覚え書:「みんなの広場 批判ばかりの政治家にうんざり」、『毎日新聞』2012年3月5日(月)付+ちょっとコメント。


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みんなの広場
批判ばかりの政治家にうんざり
中学生(15) 千葉県流山市

通常国会での谷垣禎一自民党総裁の発言を聞いていると、少し前の民主党に似ているなと思います。日本人は批判するのが得意であり、好きだということを痛感するからです。思えば、国会では批判している場面しかニュースで見ないし、人の悪口ばかり書いてある週刊誌も世から消えません。
 私は、批判ばかりしていていっこうによくならない場所で仕事をしている国会議員の給料が、毎日必死で働いているお父さんやお母さんが収めた税金であることを思うと、もっと国のために働いてよと言いたいです。TBSのドラマ「運命の人」を見ていても、国会議員は自分を守っているだけのように思えてなりません。
 もちろん、国会議員全員がそういうわけではないことはわかっています。しかし、批判することばかりを考えるより、どうすれば国会や国がよくなるかを考えるべきです。そして、どんどん借金ばかりが増えて増税などを国民に訴えるなら、もらいすぎの議員の給料を減らして欲しいです。
    −−「みんなの広場 批判ばかりの政治家にうんざり」、『毎日新聞』2012年3月5日(月)付。

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覚え書にコメンタリーするの忸怩たるものがありますが、この中学生の素朴な疑義を読み、この言葉は真摯に受け止める必要があるだろうと思いましたので、少しだけ言及しておきます。

結論からいえば、この子の「毎日必死で働いているお父さんやお母さん」は偉いなぁ、ということ。

実は、「この為にする批判」という問題は、ここにおいては、政治家同士のやりとりがひとつの起点にはなっているのですが、それが実は拡大再生産されるというのが、メディアを介した日本の政治に対する反応の仕方なんだろう。

要するに、

政治家同士がお互いを批判する。

それをバイアスをかけて批判をメディアが報道する。

そして映し出された映像を見ながら、、、

「ゴルァ」だとか「アフォーか」とか「オワタ」みたいな感じで、情報の最終的な受け手がそれを批判するという構造がそれです。

たしかに「ゴルァ」だとか「アフォーか」とか「オワタ」って“反応”したくなる気持ちは分からなくはない。

しかし、そのように「批判」を繰り返すだけでは何も変わらないのも事実だし、起点となる、そして最も唾棄すべき政治家たちと何も変わらない。

日本には、disるという「批判」文化???は存在するけれども、何が問題で、そしてどのように対処していくべきかという「クリティーク」の文化は存在しないからでしょうか。

まあ、テキトーに悪口をいっておけば、「済む」というくだらないことを、輪をかけてやっている……。

それが現状でしょう。

俗に「子は親の背中みて育つ」と言われますが、その意味で、この子の「毎日必死で働いているお父さんやお母さん」は偉いとふと思った。

確かに言いたいことは山ほどあるのだろうけど、「政治家たちは糞だ」みたいなことを、テレビのニュースを見ながらグダグダ言及するのではなく、自分自身の取り組みを、恐らく大切にしながら生活と格闘している……そう、僕は想像した。

以上、僕の想像にしか過ぎない言説ですが、この声……真摯に受け止めていきたいと思います。







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