書評:原武史『「鉄学」概論 車窓から眺める日本近現代史』新潮文庫、平成二十三年。



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鉄道はダイヤや車両だけにあらず、駅舎やホーム、路線、駅名、車窓風景、そして鉄道を利用する人々といった、複雑で様々な要素が絡み合うことで成り立っている。
 一八七二(明治五)年の新橋−横浜間の開業以来、すでに百四十年近くにおよぶ鉄道の歴史は、まさに近現代日本の歩みを反映している。たとえこの間に他の交通手段が発達してきても、またSLがなくなり、赤字ローカル線が廃止されても、鉄道の重要性は一向に揺るがない。
 とりわけ、毎日の通勤、通学客の輸送に鉄道が不可欠な大都市およびその近郊や、東京−大阪、東京−仙台など、新幹線によって結ばれている大都市間ではそうである。また赤字ローカル線であっても、豪雪のために道路が通行できなくなる冬には、鉄道が唯一の足となる地方もある。
 好むと好まざるとにかかわらず、今日もまた日本の各地で、多くの人々が鉄道を利用し、一定の時間を車内で過ごしている。この点では、男性と女性、首都圏と地方の間になんら違いはない。
 どこかの線が普通になれば、首都圏であろうが地方であろうが、すぐにニュースになる。最近ではブルートレインの廃止や新幹線の開通がニュース番組の冒頭を飾ることも珍しくない。それは取りも直さず、鉄道が日本人全体と切っても切れない関係にあることを物語っている。
    −−原武史『「鉄学」概論 車窓から眺める日本近現代史新潮文庫、平成二十三年、4−5頁。

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『「鉄学」概論』の原武史先生の専門は近現代の天皇や皇室を中心とした日本の政治思想史研究。その分野で新しい眼差しを示したことで知られるから、関連する著作は殆ど読んでいます。原先生が鉄道に興味のあることは存じてましたが、自分自身は鉄道に対する興味がなくスルーしていたのですが、読んで正解でした。

きっかけは、やはり原武史『可視化された帝国』(みすず書房)でしょうか。
明治日本は、鉄道という「メディア」によって「可視化された帝国」として生成されたと指摘した一冊。そこで関心を持ったので、授業が終わってから、図書館で借りてみた。帰りの電車でうんうん頷きながら読了した次第です。

『「鉄学」概論』の解説を作家・宮部みゆきさんが担当しております。「『鉄道が好きだ』と明言する方はたくさん」いるが、「鉄道嫌いをはっきりと明言する方は、はたしているものでしょうか」。鉄道に対する態度は、おおむね「関心がない」のが実状でしょう。僕もその一人です。

ちょうど水曜が千葉の大学で講義。ドアトゥドアで6時間かかります。だから僕自身、どの経路でいくのが安いのかだとか、どれが早いのかだとか、そして千葉駅から東の路線は、風に弱いから(運休の可能性)、天気まで気にする。「関心はない」けど、「気に掛ける」生活の一つなんだろうと思う。

だから、鉄道の歴史を学ぶということは、『「鉄学」概論』の副題にある通り、「車窓から眺める日本近現代史」。同書で似た鉄道会社として「西の阪急、東の東急」を取り上げている。西のコピーと深化が東。ただ西は何処までも「民」、東は「官」接続の重視等の指摘は興味深い。

たとえば、大阪駅と梅田駅は、歩いていく駅。渋谷駅に代表される国鉄(現JR)への私鉄の連続は、まさに国鉄依存・迎合による文化。ホームの設計自体にその違いも出てくるし、阪急、東急の創業者由来の美術館の所蔵品(西が無名でもモノへのこだわり、東が国宝重視とか)。

日本近代史から少し脱線しましたが、原先生の大阪と東京の気質の違いの具体的表象に関する研究は、『「民都」大阪対「帝都」東京――思想としての関西私鉄』(講談社選書メチエ、1998年)というのでクリアカットに示されておりますので、深める場合はこちらを。

いずれにしても、趣味としては「鉄道」に全く関心はなかった。しかし、「鉄道」に関する「気遣い」は実際のところかなりあったこと、そして『可視化された帝国』で明らかにされたように、鉄道が国民国家・想像のひな形として起因したことを刮目されたように思う。少し原先生の関連著作も読もうと思う。






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