国民のどの部分も「自己の反省」が無い。凡そ自己に対して反対の運動の起つた時、これを根本的に解決するの第一歩は、自己の反省でなければならない。

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 朝鮮の暴動(三・一独立運動のこと……引用者註)は、言うまでもなく昭代の大不祥事である。これが真因いかん、又根本的解決の方策いかんに就ては、別に多少の意見はある。ただこれらの点を明かにするの前提として、予輩のここに絶叫せざるを得ざる点は、国民の対外的良心の著しく麻痺して居る事である。今度の暴動が起こつてから、いわゆる識者階級のこれに関する評論はいろいろの新聞雑誌等に現われた。しかれどもその殆どすべてが、他を責むるに急にして、自ら反省するの余念が無い。あれだけの暴動があつても、なお少しも覚醒の色を示さないのは、いかに良心の麻痺の深甚なるかを想像すべきである。かくては、帝国の将来にとつて至重なるこの問題の解決も、とうてい期せらるる見込みはない。
 一言にして言えば、今度の朝鮮暴動の問題に就ても、国民のどの部分も「自己の反省」が無い。凡そ自己に対して反対の運動の起つた時、これを根本的に解決するの第一歩は、自己の反省でなければならない。たとい自分に過ち無しとの確信あるも、少くとも他から誤解せられたと言う事実に就ては、なんらか自ら反省するだけのものはある。誤解せらるべきなんらの欠点も無かつた、かくても鮮人が我に反抗すると言うなら、併合の事実そのもの、同化政策そのものに就て、更に深く考うべき点は無いだろうか。いずれにしても、朝鮮全土に亘つて排日思想の瀰蔓して居る事は疑いもなき事実である。朝鮮に於ける少数の役人の強弁の外、今やなんびともこれを疑わない。而して、我国の当局者なり、又我が国の識者なりが、會てこの事実を現前の問題として、鮮人そのものの意見を参酌するの所置に出た事があるか。
    −−吉野作造「対外的良心の発揮」、『中央公論』一九一九年四月。

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1919年の今日。

先の朝鮮国王李太王の国葬のその日。

ソウルにおいて独立宣言が発表せられ、学生を先頭とする数十万の民衆が示威行進を行い、その動きは全国に波及しました。

この平和的な示威に対して、当時の日本政府は残虐な弾圧を行い、政府発表の「不確実」な統計でも以降3ヶ月の間に7千人近くの朝鮮半島の人々を殺害し、事件を収束させたといいます。

当時のメディアの主要な論調はどのようなものでったでしょうか。

そのほとんどは、天道教徒、あるいはキリスト教徒の陰謀にその根拠を求め、特にアメリカ人宣教師の煽動にその根拠を見出しています。そしてこの民衆運動を非難する一方、独立運動に関しては、「不逞鮮人」とのレッテル貼りにて、それを敵視し取り締まれという論陣を展開しております。

当時、真正面から、朝鮮半島民族自決を認めよとの論説は『東洋経済新報』社説「鮮人暴動に関する理解」(五月一五日号)や『太陽』(六月号)掲載の「朝鮮自治問題」(京都帝国大学教授・末広重雄)ぐらいでしょうか。

さて……。
私自身は吉野作造(1878−1933)の研究をひとつの翠点におき、近代日本キリスト教思想史……というか吉野作造がクリスチャンであったことすら知らない方が多いと思いますが……の研究をしておりますが、そうした論調よりいち早く問題を指摘していることをひとつ紹介しておきます。

吉野のこの運動に対する反応は、冒頭に紹介している通り、当時のメインストリームである翼賛論調とはまったく異なるもの。

吉野は同論説にて、誰かに「煽動」された運動という僻見をいち早く退け、当事者である朝鮮半島の人々の立場に立って事態を見極めろと指摘しています。

そして過去の朝鮮半島統治政策に問題がなかったのか……と問うだけでなく、基本方針として「民族同化政策」そして「併合の事実」そのものの「反省」を突きつけています。
※のちの具体的提言としては「さしあたり」の改革として、1)言論の自由、2)同化政策の放棄、3)差別待遇の撤廃、4)武断統治の廃止に言及。→「朝鮮統治の改革に関する最小限度の要求」、『黎明講演集』第六輯。

勿論……ねぇ、吉野の論説を、現在の眼差しから、

「ぬるい」

「温情主義の限界w」

「ああ、ポストなんちゃらの観点から見ると、“上から目線”だよね」

「(結局は)主権の所在を問わない“民本主義”の限界orz」

……等々、「批判」することは“容易”なわけです。

しかし、とやかくいう前に、吉野博士の「自己の反省」への言及、そして「併合の事実そのもの、同化政策そのものに就て、更に深く考うべき点は無いだろうか」という植民地主義そのものへの“批判”は当時の「制限下」という「言論の自由」の「コンテクスト」情況においては、踏み込んだ、発言だとは思います。

とやかく論評するのは簡単なんですよ。

しかし、僕が吉野作造を信頼する一点は何かといえば、博士自身が汗をながしてそれを実践しようとしたこと。
※「僕が吉野作造を信頼する」と言及しましたが、もちろん「価値自由」は知ってますけど、それはくどいけど、フリーハンドの「客観性」ではないのは言うを待たないし、詳細はヴェーバーMax Weber、1864−1920)の「客観性論文」でも読んでください。

だから、朝鮮半島の留学生を支援するために、東京帝国大学を辞めて、より給料のいい新聞社へ移ったりとか……移ってそうそう、筆禍で辞職してるけど……、死ぬまで、金融投資しながら、支援しているんですわ。

ああ、これこそ、金だけ出していれば、「おれは正義」みたいな薄っぺらいそれではありませんよ。

吉野博士は、それを「信念」として実践しているんだよ。

そのことにね……、

「ああ、すごい日本人がいた」

……っていう短絡発想ではなく、「すごい人間がいた」っていうことで、僕もその衣鉢をつぎたい。

正直、ビンボーで何もできないし、幸いなことに「研究」と「教育」に関わっているからあれですけど、自分に関わるひと、そして自分の子供には、「出自」やら何やらで判断するような人間を形成していきたくはない……よね、

脱線したけど。簡単に吉野作造には「限界」があるって言えないんだ。






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