書評:川島慶子『マリー・キュリーの挑戦 科学・ジェンダー・戦争』トランスビュー、2010年。



否定できない出自や環境に縛られるのではなく、それを希望へ転換した「理系女子」の闘いの軌跡

川島慶子『マリー・キュリーの挑戦 科学・ジェンダー・戦争』トランスビュー、2010年。


「偉大な科学者」にして「良妻賢母」。彼女に冠される形容詞を全否定することはできない。妻・母・科学者として完璧であったことは事実であるからだ。

しかしなるべくしてなったわけでもない。本書は、彼女の伝記的伝説を木っ端みじんに破壊する。

「リケジョ」という新語があるそうだ。いわゆる「理系女子」を指す言葉。理系に進学する女子は現在でもなお、少数派に留まる。ましてマリー・キュリーの時代に、どれほどの困難があったことか。

本書は、時代の波にもまれつつ、精一杯生き抜いた、一人の生身の女性の足跡に注目する。

「彼女がその生涯で、男性に対して一歩も引かなかったのは、自分が女である以前にポーランド陣であるという事情が抜きがたく存在していた」と著者はいう。

当時の先進国に生まれた女性であれば、「怒り」や「競争心」といった感情をもつこと自体が「女らしさ」に反することとして否定されたという。これに対して、ロシア帝国治下のポーランドでは、ロシアに対する怒りや競争心は、むしろ歓迎されたという。

人間が自身の生き方を選ぶ際、足枷になるのが、後天的には否定できない出自や環境であろう。しかし、本書を読むと、その縛りとしての環境を希望へ転換して自身の歩みを残していくことも可能であるという先人の苦闘の輝きを仰ぎ見ることができる。

生活の苦闘や、放射能の危険性に対する誤認、そして恋愛遍路……。等身大の「生きた」女性像に、認識が新たになる。

読んでいてすがすがしい一冊である。







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