おとなたちは、何事も、子どもたちが将来しあわせになるためにやったんだ、なんていうんだ、ずうずうしい話じゃないか。
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国家の代表たちが署名した条約の文句はこうでした。
「われわれ、世界のすべての国の責任ある代表者たちは、生命財産にかけて、つぎの諸点を実行する義務をおう。
1 国境のくい、国境のみはりは、すべてとりのぞく。国境はもはや存在しない。
2 軍隊、銃砲、爆弾はすべてなくす。戦争はもはやおこなわれない。
3 秩序をたもつために必要な警察は弓と矢で武装する。警察はとくに、科学と技術がもっぱら平和につかえるように、監視する。殺人科学はもはや研究されない。
4 役所と役人と書類だんすの数は、どうしても必要な最小限にへらされる。役所は、人間のためにあるのであって、その逆ではない。
5 今後いちばんよい待遇をうける役人は、教育者とする。子どもをほんとの人間に教育する任務は、いちばん高い、いちばん重い任務である。真の教育の目的は、悪いことをだらだらとつづける心を許さない、ということでなければならない!」
まえにいったように、国家の代表者たちはみな、これに署名しました……
人間たちはラジオで、じぶんたちの国家の代表者が動物たちにゆずって、永久の平和条約におごそかにサインをしたということを知ると、地球のいたるところで、どっと喜びの声をあげたので、地軸が半センチメートルまがりました。
−−エーリヒ・ケストナー(高橋健二訳)「動物会議」、『ケストナー少年文学全集8 動物会議』岩波書店、1962年、106−108頁。
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子どもを授かったとき、細君が、我が子に読み聞かせようと思い、購入したのが、『飛ぶ教室』で有名な作家・ケストナーの『動物会議』(1949年)。
子どもの本の整理をしていたら出てきたので、少し手にとって読んでみたのですが、なかなか興味深い内容で驚きの連続でした。
欲の赴くままに動き、そして始終、戦争にあけくれる人間たち。
「あきれたやつらだ! 人間ときたら、、」
動物たちの不満はたまるばかり。そして犠牲になるのはいつも「子どもたち」。
「ぼくはただ人間どもの子どもたちが気の毒なんだよ」。
「あんなにかわいい子どもたちなのに! いつも子どもたちは、戦争だ、革命だ、ストライキだと、ひといめにあうんだ。それなのにおとなたちは、何事も、子どもたちが将来しあわせになるためにやったんだ、なんていうんだ、ずうずうしい話じゃないか。」
そこで動物たちは集まって会議を開き、大人の人間たちに条約をつきつける!
大人たちは必死で抵抗する。しかし最後には、動物たちの要求を受け入れ、平和条約にサインをするという内容です。サインへいたるまでの大人の人間たちと動物とのやりとりは、少しドリフのコントを想起させる軽妙なものですが、ここは筆を少し自粛しましょうw
「小学3,4年以上」と裏表紙にありますから、そろそろ我が子も「聞き」だけでなく、実際に活字と向かいあって欲しいなと思う1冊です。
大人たちはケストナーが1949年に本書を出版してからも、同じことを繰り返しています。そういう大人へささやかに抵抗する大人の一人でありたいと思うと同時に、それが次代への責任なのじゃなかろうか、そんなことを考えさせられた一冊です。
最後の訳者解説「ケストナーの生活と作品について」で、次のような一節があります。
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ケストナーは悪い時代に生きました。しかし、彼は、悪いことにもよい面がある、よりよくなれるのだから、といっています。彼は、悪い時にも絶望せず、世界をよりよく返ることに情熱をそそぎつづけてきました。自分は作家であって、道徳家ではない、などと彼はいいません。自分は道徳家だ、と名のっています。
−−前掲書、180−181頁。
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よりよく改めていく挑戦を継続するには、「絶望」しないこと。
自分自身も今日よりまた開拓の一歩一歩を歩んで参りたいと思います。
いやー、しかし、本物の「子ども向け」っていうのは侮れないですよ。