗戦の気配が濃厚になりだした昭和18年10月の一節。
読み直すたびに、現状は70年前と殆ど変わっていないということ。
そのことに戦慄を覚えてしまうのは、僕一人ではないでしょう。