覚え書:「今週の本棚:中村達也・評『反転する福祉国家−オランダモデルの光と影』=水島治郎・著」、『毎日新聞』2012年09月09日(日)付。



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今週の本棚:中村達也・評『反転する福祉国家オランダモデルの光と影』=水島治郎・著
 (岩波書店・3360円)

 ◇「政労使」合意による働き方改革の「今」
 オランダといえば、何を連想するだろうか。風車、チューリップ、ゴッホフェルメールの絵……。本書が取り上げるのは、それとはちょっと趣が異なる。日本の福祉と労働のありようを考えるための貴重なヒントを与えてくれる国。これが本書のテーマ。一人一人の労働時間を短縮して、より多くの人に労働を分け合い失業を防ぐワーク・シェアリング。その模範国としてオランダが話題になることがあるが、著者は、そうした取り組みが、どのような社会的合意形成の中で進められてきたのかを丹念にたどり、同時にどんな課題を抱えているのかに切り込む。
 外国研究者は、研究の対象とする国を手放しで礼賛することが間々(まま)あるけれど、著者は光と影の両面をしっかりと見定めている。本書の表紙と各章の扉には一七世紀オランダの画家、レンブラントの絵が配置されている。「光と影の画家」と言われるレンブラントの絵を置くことによって、著者は「オランダモデルの光と影」を解き明かすという姿勢を表明したのではあるまいか。
 一九八二年、石油危機後の経済停滞と深刻な失業に対処するために、政労使三者による、いわば痛み分けの合意が形成された。労働側は賃金抑制を受け入れ、使用者側はその見返りに労働時間の短縮と雇用を保証する。一方、政府は賃金抑制によって低下する生活水準を維持するために減税を実施する。この「ワセナール協定」を軸に進められた数々の政策のうち、二つだけを紹介しておこう。まずは、一九九六年の「労働時間差別禁止法」。これによって、賃金・手当・福利厚生・職業訓練企業年金など、労働条件のすべてにわたって、パートタイム労働者はフルタイム労働者と同等の権利が保障されるようになった。
 もう一つが二〇〇〇年の「労働時間調整法」。これによって働く側は、自分の希望する労働時間を選択でき、使用者側は原則としてそれを受け入れなければならないこととなった。この二つによって、働く側は、ライフサイクルのそれぞれの時期に、例えば育児や介護や学習等のために、必要に応じて労働時間や労働日数を自由に選択できるようになった。こうした就労形態の多様化・柔軟化を通じて、女性も高齢者も失業者も含めて、いわば参加を通じて福祉国家の持続可能性を確保する「オランダモデル」が形成されたのである。
 オランダは、先進諸国の中では一人当たり労働時間が最も短い国であるが、それでいて、生産性は高い。例えば、国民一人当たりGDPも、就業者一人当たりGDPも、就業者一時間当たりGDPも、日本を上回っているだけでなく、先進諸国の中でも最上位クラスに位置している。まさにオランダモデルの「光」を象徴する成果といえよう。
 しかし、労働をめぐる様々な改革によって、女性を含む多くのメンバーを「包摂」してきたその一方で、実は「排除」されてしまった人たちがいる。移民・難民である。ヨーロッパの中でも、移民・難民に対して最もリベラルで寛容であったオランダが、最も厳しい移民・難民政策へと反転したのである。もちろん、移民・難民に対して厳しい態度を取り始めたのはオランダだけではない。多くのヨーロッパ諸国に共通してみられる方向転換である。そして著者は、それを現代の経済構造、脱工業社会の経済が要請する労働力の質・能力のあり方と関連づけて説明する。とすれば、それは「オランダモデル」の影というよりは、むしろ「脱工業社会」の影というべきかもしれない。
    −−「今週の本棚:中村達也・評『反転する福祉国家オランダモデルの光と影』=水島治郎・著」、『毎日新聞』2012年09月09日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120909ddm015070021000c.html


反転する福祉国家 - 岩波書店



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