覚え書:「今週の本棚:持田叙子・評 『植物たちの私生活』=李承雨・著」、『毎日新聞』2012年07月01日(日)付。



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今週の本棚:持田叙子・評 『植物たちの私生活』=李承雨・著
 (藤原書店・2940円)

 ◇巨樹の下の「愛の原郷」に焦がれる物語
 『旧約聖書』のはじまりに楽園があり、その樹(き)の下で愛しあった男女が追放されて人類の始祖となるように、大地に根づき空へのびる巨樹をいのちの原点とする神話や伝説は、国境をこえて無数。神話学や民俗学でこの物語系は、<世界樹><宇宙樹>として注目される。
 すでに諸作品が世界的に評価される韓国の文学者の著者は、二〇〇〇年に刊行したこの長篇小説で、聖書を軸とし、そうした世界樹のイメージを駆使する。海辺に奇跡的に生育する椰子(やし)の木の下で愛しあう二人、すなわち「地上に存在しない彼らだけの土地」への、普遍的な人間のあこがれと絶望的な希求を描く。樹への愛に、権力への抵抗をよみとる。
 至純の愛のロマンスであるとともに、現実のどこにもない彼方(かなた)を恋う異郷論であり、樹をめぐる世界神話の解釈学でもある。
 舞台はソウルと、ソウルから車で数時間の南海岸「南川(ナムチョン)」。あたたかい海風吹くそここそ、熱帯より漂着した種子から芽ばえた椰子の木が優しい蔭(かげ)をつくる、愛の原郷。そこを恋う人々の夢に出入りし、夢と現実を不可思議に結びつける役割を負うのが、小説の語り手の二十代フリーター青年、「私」である。
 「私」の兄には足がない。韓国の独裁政権下(おそらく著者の学生時代の一九七〇年代を映す)で、「写真を通して時代の証拠を撮る者」として活動していた兄は、何者かに密告され逮捕され、軍隊に送られて、訓練中の爆発で足をもがれた。恋人も去り、現在は家の中で父母に保護され、廃人のように暮らす。
 その兄が時々おこすおぞましい発作が白眉、一篇のドラマトゥルギーを重く支える。絶望の血が体内を駆けめぐり、服をはぎ、身体をかきむしり、あてどなく精液を放射する。精液と涙と血にまみれ、地べたにちぢこまる兄はもうめちゃめちゃだ。みじめの塊と化す。
 けれど読んでいてグロテスクと思えない。その塊は、自分だとも感じる。元来もっていたものを根こそぎ奪われることは、生きて死ぬことそのものだから。兄の苦痛は、人間の根源的絶望と空虚のシンボルに他ならない。
 ゆえにこそ、木になって光と風の空間で愛する人と一体化し、現実を超えたいとする兄の願望が身にしみる。現実では「不具」の兄は、南川に浮かぶ夢の球体の中では恋人スンミとよりそう主人公となり、愛の原郷を「私」にさし示す導き手となる。社会権力にその生をへし折られた、ひいては全ての傷ついた人間への、著者の静かなオマージュであろう。
 そうした兄が、著者のそして私たちの分身でもあるとするなら、優れた兄をねたみ、スンミを恋慕し、間接的に兄を密告する「私」の一面も、我々の分身だ。語り手の「私」には、実に複雑なさまざまのモティーフがこめられている。この小説の大きな仕掛である。
 夢や神話の多用を特徴としつつ本書は、先行の邦訳長篇『生の裏面』に通底し、根源的なものを問うにキリスト教小説の骨格をもつ。「私」は裏切り者のユダであり、優れた兄弟をねたみ殺すカインである。また「私」は愛の神話の語部(かたりべ)であり、夢をよみとき現代社会に告知する男巫女(おとこみこ)、しかし自らは夢の中に入れない書く人、つまり作家の喩(たとえ)でもある。
 ともあれこの小説は、思弁的であると同時にきわめて官能的なのが魅力。恋をしている人もしていない人も、樹々の発するみどりのエロスに感染し、遺伝子のなかに眠る愛の原郷の記憶をゆさぶられ、からだの内奥がもやもやと、熱くうずく事うけあいの一冊である。(金順姫訳)
    −−「今週の本棚:持田叙子・評 『植物たちの私生活』=李承雨・著」、『毎日新聞』2012年07月01日(日)付。

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