覚え書:「今週の本棚:山崎正和・評 『ヴァーチャル・ウィンドウ−−アルベルティからマイクロソフトまで』=アン・フリードバーグ著」、『毎日新聞』2012年9月30日(日)付。



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今週の本棚:山崎正和・評 『ヴァーチャル・ウィンドウ−−アルベルティからマイクロソフトまで』=アン・フリードバーグ著
 (産業図書・3990円)

 ◇視覚と知性の近代史 一貫性の再確認
 人の心は外へ開かれた窓であり、その窓枠が現象を切り取り、窓の外側に自然界、内側に自己が生まれたときに認識が成立する、というのは広く認められた常識だろう。著者はほぼこの常識に沿いながら、しかし関心の的を自然界でも自己でもなく、中間に立つ窓そのものに絞りこみ、彼女が「ヴァーチャル」と呼ぶその性質を徹底的に分析する。
 「ヴァーチャル」はとかくコンピュータ技術との関連で、電子的に造られた映像だけをさすように思われがちだが、著者はそうした現代を特別視する歴史観を厳しく退ける。この語のラテン語の語源に戻り、十七世紀以後の光学の術語も参照しながら、独特の定義を提唱する。それは純粋に観念的なイメージでもなく、かといって混沌(こんとん)たるなまの現実でもなく、ある物質的な基盤のうえで整理され形成された認識像にほかならない。
 十五世紀のアルベルティの『絵画論』は建築の窓を重視し、絵画の矩形(くけい)の外枠を開かれた窓と見なすよう画家に教えた。やがてガラスが進歩すると窓は外と内とを分ける手段になり、遠近法はその外界を幾何学的に整理する方法として完成した。その過程で生まれたカメラ・オブスクーラ(暗箱)は、針穴からはいる外景を映すスクリーンを生んだ。
 こうして近代的な視覚と、デカルト的な世界観が確立したという見解は目新しくないが、瞠目(どうもく)すべきは著者の博識と先行研究の渉猟ぶりである。遠近法の成立を論ずれば、D・フライやE・パノフスキーはもちろん、それに反論したルー・アンドルーズにも言及する。カメラ・オブスクーラからそれと逆の機能を持つ幻灯機が派生した事情にも詳しいし、デカルトがじつは実験科学者であって、人間の眼球の解剖すら知っていたという史実も見逃さない。
 アルベルティの窓は見る人のまえに垂直に立っていたが、そういえば絵画のイーゼルも映画のスクリーンも、テレビやパソコンの画面も垂直に立っているという指摘は、たんに著者の機知を示すものではない。著者は近代という文明の一貫性の確信者であって、俗にいう「ポスト近代」もその一部にすぎないことを再確認しているのである。巻末に近く著者はマクルーハンの有名なポスト近代的な警句、「メディアはメッセージである」をあえて思いだし、それを否定して情報の内容を重視しているところからも明らかだろう。
 著者によれば歴史はむしろ循環している。十九世紀にガラスが建築の主要材料となり、建築の四方が透明になったとき、枠組みとしての窓の機能は失われたようにみえた。並行して絵画も一方向的な遠近法を棄(す)て、多方面からの対象の姿を同時に重ね描くキュービズムを生みだした。だがそこに映画が誕生すると、建築は一転して窓のない暗黒の箱に変わり、観客は固定された座席から一方向にスクリーンの枠内を見る旧態へと戻された。
 さらに現代、テレビやパソコンはマルチ・スクリーンを開発し、人は同時に複数の文脈を持つ情報に接することができる。だがそれは前世紀のパノフスキーがすでに映画について述べた特性、「空間の動態化と時間の空間化」の自然な延長にすぎない。しかも著者は意識してかせずにか、アルベルティ時代までの矩形画面に遠近法的な統一はなく、しばしば複数の物語場面が一図に描かれていたことを、本の冒頭で述べているのである。
 物質的基盤のうえに形成された認識像という定義から、当然、ヴァーチャルの歴史は知識社会学的な歴史になる。マルクスが観念論を攻撃したとき、彼が観念に喩(たと)えたのはカメラ・オブスクーラの虚像だったし、ベルクソンが記憶の「ヴァーチャル」な性格に言及したとき、念頭にあったのはおりから出現した映画の画像だった。そしてハイデガーを絶対的な存在の探究に駆り立てたのは、近代工業がすべての自然物を複製化し、ヴァーチャル化したことへの彼のいらだちであった。
 哲学的に見れば、ヴァーチャルはかねての感性、想像力、悟性を一括して捉え、芸術と科学的認識を連続的に理解するうえで便利な概念だろう。だがその反面、わからなくなるのは言語の位置づけであって、他のすべてのヴァーチャルな媒体と結ばれうる言葉は、それ自体がヴァーチャルと呼べるのかどうか、著者みずからは明らかにしていない。
 またこの本が視覚と、それにもとづく知的認識に焦点を絞った結果、それ以外の感覚を伴って動く身体を度外視していることは残念である。著者が前著『ウィンドウ・ショッピング』で描いた都市の遊歩者、風を感じ、香りを嗅(か)ぎ、身軽さを愉(たの)しむ肉体的人間は姿を見せない。著者の息子が列車の車窓の風景を喜び、「だって映画みたいなんだもん」と述懐した逸話が紹介されているが、はたしてそういう感受性が幸福かどうかも書かれていない。望蜀(ぼうしょく)の感が募るにつけ、本書が遺著となった著者の早世が惜しまれてならない。(井原慶一郎・宗洋訳)
    −−「今週の本棚:山崎正和・評 『ヴァーチャル・ウィンドウ−−アルベルティからマイクロソフトまで』=アン・フリードバーグ著」、『毎日新聞』2012年9月30日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120930ddm015070197000c.html




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