書評:田中辰明『ブルーノ・タウト  日本美を再発見した建築家』中公新書、2012年。





田中辰明『ブルーノ・タウト  日本美を再発見した建築家』中公新書、2012年。



ナチの迫害を避けて来日し、日本の美を「再発見」し、その後、トルコへ渡る−−政治に翻弄されつつも常に前進する「色彩の建築家」ブルーノ・タウトの初の本格的評伝が本書である。

第一次大戦後のドイツ。ブルーノ・タウトは貧困にあえぐ労働者のための集合住宅を華やかに彩り、「色彩の建築家」と呼ばれた。しかしナチスの圧迫を逃れて来日し、そこで白木の建築に感銘を受け、日本美の紹介に努めることになる。その後トルコに招聘され58歳の短い生涯を終える建築家である。

ブルーノ・タウトの著作は広く読まれているが、彼自身の手軽な評伝はこれまでなかったから、本書の意義は大きい。日本の美術論にどうしても注目しがちになり、建築家である点を見落としがちであろう。

「筆者は一九七〇年代初頭のベルリン留学中からタウトの建築に惹かれ、現存するほぼすべての作品を訪れた。主要作品はすべてフィルムに収めたと自負」する建築家である。3年あまりにの滞日時代の活躍ばかりでなく、建築家としての活躍や、トルコでの晩年の生活にいたるまで、その全貌を豊富な写真とともに描き出す。加えて妻と秘書の二人の伴侶、親族や知人との複雑な交友関係を明らかにする。

ブルーノ・タウトが個と全体の相発的調和を志向したのは、彼が終始カントを敬愛したことから理解できるが、二人は共にケーニヒスベルク出身であるという点は本書に教えてもらった。ナチス的なるものと対峙し続ける根拠のひとつをここに見出すことは難くない。



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 ヒトラーが選挙で勝ち政権を取ったヴァイマール共和国時代は、政権が頻繁に後退した時期であった。これに対する反省から、ドイツでは、政権を取るのは大変であるが、一旦政権を取ってしまうと、やはり国民の代表であるからそう簡単に交代することはない。日本においても、どのような仕組みが政権を長持ちさせるのか、ドイツの仕組みを研究したい。そしてタウトが少年時代から臨んでいた恒久平和が訪れることを期待したいものである。
    −−田中辰明『ブルーノ・タウト  日本美を再発見した建築家』中公新書、2012年、184頁。

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さて、本書は次のように締めくくられている。ブルーノ・タウトの足跡をふり返ることは、単に建築や文化、芸術という狭い枠で理解する陥穽を示唆しているようである。ナチへの嫌悪から日本に招かれるが、ときを同じくして日本とナチス・ドイツは親和的関係になっていく。放浪のなかで、その歩みは積み重ねられたといってよい。











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