「ディア・フレンド」という人間感覚
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人間関係の新しい型
鶴見 万次郎の問題はそれなんです。万次郎が日本にもって帰りたかったのは物ではなく、人間関係の新しい型ということだった。自分を助けてくれた船長に「ディア・フレンド」と呼びかけているように、身分のない人を助けられる人間が上に立つという人間関係を日本にもってきたかったんだけど、うまくゆかなかった。万次郎の生涯はその意味では失敗だった。
−−「中浜万次郎をめぐって 田中優子」、『鶴見俊輔座談 近代とは何だろうか』晶文社、1996年、17頁。
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文明を物質に、文化を精神に見出す二分法は、簡易で分かりやすいものの見方ですが、その視点にのみ準拠してしまうと、大きな落とし穴にはまってしまう。両者の関係に、相即的な連関があるということはおさえておくべきなのだろうと思う。
福澤諭吉は『文明論之概略』において「文明とは人の身を安楽にして心を高尚にするをいうなり、衣食を穰(ゆたか)にして人品を貴くするをいうなり」と指摘した。
その福澤と咸臨丸に同乗した中浜万次郎にしてもしかりであり、それは福澤以上の感覚でそれを捉えている。
「ディア・フレンド」という人間感覚。
先端の「文明」を構築しながらも、これがいま、一番、軽視されているのかも知れない。