「いちばん足りなかったと思うのは、原爆体験の思想化ですね。わたし自身がスレスレの限界にいた原爆体験者であるにもかかわらず」ということについて
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爆破直後には、市民がワーッと司令部の構内に逃げ込んできましたから、塔の前の広場がまたたくまに、被爆者で埋まってしまった。足の踏み場もないくらいだった。背中の皮なんかベローッとむけちゃった人なんかザラです。女の人は半裸体で、毛布かなんかで体を隠して、何にも語らない。放心状態ですね。真夏ですから、上からカンカン日が照りつける。ヤケドの薬なんて何人分も用意してなかった。そんなに大勢の人が一度にヤケドするなんて想像もしないでしょう。ずいぶんあとになって、呉の海軍から飛行機で薬を投下してくれましたけどね。それまでほったらかしでした。そういう目をそむける光景をさんざ見てるわけですねえ。それでいて原爆の意味ということを、今日になって考えるほどには考えなかった。やっぱり、戦争がすんで、やりきれない時代が終わったって感じのほうがつよかったです。(1967年)
−−丸山眞男・鶴見俊輔「普遍的原理の立場」、『鶴見俊輔座談 思想とは何だろうか』晶文社、1996年、20頁。
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