「頂点に位置したのは日本本土から来た日本人、中間に位置したのが沖縄人」って大日本帝国時代以来の認識





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 頂点に位置したのは日本本土から来た日本人、中間に位置したのが沖縄人と朝鮮人、最底辺に位置したのが島民である。沖縄人と朝鮮人には島民よりも高い地位が与えられたが、彼らの職業や教育程度は、島民から見るとうさん臭い感じに映った。たとえば、多くの沖縄人が従事したある種の肉体労働は、島民のエリート層からみればやや軽蔑すべき職業であったし、かなり上手に日本語を操れた若い島民にとっても、朝鮮の田舎から来た朝鮮人が文化の片鱗も感じさせず、日本語もほとんど話せないのは全くの驚きだった。観察眼の鋭い島民は、朝鮮人や沖縄人の中に見られる文化的な劣等性と、それにもかかわらず彼らが島民には与えられない特権を享受していることを、鮮やかに対照的な印象として深く心に刻んだ。
    −−マーク・ピーティー(浅野豊美訳)『植民地帝国50年の興亡』読売新聞社、1996年、299頁。

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沖縄県でまたしても在日米軍の兵士・軍属による事件が起きたようだ。

領土をめぐる問題では、「開戦やむなし」とまで扇動しつづけた政治家(屋)たちと、それを「リード」で垂れ流すメディア界隈のひとびとは一切無言だがどのように理解するのだろうか。

「領土を守れ」というロジックには……現実は詭弁であり、“建前”に過ぎないけれども……その領土に住む「国民」を「守る」ことがそれに正当性を与えている。

だとすれば、「外」から来た人間に無辜の“民草”がボコられて、「これは、いかがなものなのか」と声を上げることも必要なのではないだろうか。

生活保護バッシングもそうだけれども、威勢のいい連中というのは、得てして、人間を人間として扱わない。カントに従えば、目的せず手段として扱っているということだ。

無辜の民草がボコボコにされようとも、海外での企業活動に大きな損失がでようが、かまったことではない。自分自身の「利益」に誘導されるのであれば何ンでもやろう、しかし責任はとらないという寸法なのだろう。

唾棄すべき事柄である。

しかし、リアルな話、沖縄では、酷使様が奉る「日本国民」の「利益」が損害を受けているのは事実であろう。しかし、それは、領土を守るためには、沖縄県やその他日本に駐留する「在日米軍」は「必要」なのだと弁解するのだろうか。

おそらく沈黙のままであろう。なにしろ、本土の認識とは、つまるところ大日本帝国時代以来「頂点に位置したのは日本本土から来た日本人、中間に位置したのが沖縄人」であるからだ。

エコノミスト誌は、10月6日に東京から発信した記事の中で、石原慎太郎を「右翼のゴロツキ」(rogue of the right)と呼んで批判した。


Beware the populists - Nationalism in Japan

東アジアの緊張関係を高めるだけ高めた、都知事閣下はどう発言するのでしょうかねぇ。

自国の国民を守ることのできない政治家として振る舞うおつもりでしょうか?












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