覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 弱者サポートの充足が急務=湯浅誠」、『毎日新聞』2012年2月17日(金)付。



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くらしの明日 私の社会保障
弱者サポートの充足が急務
湯浅誠 反貧困ネットワーク事務局長

高齢化社会の活性化に向け
 生物としての人間は老いとともに機能が低下する。若くて元気な人間を前提につくられた社会での暮らしに、不都合を感じる場面は徐々に増えていく。バリバリ働けなくなることによる所得低下を補う年金、老いに伴う疾患を治療する医療、生活面での機能低下を補う介護が必要になる。
 どれくらい補う必要があるかは人によって違う。身長が150センチなのか170センチなのか、体重が40キロなのか80キロなのか、痛いのは足なのか膝なのか腰なのかによって、50センチの段差を越えるために必要なサポートは、その量も質も一人一人違う。だから社会保障は必要(ニーズ)に応じて提供されることが原則となる。
 必要なサポートが量的または質的に不足する社会では、それが充足した社会に比べて、相対的に早い年齢から、ちょっとした疾患や機能低下で、より多くの人々が不都合や不自由を感じるようになる。自宅へのひきこもり、社交性の途絶、性格的な気難しさは、こうした社会からの物理的・心理的撤退(=排除)によって引き起こされる。
 サポートが不足したまま高齢者比率が増えていけば、人の出歩かない街は閑散とし、商業も停滞し、若い人も含めた社会全体が沈滞する。それゆえ、生物としての人間に老いが避けられない以上、若い人たちが担い手となって必要なサポートを質量ともに充足させる方が、社会は全体として活性化するはずだ。
 ところが、その理屈の通らない社会がある。そこではものすごいスピードで高齢化が進みながら、速すぎるために人々の意識が追いつかず、頭の中では依然として若いつもりでいる。社会全体が若くて元気なことを前提に設計されているので、若くない人、若くても元気でない人には居場所がなく、急速な高齢化とともに急速な社会の空洞化が進む。

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 人々は焦り「なんとかしなきゃ」と言うものの、その焦りはもっと若々しく、もっと元気に、と若くて元気な人間を前提にした暮らしをさらに強化する方に向かう。このため、老いを受け入れて必要なサポートを充足させることができない。結果として、必要に応じた社会保障が提供されず、とっても元気な人以外はさらに不自由になっちく。「もっと若く元気に」と叫び続け、100歳まで働けるなら、それでもいいだろう。しかし生物としての人間に、それはできない。
 必要なサポートを質量ともに充実させた方が、社会は豊かになる。社会は人間で構成され、そして人間には知恵がある。私たちの知恵を発揮させたい。

ことば 高齢化の進展
国立社会保障・人口問題研究所が1月発表した最新推計では、65歳以上の高齢者の割合は2024年に30%に達すると予測。60年に39・9%になり、高齢者1人を現役世代約1・3人で支える社会になる。
    −−「くらしの明日 私の社会保障論 弱者サポートの充足が急務=湯浅誠」、『毎日新聞』2012年2月17日(金)付。

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