わたし個人にとっても空腹がいちばんの問題です。そのことが歴史記述の底にあって、価値判断の底にあるような歴史観でなければ信頼できないと思うのです
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人間本位の歴史学
鶴見 歴史学は人間の立場から見なければいけないとわたしが言うのは、人間の根本の問題は空腹だと思うのです。わたし個人にとっても空腹がいちばんの問題です。そのことが歴史記述の底にあって、価値判断の底にあるような歴史観でなければ信頼できないと思うのです。だれが絵がうまかったとか、だれがバイオリンがうまかったとかいうふうなことを中心に書いていくような歴史ではしょうがないと思うのです。そこでは、いかにして人間にとって空腹が減っていくような立場を守れるか、ということをつらぬいているような歴史学でなければいけないと思うのですが、同時に人民大衆のなかにあって、疑う権利を守るような歴史学あるいは歴史意識でないと困る。
キリスト教のおそろしいところは、神が全部取っちゃう。一元の神だから、疑う権利は初めから神学的に圧殺するところがあるんですよ。わたしはアウグスティヌスはそうとうえらい人だと思うんだけれども、依然としてそこがおそろしい。そうではないもの、だから司馬遷になると別のものがあっておもしろい。そういうふうな歴史意識のほうが、わたしにとっては魅力がありますね。
キリスト教と科学が癒着したような種類の歴史科学意識からは離れたい、もっと別のものを得たいという気持ちはつよいです。いまのような巨大科学になると、科学者は権力と癒着しやすいでしょう。それを抑制するように、しろうとの立場に歴史をとりもどさなければ、わたしが希望するような歴史意識はなかなか生まれないんじゃないかな。
−−「歴史をみつめる視点 奈良本辰也」、『鶴見俊輔座談 近代とは何だろうか』晶文社、1996年、65−66頁。
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鶴見俊輔さんらしい表現といいますか、「人間の根本の問題は空腹だ」という指摘は、歴史学に限らず、思想や哲学、そして文学に関しても同じじゃないかと思う。
ここでいう「空腹だ」というのは即物的なそれももちろん含まれるまですが、唯物的にそれのみ還元される「意識」でないことは言うまでもないでしょう。
机上の架設のうえで、どうだこうだ人間を操作するのでもなく、かといって、モノを配給すればすべて解決するという短絡でもない、ここに「人間の生きた姿」がある。
そして同時に「人民大衆のなかにあって、疑う権利を守るような歴史学あるいは歴史意識でないと困る」。ここも大事なポイントですね。
昨今、知識人の信用がガタ墜ちですが、もういちど、人間の生活世界のなかから、遊離でも惑溺でもないきちんとした在り方をつくっていくしかないですね。
ホント、これは他人事ではありません。