覚え書:「今週の本棚:本村凌二・評 『哲学大図鑑』=ウィル・バッキンガムほか著」、『毎日新聞』2012年05月27日(日)付。



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今週の本棚:本村凌二・評 『哲学大図鑑』=ウィル・バッキンガムほか著
 (三省堂・3990円)

 ◇きわめつきの精神活動を最大限わかりやすく
 ある高名な哲学者と経済学者が散策しながら語り合っていた。哲学者は「経済学とはとどのつまり最小限の努力で最大限の効果をあげようとする学問だろう」と言った。すかさず経済学者は「哲学とは要するに最大限の努力で最小限の効果をあげようとする学問でしょう」と言い返したという。この小話じみたやりとりには、なにがしかの真実があるのではないだろうか。
 きわめつきの精神活動のごとき哲学と誰にでもわかりやすい図鑑。それがどうして結びつくのか。ラファエロの絵画「アテネの学堂」を横目にしながら、プラトンアリストテレスの相違について読み進むと、たしかに頭に入りやすい。
 アカデメイアで二人が知り合ったのは師が六十歳、弟子が十七歳のときだった。アリストテレスプラトンの後継者に選ばれず、アテネを離れイオニア地方に旅立つ。だが、そこで野生の生物を観察することで、師のイデア論への疑念が強まったという。プラトンの思考の背景には数学があり、医者の父親をもつアリストテレスの関心は今日でいう生物学にもとづくものだった。
 およそ千四百年後のイスラム神学者イブン・シーナー(西洋名アヴィケンナ)はギリシアの叡智(えいち)と論証にならう道を歩み、とりわけアリストテレスの後継者たらんとした。彼は幅広い医学の知識をもち、その『医学典範』は近世にいたるまでヨーロッパの医学界に絶大な影響をおよぼしている。それにもかかわらず、アヴィケンナは身体と精神とをまったく異なる実体と考える二元論者として名高い。不死の魂というプラトンのような結論にたどりついたというから歴史の皮肉でもある。
 「われ思う、ゆえにわれ在り」のデカルトもまた、あらゆる事物を疑いながら、心身二元論者であった。感覚があてにできないというのは、平行線が曲がっているように見える光学的錯覚の図版を用いれば、誰にでも明らかになる。それでも、私が在るという意識なら、私が思いちがえるわけはないという。
 哲学者の代名詞のごときカントにとって、自分の外に外部世界が実在することをそれまで証明する議論はなかったというのが最大のスキャンダルであった。哲学的思考になじまない凡人のわれわれにとって、このような問題が提起されることこそ最大のスキャンダルではないかと思うのだが。日々、他人の言動に喜怒哀楽の情感を禁じ得ない自分も奇妙奇天烈(きてれつ)だが、同時に、フラマリオンの木版画に描かれた時間と空間の外部を見ている人間もまた滑稽(こっけい)に映るのは図鑑の効用かも。
 二十世紀後半を代表するフーコーと十八世紀のカントはなにも接点がないように見える。だが、フーコーこそ、カントの発想にならって、世界はありのままに見えるのではなく今の自分に即して見えるにすぎないことを指摘した。人間が探求される対象でありながら、同時に探求する主体でもある。このような人間そのものは十九世紀以後の世界の産物にすぎないという。しかもこの最近の発明品はいつまでつづくかわからないのだ。
 哲学にはなにもそこまで突き詰めなくてもいいのではという深遠で辛気臭いイメージがつきまとう。でも、「最大限の努力で最小限の効果を」と揶揄(やゆ)される哲学も、華やかな色彩あふれる図鑑の助けがあれば、最大限にわかりやすくなる。それはありがたくもあり、凡人のための最良の哲学入門書を手にしたような気がする。(小須田健訳)
    −−「今週の本棚:本村凌二・評 『哲学大図鑑』=ウィル・バッキンガムほか著」、『毎日新聞』2012年05月27日(日)付。

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