興味深い時代であるだけに、なんらかの革命を起こさなければなりません…残念ながら、ずばり的中する解決策は思いつきません。



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 今の時代は面白い。ただ、つまらない時などあるのでしょうか? ヨーロッパで一番退屈な場所はスイスです。ここの人に聞いても、スイスで政権についているのはどの政党か、誰が大統領か、誰もわかりません。完全に匿名であるかのようですが、ただただ機能しています。ヨーロッパで唯一、政治制度があまり知られていない国です。未だにユダヤの資産やナチスの金を隠し持っているとか、そんな話題だけです。
 興味深い時代であるだけに、なんらかの革命を起こさなければなりません。倫理的、政治的な大変革です。そうでもしなければ破滅が運命づけられていると私は感じています。残念ながら、ずばり的中する解決策は思いつきません。私たちが人間の本質に立ち向かっているとすれば、人間性そのものを再定義することを強いられるのです。
    −−スラヴォイ・ジジェク岡崎玲子訳、インタビュー)『人権と国家 −−世界の本質をめぐる考察』集英社新書、2006年、182頁。

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先日も授業が済んでから、学生さんたちと少し言葉を交わしていたのですが、共通するのが、「今の時代はとんでもない時代」という認識でしょうか。

それに対して、具体的に何ができるのかと問われた場合、「これ!」っていうものが即座に出てくるわけでもありませんから、若者特有の感覚と相まって、どんどん、苛立ってしまうのが実際のところだと思う。

そこで訳知り顔の大人風に、

「まあ、まあ」

……となだめてみたり、

駅前のキャッチセールス風に

「これが手っ取り早いよ」

と簡単な全否定の「組織運動」へ、そのむき出しの善意を動員することほど、無益なことはないと思う。

では、どうすべきか。

私は、「学生は学生として徹して学ぶべき」と答えるようにしている。

では、「徹して学ぶ」とは何か。

世界との有機的な連関を断ち切り、山へこもって「徹して学ぶ」と同義ではない。世界の問題へより敏感になりながらも、自分自身が格闘すべき課題へ真剣に取り組むなかで、一剣を研くほかあるまいのではと思う。

それが、具体的には、語学であったり、教養を学ぶことであったり、はたまたスキル系の習熟であったりするかも知れない。

そしてその作業は大変つらい営みかも知れないし、「お前、ぜんぜん何も考えてないよなー」と「意識の高い学生」からdisられるかも知れない。

しかし、世界に対して敏感になるとは、ストレートにそれに対して何かをなすということが全てであるというのは錯覚だし、イコールでもない。

だとすれば、そこへ繋がり行く「仕込み」、「学生としての本分」を徹底していくべきではないだろうか。

例えば、英語の教材で、人種差別の記事を読んだとしよう。だとすれば、その教材だけで済ませることなく、自身で歴史を学び、自身で現状を深く認知していくことも、立派な「「営み」のひとつだと思う。

パワーポイントやエクセルの使い方を学ぶなんて、これほど下らないことは正直ないだろうとは思う。しかし、その武器を使う自身の沃野も同時に耕していくことができれば鬼に金棒のはずだ。

「学ばせられている」感覚から、それをひとつのきっかけ・窓口として「利用」するぐらいの感覚で強かに挑戦することが大事なんだろうと思う。単純に「これをすればよい」なんて特効薬はどこにも存在しないし、それは得てして毒薬であることが殆どじゃないかと思う。

「道は近きに在り。しかるにこれを遠きに求む。事は易きに在り。しかるにこれを難きに求む」とは古代中国の聖賢・孟子の言葉である。

だとすれば、自身の本分に徹する中で、必ず世界へつながっていく、そして「よりよき」ものへ変革していくという深い決意を持続することができるかどうか、ここに勝負があると思う。

回り道に見えるかも知れないが、そこに本物の近道は存在するし、強かに足下を掘り続けたものだけが、本当の変革を可能にすると思う。私もかくありたい。










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